私とは何かは哲学永遠不変のテーマだが、日本人の二人の哲学者がこの命題を全く違った形で示している。中島義道氏と永井均氏は共に私がある時期出会った哲学者である。出会うとは僭越だが、出会いは師弟という形式的レヴェルを遥かに超え得る。何故他にも大勢哲学者はいるのに、この二人に私が啓発されたか?それをこのブログで究明しつつ来場者と共に私や私であること、私の感性について考えたい。このブログは二人の哲学者に共鳴する全ての人たちによる創造の場である。

Wednesday, December 23, 2009

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらいいのか⑤

 もし本ブログを西田幾多郎と鈴木大拙、あるいは竹田青嗣と斎藤慶典とか、宮台真司と森岡正博というような内容のものだとしたら、全く私は異なったアプローチを取らざるを得なかっただろうが、たまたま私の個人史において特筆すべき存在として中島と永井といった存在がクローズアップされてきた。
 しかしその二人との出会いの道程を語ることは私自身を語ることに他ならない。それはその二人を巡る時代的状況と私自身との関わりにまで言及せざるを得ない。
 しかし恐らく私から見て一回りと少し年長である中島と私より八歳年長である永井の時代的役割を無視して今後このブログを続行させていくわけにもいかない。しかしにもかかわらず彼等はある部分では純然たる哲学者なのであり、それは両人による批評家たち全般に対する批判にも読み取れる。それは危うい所で画然と社会思想家や批評家、あるいは哲学史家と異なるという意思表示とも受け取れる。
 だが永井による「仏教徒にとってのお経とかキリスト教徒にとっての聖書はね、どこまでもまちがったことは書かれていないものとして読まれるんだよ。哲学徒にとっての哲学書はね、言われていることの意味が自分にとってよくわかるようになるまで、まちがったことは書かれていないものとして読まれるんだ。でも、いったんは聖典のように読まれる必要があるって点では似てるな。それと、どっちの場合も、始めのうちは自分を移入して読むしかないって点でもね」という部分の言述にはかなり本質的な著者からの意思表示が含まれている。端的に「自分にとってよくわかるようになるまで、まちがったことは書かれていないものとして読まれる」という部分は中島による「人生、しょせん気晴らし」中に掲載されている<哲学という気晴らし>の中の「ひきこもりと哲学」の内容と全く符号する。永井は極さらりと言ってかわしているこのことを中島は執拗に啓蒙しようと試みる。例えばひきこもり者自体が哲学の徒としての適性があることを認めながら哲学命題的設問に絡め取られることをまず哲学の徒の適性として善しとしながらも、その後できちんと「だが、ここに留まっていては、あなたは哲学の木を育成し、それに実を成らすことはできないであろう。あなたは、同じように哲学の適性のある他人とコミュニケーションしなければならない」としながら、「本物の哲学書を本物の哲学(研究)者の指導者のもとに読む訓練をしなければならない」としている。それは「<子ども>のための哲学」における永井による述懐中、専門の哲学者以外にも大勢哲学の徒としての適性者がいるとしながらも彼自身は専門の哲学者のアカデミズムを踏襲してきたことを悔いてはいないという記述とも全く符号する。
 しかしかなり重要なこととしては宗教であっても、どこまでも書かれているお経が正しいという信仰心が必要ではあるものの、実はその解釈を巡って宗教修行者にとっては「自分にとってのお経」というものを会得する以外に僧侶への道は開けていないということを示す内容のものとして曹洞宗門下で僧侶として生業を立てつつ文筆業をも二足の草鞋で営む南直哉とやはり臨済宗門下で作家活動をする玄侑宗久との対談における南の発言は注目すべきものとしてここに掲載することは相応しいであろう。(「問いの問答」同時代禅僧対談<副題>佼成出版社閑、第三章 出家 中、日本的「和」を相対化する 154から157ページより)

玄侑 南さんは『現代と仏教』(鈴木不美士編/佼成出版社/2006)に書いてらっしゃいましたね。日本というシステムの中に入ると、生き残るものはすべて「和」といわれるようなもののなかに取り込まれるというか、変質を余儀なくされる、と。だけど、それしかないんですよね。
南 そうえざるをえないのです。ただ、「和」がいけないというのではなく、戦略として「和」というものを相対化するものが何かないと、この国において「和」はこの先無理だと思います。機能しなくなる。ですから、僕がなぜ人から「原理的」とか「原理主義」とか、それこそ「極北」みたいなことを言われるのかというと、少なくとも原理的なことを確実に残しておくことに、大きな意味があると考えているからだと思うんです。
玄侑 そこに意識的であることは、ものすごく必要だと思いますね。
南 そうですよね。だから、それを曹洞宗の内部の人があまり言わないのだったら、内部の人間が言うことに意味があると思うから、僕はやっているだけなんです。ところが、この原理が普遍原理として実現した途端に、それは異常集団となって、仏教ではなくなってしまいます。ですから道元禅師の教団も、道元禅師では絶対に大きくならなかったでしょうね。仮に道元禅師の教団が、みんな万々歳で受け入れて、「これ以外にはない」ということになっていたら、道元禅師の入寂いくばくもなく教団が消えて可能性は高い。ただ、その著作だけは残って、細々と信奉者が思い出したように現れたりすることはあるかもしれませんが・・・・・。
玄侑 いわゆる一つのカルトとして現代に蘇るみたいに?
南 そうです。そうなった可能性は高いと思います。だけど、その記憶というか、そういうものを忘れ果てた態度―要するに、「現実と合わなくなったから、原理的な考え方原理的なやり方は必要がないんだ」というようになってしまったら、これはもう駄目でしょうね。僕がこんなことを言わなくたって、日本の人間関係の結び方や日本人の感性が、そんなに簡単に変わるわけがないんですよ。
玄侑 ええ、そこはほんとうに難しいところで、たとえば「四弘誓願」がありますね。「四弘誓願」の「煩悩無尽誓願断」(煩悩は無尽なれども、誓って断たんことを願う)というのを、「無理だからやめようよ」となったら、もうぜん崩れるわけですよ。
南 話になりませんよね。無理だとわかっていて、「誓願断」と言うところが宗教でしょ
う。大乗仏教では「願生 がんしょう」(この娑婆世界に自ら願って生れてきた)ということを説きますが、この「願い」というのは、「選択の余地」ではないんですね。いくつか選択肢があって「これにしましょう」ということではなく、これは方便とまったく一緒で、そうせざるをえないときに「そうします」と言うことなんですよ。仏教の誓願というのは。

 この最後の「この「願い」というのは、「選択の余地」ではないんですね。いくつか選択肢があって「これにしましょう」ということではなく、これは方便とまったく一緒で、そうせざるをえないときに「そうします」と言うこと」という部分にある種存在自体の必然的性格を言い当てているものを私は感じる。これは哲学で言えば、過去性というものを必然化する、少なくとも記述において必然的なこととしてのみ把握するという現在の態度にも通じる。このことをワルター・ベンヤミンは次のように言っている。(「パサージュ論」第3巻、207ページより、今村仁司・三島憲一ほか[訳]岩波書店刊)

出来事を前史と後史に分極化するのが現在である。〔N7a、8〕

「戦略として「和」というものを相対化するものが何かないと、この国において「和」はこの先無理だと思います」は中島の善良なるマジョリティに対する批判にも通じるし、また「それを曹洞宗の内部の人があまり言わないのだったら、内部の人間が言うことに意味があると思う」はアカデミズムの積極的効用に対する認可姿勢である。つまり期せずして永井の「翔太と猫」における言語習得論(これは第二章においても詳述する)の持つ言語認識上での建前とその効力(永井のライトモティーフであるところの公私の間の一大転換に関係してくる)に関して哲学の徒そのものの資質論的性格と、アカデミズム存在に対する積極的評価(まさに上記の二人の僧侶もまたそのことを述べているのだが)における中島言述との符号性(それこそが前回示したパラメーターセッティングのことなのだが)において二人の哲学者の時間論を通した論究可能性をここに見出すことが出来る。それはここで示したベンヤミンの言葉とも関係してくる。 
 そのことを次回から「翔太と猫」と中島の「後悔と自責の哲学」における中島によるライプニッツ認識を軸に考えていくこととしよう。

 付記 今年はここで休暇を取らせて頂きます。来年2010年の1月4日以降に再びお会い致しましょう。(河口ミカル)

Sunday, December 20, 2009

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか④

 知覚(も恐らく意識も)一定程度の完全言語習得と共に発生すると考える中島の時間論的論理命題と永井のそれとでは画然とした開きが出て来るのは当然であろう。
 知覚意識の萌芽を完全成人の意識以前に遡らせるからこそ永井は私意識の獲得と期を一にする私の他者化、意思疎通における<私>の滅却、あるいはウィトゲンシュタインの私的言語の無化が論理至上命題になるのだ。
 これに対し中島はあくまで理解されるものとして言語という媒介=武器を糧に論を進めるので意味論へと向かうことなく、あくまで社会正義論へと向かう(例えばその顕著な例は「醜い日本の私」や「差別感情の哲学」)。
 しばしば社会学を批判する中島の本意とは全ての個が私という立場(を取らざるを得ない)が被る運命を他者へ伝達するものなのである故、伝えるべき内容ではなく形式を問うそのスタンスが許せないのである。
 しかしその部分でも永井はもっと冷めている。そして私は永井のこの態度に冷厳な哲学者を読み取るのである。
 例えば彼の言語習得に纏わる私意識の獲得が<私>を滅却して生において固有の一大転換を来たして意思疎通へと至る道筋を「翔太と猫」において次のように述べている。少し長いので内容毎に少しずつ引用しその都度解説してみよう。(第三章 さまざまな可能性の中でこれが正しいと言える根拠はあるか 中 2住んでる世界が違う? ちくま学芸文庫版から168~174ページより)

「よく『あいつらとは住んでる世界が違う』とか言うけどさ、価値とか倫理とかの話に限らなくてもいいだけど、ものの見方とか考え方がぜんぜん違ってて、住んでる世界まで違ってきちゃうようなことって、ほんとうにあるのかな?あったらどうなるんだろう、って思うんだけど、さっきのインサイトの話だと、ぼくたちはそういう他者の存在にはたえられないから、根本は同じなんだってことにしちゃんだよね?そうだとすると、ぼくにはやっぱり、ほんとうはぜんぜん違うのに、強引に同じ土俵に乗せちゃう、みたいな変な感じがするんだよ。」
「きのう、『赤』とか『痛み』っていう言葉の意味を習得しつつある子どもには、赤が青く見えるとか、痛みがかゆく感じられるとか主張する権利がないって言ったのか、覚えてる?意味が固定された後ではじめて、事実に関する極端な主張ができるようになるから、意味を学びつつある段階ではじめて、誰でも凡人でなくちゃならないって話だったんだけど。」
「覚えてるけど、どういう関係があるの?」
「もしね、子どものころから、ゴミや糞尿をきれいだと信じて、花や夕焼けを汚いと信じてる人がいたとしたら、その人は『きれい』とか『汚い』とかって言葉の意味が学べると思う?ぼくらはね、言葉の意味を実例を通じて学ぶんだから、最初からみんなと判断が一致していないと、そもそも意味を学ぶことができないんだよ。つまりね、感じていることや思っていることが同じだって前提のもとで、はじめて意味を教えたり学んだりってことが可能になるんだよ。」

(ここで永井はまず哲学で言うところの現象的な感じ、痛みとかクオリアとか美的感性について一致していているということが言葉を覚える段階における前提となっていることについて述べている。更に)

「どういう関係があるかのか、まだわからないなあ。」
「じゃあね、もしね、ここに、異邦人でも外国人でもなんでもいいんだけれど、どうやら言葉を話しているようんなんだけど、何を言っているか意味がさっぱりわからない奴がいたとするよ。そいつの言っていることを推測していくにはどうしたらいいと思う?」
「ぜんぜん知らない言葉じゃ、推測のしようがないなあ。」
「きみがいま、フランス語を少しも知らずに、いきなりフランスに行ったとしても、きみは少しずつフランス語がわかるようになっていくだろ?そりゃ、いったいどうしてだ?」
「なんとなくわかることがあるからだろうね。自分を指して何か言ったら、自己紹介しているんだろうとか、そういったような・・・・・」
「でも、なぜ自己紹介なんてするんだい?」
「要するにね、相手がこちらの予想がつくようなことをしてくれなけりゃ、言葉は永遠に学べないんだよ。そいつらの言ってることの意味がわかるようになっていくためにはね、そいつらがまともでありふれたやつらでなくちゃならないんだ。しかも、こっちの基準でだ。そうじゃないとしたら、そいつらの言ってることは、どこからも予想がつかないから、そいつらの言葉の意味は、永遠にわかるようにならないのさ。」
「なるほど。言われてみれば、たしかにそうだね。」
「正しいこととまちがったことって観点から言えばね、そいつらはほとんどすべて正しいことを言っているって前提しなくちゃ駄目なんだよ。もちろん、どんな人だっていつも真理を語るわけではないよ。でも、相手がこっちの観点から見てたいていは真理を語ってるって前提することが、相手の言ってることの意味が理解できるための前提なんだよ。両方が同じ言葉を、たとえば日本語をしゃべってる場合だってそうだよ。相手がこっちの観点から見て何か正しいこと、理のあることを言ってるって前提しないと、相手の言ってることはわかるようにならないんだ。むずかしい哲学の本を読むときなんか、みんなそうやって読むんだよ。そうやって意味の理解が成立した後ではじめて、考えの違いとか、始めの誤解とかがわかってくるのさ。」
「お坊さんがお経を勉強するときに似ているね」
「似てるけど、少し違うんだ。仏教徒にとってのお経とかキリスト教徒にとっての聖書はね、どこまでもまちがったことは書かれていないものとして読まれるんだよ。哲学徒にとっての哲学書はね、言われていることの意味が自分にとってよくわかるようになるまで、まちがったことは書かれていないものとして読まれるんだ。でも、いったんは聖典のように読まれる必要があるって点では似てるな。それと、どっちの場合も、始めのうちは自分を移入して読むしかないって点でもね。」

(ここでは極めて重要な幾つかのことが述べられている。まず「相手がこちらの予想がつくようなことをしてくれなけりゃ、言葉は永遠に学べない」と「そいつらの言ってることの意味がわかるようになっていくためにはこっちの基準でそいつらがまともでありふれたやつらでなくちゃならない」という真理である。これは極めて重要なことである。もしこの二つがなければ言語行為、言語活動の全てが履行出来ない。その二つの前提の下に我々は言語行為に突入し、「相手がこっちの観点から見てたいていは真理を語ってるって前提すること」において対話を成立させるわけだ。これがパラメーターと呼ぶもので、数学では媒介変数とか情報工学では引数(ひきすう)確率論では母数などと呼ぶ重要な考えである。尤も私もその辺の専門家ではないので、酒井邦嘉著「言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか」(中公新書)において言語のパラメーターセッティングについて次のように述べられている。「実際にわれわれが話す言語が多種多様に見えるのは普遍文法のパラメーターに自由度があるためである。言語獲得とは、生得的に持っている言語の「原理(principle)」に基づきながら、母語に合わせてパラメーターを固定していく過程(「パラメーター・セッティング」と言う)と見なせる。例えば日本語では、lとrの音の区別するというパラメーターは必要ないが、英語では必要である。言語が生得的・本能的・普遍的であるならば、言語は基本的に決定論で決まるということになる。原理の部分は遺伝的に脳の神経回路網として決定されており、残りのパラメーターの部分は環境によって決定される。」)
 しかしその後の宗教に関する記述に関してはそのままその通りであると受け取れない部分が残る。その部分の考察から次回は始めることとしよう。(つづく)

Friday, December 18, 2009

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか③

 永井の「倫理とは何か<今後副題を省略してそう呼ぶ>」における倫理学者としてのその顕著な性格については次章で詳しく扱うこととする。

 そのことと関係があるかどうかはともかく、中島は「人生、しょせん気晴らし」において<「社会批判」という気晴らし>中の 若者にきれいごとを語るなかれ というエッセイを収めている。このエッセイは永井に対して中島が最も異なった資質の哲学者であることを示している。少し長いが、多少中略を挟んで出来る限り要点を全て記載しておこう。

 いつでも不思議でたまらないのだが、世の大人たちに「大人」の要件を問うと、決まって「責任感」とか「自立」とか「社会性」とか「感情のコントロール」とか・・・・・「善いこと」ばかり並べる。自分がそんなに立派ではないことを知りながら、問われるとつい理想的な大人を、つまり「きれいごと」を語ってしまうのである。もちろん、現実の子供もちっとも立派ではないが、「子供VS.大人」という図式を前にすると、つい「子供」にはマイナスの符号を、そして「大人」にはプラスの符号をつけてしまうのだ。自分が責任感と社会性を具え自立し感情をコントロールできる立派な大人になりえていないことぐらいすぎにわかるであろうに、自分が実現できなかったことを次世代に押しつけるのは酷というものだ。人間は悪を食らって成熟するほかないという、ルソーからカントを経てニーチェまでえんえんと主張されてきた絶対原則を、現代日本の「文化人」たちはすっかり忘れてしまったのであろうか?
 こうした観点から、本稿では嘘はいわないことにし、大人の要件として「悪への自由」と「理不尽に立ち向かう能力」の二つを挙げて、ついわれわれが陥ってしまう「大人立派論」からの脱却を図りたい。
 Xが責任能力の主体として認められるとは、Xがいわゆる倫理的な者、すなわち規範意識を有し善悪の判断ができる者であると認められることである。しかし、_断じてここを間違ってはならないが_このことは、Xがいわゆる「善いこと」をする者と認められることではない。むしろ、逆なのだ。責任能力のある者とは、ある行為が「悪い」ということを知りつつそれをすることが「できる」者なのである。もしXが四六時中「善いこと」しかできないような存在者であるとしたら、彼は責任主体ではないであろう。彼は放っておいても、いわば自動的に善いことをしてしまうのであり、自動的に悪いことを避けてしまうのだから、彼に責任を「問う」場面が永遠に開かれることはない。われわれが責任主体としての大人として、こういう存在者を想定しているわけではないことは明らかである。責任主体とは、悪いことが「できる」のでなければならない。しかも観念的に「できる」だけではなく、現に「できる」のでなければならない。われわれは金輪際「できない」ことに対して責任を問うことはないのである。
 そして子供は責任主体ではないのだから(あるいはそれが大幅に制限されるのだから)、いくら世の中に善悪を撒き散らしても、(少なくとも大人ほど)悪いことが「できない」とみされる。これは誤解している人が多いが_子供が純心であるからではなくて、子供を保護するという名目で近代(西欧型)社会がこしらえ上げたフィクションにすぎない。Xを大人として認めるとは、彼をこのフィクションから解放してやることである。つまり、彼のうちにうごめく悪への自由という「自然=本性(nature)を認めてやること、彼を「本当のこと」を知らせていい強者(大人)として認可することである。
 次に大人の要件として挙げたいのは、現実の社会における凄まじいほどの理不尽に立ち向かう能力である。自分を棚に上げて「この社会は穢れている!間違っている!」と叫んで周りの者を弾劾し続ける少年、「人生不可解!」と叫んで華厳の滝から飛び降りる青年は掛け値なしの子供である。大人とは、他人を責め社会を責めて万事収まるわけではないことがよくわかっている者、人生とはある人は理不尽に報われある人は理不尽に報われない修羅場であること、このことをひりひりするほど知っている者である。(いわゆる)正しい人が正しいゆえに排斥されることがあり、(いわゆる)悪い奴がのほほんとした顔でのさばっていることもあり、罪もない子供が殺されることもあり、血の出るような努力が報われないこともあり、鼻歌まじりで仕上げた仕事が賞賛されることもある。いや、そもそも人生の開始から、個々人に与えられている精神的肉体的能力は残酷なほどの「格差」があり、しかもこれほどの理不尽にもかかわらず、_なぜか_「フェア」に戦わねばならない。こうした修羅場に投げ込まれて「成功している奴はみなずるいのさ」とか「世の中うまく立ち回らねば」という安直な「解決=慰め」にすがるのではなく」、この現実をしっかり直視する勇気を持つ者、それが社会的に成熟した大人であるように思う。
(中略)
 子供は自分が他人に理解する努力をしないで、他人が自分を理解してくれないと駄々をこねる。他人の悪口をさんざん言いながら、自分がちょっとでも悪口を言われると眼の色を変える。濡れ衣を着せられると、もう生きていけないほどのパニックに陥る。いじめられるとすぐに自殺する。だが、大人は、他人を理解する努力を惜しまず、他人から理解されないことに耐える。悪口を言われたら、その原因を冷静に追究する。いじめに遭ったら、あらゆる手段でそれから抜け出すように努力する。このすべては、_誤解しては困るが_「善いこと」あるいは「立派なこと」をする能力ではなく、この世で生きるための基礎体力なのだ。私はわが列島の津々浦々に響き渡る「思いやり」や「優しさ」の掛け声に反吐の出る思いであるが、こうした体力に基づいてこそ、他人に対する本当の「思いやり」や「優しさ」が湧き出すように思う。
 だから、われわれ(少なくとも凡人)は理不尽さに引き回されなければ、この意味での生きる力を養うことはできない。理不尽を避け理不尽から逃げても、自分を騙し続け他人を責め続ける貧寒な人生が待っているだけである。人生の理不尽を変えられないのなら、いっそその渦の中心めがけて身を投げ出し、その微妙な襞に至るまで味わい尽くすくらいの気概があってもいいのではないか。それが正真正銘の大人というものである。(文藝春秋刊、54~58ページより)

 端的にここで中島は前半では哲学の基本を語りながら実は、後半では専門の哲学者としてよりもより思想家的立場でものを言っているように少なくとも私には思える。そして①において示した「悪について」の記述とその主張内容が重なっている。しかし永井ならもっと違う形で現代社会のモラルを語るように私には思える。そしてそのことを最も如実に語っているのが「人をなぜ殺してはいけないのか」と「<子ども>のための哲学」における記述であるが、それは十二章から結論までの本ブログ最大の箇所まで取っておきたいのである。つまりその部分こそ永井に固有の形而上学者としての本質であると思われるからである。勿論その段になって中島という哲学者の本質についても結論を出しておこうと思う。
 しかし簡単に今結論を述べておくと中島にはモラル論的に我々がどこかで持っている他者への善良さを信頼することを失ってはいない、つまり権利問題を提起することで他者信頼を醸成するスタンスであり、その前提で全ての哲学的エッセイを書いているということだ(これを本論では理性論的コミュニケーション信仰と呼ぼう)。それに対し、永井においてはそういうニュアンスは完全に払拭されている(これを本論では経験論的コミュニケーション懐疑論と呼ぼう。)、ということである。それは子どもの持つ残酷な問いを失わないでいるということに他ならない。
 
 しかし今何故この二人がこのような違いを生んでいるかということを考える上で重要な指針となる捉え方が幾つかあるので挙げておきたい。その一つは中島と永井の時間論に対する考え方である。
 時間論と言っても実はこの二人がカントやマクタガートなどを援用して延々と論じているそれではない。それら全ての論述を支えている論理命題のことである。
 結論から先に言えば、中島は言語習得という生物学的事実に対して一切関心を抱いていない。つまり意識の発生論に対して中島は一切の関心を持たない。これはまず重要なる事実である。また中島が「観念的生活」においてフッサール現象学に端を発する<受動的綜合>に関心を抱いていないことは彼自身によって明示されている。その意味では中島は完全なる反現象学者である(それは「時間を哲学する」におけるフッサール批判からも明示されている)。それ以外にも「人生、しょせん気晴らし」などで中島は現象学者を持って回った言い方しか出来ないと揶揄している。しかしだからこそ彼は世界も身体も全て言語が作っているというスタンスを取れるのである。
 率直に言って中島は言語習得を一定程度完全になし終えてから存在者の時間がスタートする、と考えているのである。それは子供には時間意識がないとする「時間を哲学する」や「時間と自由」、「人生、しょせん気晴らし」に記載されている時間論を読んでも明らかであるし、先に挙げた文中の子供が責任主体から逃れるという考え方でもよく示されている(それは中島が法学部を卒業しているということとも関係があるように思われるが、そのことは別の章で追々触れていく)。そして言語が全ての認識を作っていると考えている。その事実こそが中島に、先の引用文でも使われていたように、科学を科学的言語による(彼によると、固有の今を排除して作った)壮大なるフィクションと呼ぶことを可能としているのである。(意識前提論者としての性格)
 しかしそれに対して永井は全く正反対であり、彼は端的に全ての問題をこの言語習得という人類にとっての大仕事にのみ収斂させている。従って永井にとって時間とは既に我々が胎児であった時期にまで遡ることが出来る。勿論そのことがその時点で既に我々が私を獲得していると彼が思っているわけでは勿論ない。しかし少なくとも彼は意識の時間というものを明確にある時点から始まったとは考えていないのである。それは彼の「<私>のメタフィジックス」における生死の認識によっても明確に示されている(別の章において詳述する)。つまりその点において論理命題的には永井はウィトゲンシュタイン(特に言語ゲームと私的言語)にも類似するが、寧ろ彼の考え方は言語に対する在り方に関する限り現象学に近いのである。そしてそれはピアジェにも類似する。
 例えば彼は<私>というものを身体や世界とは別箇に提出する。しかしその考えとは基本として端的に彼は言語が世界や身体を作っているなどとは露ほども考えてはいないから可能なのである(意識懐疑論者としての性格)(永井は言語以前的に知覚が可能であると考えている。つまりカテゴリー思考が言語習得以前的に可能であるというのが彼の考え方であるのに対し、中島は基本的に知覚が言語秩序了解の下で初めて可能である、と考えている)。(つづく)

Monday, December 14, 2009

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか②

<今回から一切の敬称略>
 私は前回「しかし興味深いことに永井均氏はこの考えとは全く異なった様相で論理を展開する。」という文で締め括った。今回はそのことを明示しようと思う。
 結論から言えば中島は自我論者であり、それは彼固有の道徳論と一致する地点で考えられているのであり、それは哲学者としてのライトモティーフ上そうなのであり、彼は率直に言って倫理学者ではない。
 それに対して永井は自身哲学者としての道徳論も時間論も持ってはいるが、その論理命題は完全に倫理学者のものなのである。
 実はこの第一章の問題は取っ掛かりとして適切であるとは言え、一番根幹に位置する難しい問いなのである。しかしまず基本としてこの根幹の問題について触れずにいたとしたら、以後一切のこのブログにおける目的が曖昧となっていってしまうので、結論を私は最初に述べることにしたのだ。
 何故そう言えるかと言うと、一つには中島自身が自我論者であることを、永井自身が倫理学者であると名乗っていることが第一であると同時に、彼らの全ての論文、エッセイに示されている論理命題がそれを志向していることが読み取れるからである。そこでこのブログでは永井の倫理思想を最もよく示していると思われる「翔太と猫のインサイトの夏休み」と「倫理とは何か猫のアインジヒトの挑戦」を中心に、引き続いて中島の自我論思想を最もよく示していると思われる「哲学者のいない国」における<差別感情と「好き・嫌い」>そして「人生、しょせん気晴らし」における<若者にきれいごとを語るなかれ>、あるいは<「統覚」と「私」の間>を中心に個々のケースを詳細に分析していってみよう。
 しかしかなり膨大な資料から論じなければならないので、第一章では永井の「翔太と猫のインサイトの夏休み」の前半から示されたことと中島の短いエッセイから対比させ、一旦そこで区切り、後日「翔太と猫<以降省略してそう呼ぶ>」後半引用部分からと、やはり中島氏の幾つかの論述との対比を第二章として分けて、その双方を「倫理とは何か猫のアインジヒトの挑戦」からもその都度抜き出して考えてみようと思う。
 そして更に結論を裏付ける如くその論者としての性格を端的に示すものとして永井の論の骨子は、中島の考える哲学における道徳論における前回の「悪について」の中の「私は「なぜ人を殺してはいけないか?」というひところはやった問いを、自分のうちに見いだすことができない。」という部分が最も異なるとも最初に言っておこう。何故なら永井はそのことに端的に拘っているからである(そのことは第六章 永井均の時間論と幸福論と中島の考え において粒さに見ていこうと思う)。
 逆に中島の立場から言えば、つまりこの部分で中島は論者として主観的な反道徳主義に対する対峙姿勢を鮮明にしているのである。中島のこの種の態度は積極的に自己退却的である。つまりだからこそ彼は道徳論者であり自我論者であるのに対し、永井氏はそうではなく倫理学者である、ということなのである。それはこの二人の幾つかの論述が持つ性格を分析してみれば理解出来ることである。

まず永井は「翔太と猫のインサイトの夏休み」<第三章 さまざまな可能性の中でこれが正しいと言える根拠はあるか>において翔太の立場から自分が見た変な夢をきっかけに自分の考えがよく分からなくなっていったことを次のような比喩を利用して説明しているが、これは後でもずっと関係してくる。次のような文である。

たとえば、交番で道を聞いたとき、お巡りさんに「日が沈むまで待てば、きみはどこへでも行けことができるんだから、とにかくあせりは禁物だぞ」なんて言われたら、言葉の意味はわかるけど、何を言われているかさっぱりわからないだろ?すべてがそんな感じなんだよ。結局、何を聞いても、みんなが何を言おうとしているのかが、どうしてもつかめなくなっちゃったんだ。(ちくま学芸文庫、143ページより)

ここで永井は恐らく彼自身が見たのであろうか、その夢の内容から現実自体が極めて不可思議に思えるようになっていったことをこの言葉で示している。この考えはデカルトによって「省察」において示されている有名な現実と夢の差があるのか、という哲学命題からのものである(中島も夢と現実の違いについて述べているが、それは永井とは全く様相の違う扱いとなっている。そのことは次々章で示す)。
 
「(前略)翔太はものごとの善悪には基準があると思う?」
「そりゃあ、あるんじゃないかなあ。だってさ、もしなかったら、何でも、その人が善いと思うことが、善いことになっちゃうじゃん?」
「生命原理の話でね、よくこういう例が使われるんだけれど、どう思う?重病人が四人いてね、その病気の特効薬が一人分しかないんだ。一人目は、医療ミスによってこの病気にかかった気の毒な中年女性。二人目は世界にただ一人といわれる高度な医療技術を持った医師で、今後世の中に最も貢献しそうな人物。三人目は金持ちで、この薬のために最も高い金が出せる大実業家。四人目は、何十人もの命を奪って、しかも反省の情も見せていない極悪人。翔太、きみに決定権があったら、どうする?」
「うーん、むずかしけれど、三人目や四人目ってことはないから、まあ、一人目か二人目か、どっちかだろうなあ。」
「どうして?四人目はともかく、三人目の金持ちが、だってだけで候補からはずされちゃうのは、ひどくない?それにね、ほかにもたくさんの選択肢があるんだよ。たとえばね、効果がなくてもいいから平等に分けるとか、くじ引きにするって可能性があるね?だって、命の重さは極悪人だって変わらないんだから、公正さってことを考えれば、この二つがいいとも言えるだろ?」
「でも平等に分けて、ぜんぜん効かなかったら何の意味もないし、くじ引きで悪い奴に当たっちゃうのもしゃくだし・・・・・・」
「その二つの場合に対立している原理はね、誰であっても、とにかく一人でも生き残る方が、全員死んじゃうよりはましだと考えるか、そういう結果のことよりも、とにかく公平さや平等を重視するかってことだね。初めの方を『功利原理』って言うんだけどさ、そう考えるとね、きみが最初に言った、気の毒な中年女性か、有益な医師か、っていう対立の背後にも、やっぱり、この二つの原理の対立があるんだよ。気の毒な中年女性を選ぶとすればね、それは過去に気の毒なことが、つまり不当な害悪が存在するからで、だからぼくらはいまそれを埋め合わせるべきなんだ。眼は過去に向けられているね。もし過去をご破算にして未来だけを見るなら、この女性が特に選ばれるべき理由は何もないさ。未来だけを問題にするなら、むしろこれから世の中のお役にたちそうな医師の方を選ぶだろうね。正義原理の特徴の一つは過去志向ってことでね、功利原理の特徴の一つは、未来志向ってことなんだよ。きみはどっちに共感を感じる?」
「うーん、なんていうか、ぼくには、正義原理の方が絶対で、なんかちょっと高貴な感じがするんだけど・・・・・。でもね、ぼくね、どちらの原理も満たさないんじゃないかと思うけど、もっといい解決策を思いついたんだよ。うふふふ。駄目かなあ?」
「なんだい、言ってみろよ。」
「それはね、特効薬があることを隠し通す、っていうんだけど、駄目かなあ?」
「なんで隠すのさ?」
「だってさ、そんなのがあるってわかると、どっちみち、不平等なことになって、みんなを苦しめるだけだからだよ。」(ブログ管理者注、私がもしこの件の決裁者なら黙っていて自分で一人目か二人目に決めるかも知れない)
「それなら平等に分けたら?」
「それでもいいけどさ、その場合には効かないかもしれないってことは秘密にしとかなければだめだよ」
「うーん、なるほどな。それは、どちらの原理も満たさないんじゃなくて、ある意味ではどちらも満たしているかもしれないね。翔太、意外に君は倫理的センスもあるんだね?」(144から147ページより)

 まあ、今回はこれくらいにしておこう。再びこの続きは 第六章 永井均の時間論と幸福論と中島の考え で大きく取り上げる。
 しかし、実際このような永井の思考実験は決して中島には出来ないだろう(彼なら全てを誰かに委ねて諦める時のことを思考実験するかも知れない。そこに彼の明るいニヒリズムの志向性がある)。何故ならそれは中島が哲学を学ぶ動機がまるで永井とは異なっているからである(そのことは第三章 中島義道の哲学的動機と永井(中島義道の不幸道) において詳述する)。そしてその証拠に中島の「悪について」で詳述されているカントの<根本悪>から考えれば永井のような論理を持ってくることは不可能であろう。何故なら中島はこの部分では明らかに自己の指針としているカントの根本悪撲滅論者だからである。それは中島が自分の教えていた電気通信大学でのゼミ生たちに送ったエールの文章を読んでも分かることである。彼は「どうか自殺だけはしないでほしい」と自分の生徒たちに呼びかけているのである。それだけではない。中島は「哲学の教科書」において殺人を犯した犯人にまでその犯人の反社会性に対する理解、つまり一歩間違えばその犯人の立場に自分たちがなっていたかも知れないという可能性に対する考えを表明し、犯人に異常性を感じ取る同僚に対して怒りさえ示しているのである。この下りは少なくとも私のようなタイプの人間から見れば神父か牧師、あるいは僧侶のそれに近いと思えるからである。
 一方その種の犯罪者への共感など永井には微塵もない。
 そしてだからこそ中島が道徳論者であり自我論者であり、逆に永井が倫理学者足り得るのである。(つづく)

Thursday, December 10, 2009

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか①

 二千年の間過去とは何か、未来とは何か、存在とはと問うてきた哲学者たちの営みも、実際上、ひょっとしたらいかなる哲学的権威のない、あるいは哲学という学問の存在そのものに対する知識の全く欠如した人(そういう人は過去にも大勢いたし、現在も、これからも存在し続けるだろうが)の中にひょっとしたら哲学者たちがうんうん唸って考え解決していない命題を難なくすらりと解き明かすような人が紛れ込んでいると私は考えている。そういう意味では哲学の前ではいかなる権威も何の足しにはならない。
 そういう観点から言えば、哲学で学位を取得し、生活上プロの学者として社会的地位を築き上げている人だけが哲学的に優れているのではなく、大勢の優秀な哲学的頭脳が未だ発掘されていないということを、出版界に名を届かせてきているのにこの二人は、そのことを重々承知しているという意味では極めて明確な共通性を持っていると言えるだろう。
 しかしこの二人は共に相手に対して一定の敬意を抱いていると同時に痛烈な皮肉とも受け取れるメッセージを送っている。まずそのことを巡る二人の考え方を中心に論を進めていくこととしよう。
 精神分析では私が知る限りでは極めて自己愛ということと、その現代的諸問題における死の観念をはじめとする哲学的探求の現代人の欠如が、その漠然とした安心を得たいという現代人の生理的欲求を満たすために最も有用な概念である全能感において奇妙に協力し合っていると考えられているように思われる。
 つまり自分だけは死なないのではないか、という漠然とした安心量として、哲学することを忌避する態度こそ現代人の自己愛であり、その現代人の真実への透徹した眼差しを逃避する感情を支えているものこそ現代資本主義社会のサーヴィス接客態度を企業が利潤追求のために全従業員に義務づけ、そのサーヴィスを享受することに快楽を見出しているという現代社会生活への洞察こそ故小此木啓吾氏の精神分析理論であった。全能感とは探求することのしんどさを一時忘れさせるごまかしの典型的な心理である。
 しかし哲学者という人種はそういうごまかし自体が許せない。と言うよりそういう態度が許せないタイプの人を哲学的人間と呼ぶのである。だからそういうタイプの人が仮に職業的な意味で哲学者ではない場合でも、その人は哲学することに赴くタイプであるとは言えるだろう。それはある意味では永井均氏の観点でもある。(「子どものための哲学」)
 もう一人中島義道氏は永井氏よりも多少先輩の世代の哲学者であるが、「悪について」ではカントの倫理論を基軸に悪という概念に肉迫している。氏は次のように道徳的センスというものを定義づけている。
 「道徳的センスとは、常に善いことをしようと身構えているセンスではない。自己批判に余念がなく、たえず自分の行為を点検し後悔するセンスでもない。
 そうではないのだ。それは善とは何か、悪とは何かという問いを割り切ろうとしないセンスであり、そのことに悩むセンスである。ラスコーリニコフのように。」(「悪について」中16ページ)
 この氏の考えは一部永井氏と共通するものの、一部では極めて対立するが、そのことについて深く立ち入る前に、私自身のことについて触れておきたい。
 私は本来道徳そのものには関心を持っているが、自分自身を客観的に判断することとはある意味では不可能なことなのだが、それでも敢えてその暴挙を犯すとすれば、私は少なくとも道徳的人間でありたいとは願っていないので、従って外部から判断したとしたら、道徳的人間であるとも思われないだろうし、事実思われていないだろうと思う。
 何故なら私はまず人が死ねばいいと感じる時はある。正直に言えば嫌いな人間も山ほどいるし、ただそういう人間と出来る限り接触しないような生活を全うしたいと願っているだけであり、法を遵守して社会人として逸脱したくはない、と考えるのだが、その理由は法的に罰せられることが嫌だからである。それ以上に私が例えば殺人を犯すことを私に防止させている確固たる理由は実は私は見出せないでいる、ということは確かである。
 私は心底嫌いな人間の前ではその人間が死ねばよいと思うくらいには偽善的にはなりたくないということだけは言える。しかし嫌いなタイプではない人間においても嫌いでたまらない部分というものは当然ある。しかし本論はそのことについて触れる場ではない。
 要するに嫌いな人間に接してその嫌いでどうしようもない奴が死ねばよいとい気持ちになるような状況を避けたいと願うだけの人間であるとは言えるし、その事実をもって私を不届きであると考える人がいたとしても、それをわたしが実行しない限りで、私を誰かが責める権利もないのではないか、とだけは考えていると言える。(正直に告白すると、私は法的に許されれば殺したいとさえ思える人間さえ何人かいる。その意味では中島氏の「悪について」の<はじめに>の下に引用するⅳページの言説は私には当て嵌まらない。)
 だからこそ私は私自身を少なくとも中島氏の考えておられるような意味で道徳的人間でありたいとは決して思わないし、そもそもそういう問題で深刻に悩みたくはないという気持ちの方が強い。その意味ではリチャード・ドーキンスが「利己的遺伝子」で示したような意味でのモラル云々ではなく、生物学的に社会から疎外されない程度の振る舞いをすることを無意識に望むタイプの人間であるとも言える。
 しかし自分自身の行動原理としてモラリスティックでありたいと願わないということと、モラルとは何なのかということと、どういうモラルが人間に必要と考えられているかとか、あるいは理念として人間にはこういうモラルが必要なのではないかという考えとは別個の問題である、と少なくとも私はそう思う。
 つまり行動原理としての思想が自分に適用されないということは無責任であるが、同時にそのように行動原理を客観的に正しいと思えることと、主観的にこうするということが完璧に一致している人間がいたら、私は寧ろ積極的にお目にかかって話しを伺いたい(それはそういう人間に対して敬意を抱いているということでもない)。
 つまり私が考える人間の本性とは、例えば誰かからの介護を必要とするようなタイプの生きてゆくことそのものに対して必死であるような人以外の通常の社会人で、一定の知性と知恵を持っている人で権力欲の皆無な人間など果たしているのだろうかという疑問を根幹としている。
 その意味では善良であると心得ているようなタイプの市民の持つ欺瞞性を私は中島氏同様似非善良と考えている。
 中島氏は「悪について」の<はじめに>において次のように語っている。
 「哲学者たちは、これまで悪についてさまざまな考察をめぐらしてきた。西洋哲学に限れば、それは主に「弁神論」というかたちで論じられてきた。完全な善としての神がこの世を創ったのに、なぜこの世にはこれほどまでに悪がはびこっているのか。このまっとうな問いに対して、アウグスティヌス、スピノザ、ライプニッツ、シェリングなどの代表選手をはじめ、哲学者たちは精魂傾けて答えを与えようとした。だが、私個人は、こうした諸回答にまったく興味を覚えない。そもそもその「問い」そのものが私の中にないからである。
 といって、私は善悪に関する懐疑論の肩をもつわけではない。私は、むしろ現代日本における善悪の観念は至極まともだと思う。私は「なぜ人を殺してはいけないか?」というひところはやった問いを、自分のうちに見いだすことができない。私にとって、それは全身を打ち砕く問いではないからである。憎い他人はいくらでもいるが、私はその誰一人として殺したくも、ナイフで刺したくも、苦しめたくもない。誰の家にも放火したくなく、誰を強姦したくもなく、誰からも金を巻き上げたくない。だが、私は自分のうちに膨大な悪が渦巻いているのを知っているのだ。
 それは、こういう犯罪行為レヴェルでの悪ではなく、まさにそこに陥らないようにうまく生きていることに対する負い目である。成功することを求め、そのわずかな成果を喜ぶことに対する負い目である。他人より自分のほうが優れていることを一瞬自覚してしまうことに対する負い目である。苦しんで生きている人がごまんといるのに、ぬくぬくと生きていることに対する負い目である。いちおう五体満足で、健康で、定職が与えられていることに対する負い目である。」
 私は最後の一節と先述した誰も殺したくはないということ以外は中島氏と共通する。
 しかし興味深いことに永井均氏はこの考えとは全く異なった様相で論理を展開する。(つづく)

序の前にこの論文を書くことになったきっかけについて・序

序の前のこの論文を書くこととなったきっかけについて

①中島義道とは誰か

 中島義道とは誰か?この問いに関しては確か小浜逸郎氏もまた提出していたと思うが、敢えてそれを再びしてみたいと思わせる存在であるからこそ、私は中島氏のことを取り上げるのだ。
 中島義道氏とは一体哲学者なのだろうか。それとも文学者、エッセイストなのだろうか?つまりそのいずれでもあり、そのいずれでもないということしか言えない気が私にはする。それは勿論本質論としてである。哲学的領域侵犯者として出版界で氏は通っているとも言えるし、哲学の伝道者としての立場にあるとも言えるからだ。
 さて中島氏は小学校の頃から皆で一緒に何かをしたり、皆で仲良くしたりすることだけは耐えられなくて、逆に普通の生徒たちにとっては苦しみ以外のものではない勉強だけが好きであったと告白する、ある意味では多くの人たちがある種嫌味な人間だとそう思うようなタイプの少年時代を送ってきた人である。私自身決して勉強自体は嫌いではなかったが、中島氏のように成績自体はあまりよくなかったし、友達もその都度大勢ではないもののいたから、中島氏の体験に対して自分とは違うと思うし、その違いが時には不快に思えることも多々ある。しかしそれでも尚そのようにそういう風に書くことによって多くの人々から反感を持たれることを承知で敢えてそれを書くということにおける潔さと勇気と、率直さという観点から言えば、中島義道氏とは特異な作家と言うよりは、あまりにも真摯で誠実な作家である、と言える。そしてそれは哲学者としての真摯さから来る態度であるとも言える。
 そしてそのことと哲学者としての専門的見識とか思想ということとは判断レヴェルでは全く別のこととして扱わねばならないとは知りつつ、しかしその二つは微妙に相互に絡まり合っていると言うことが出来る。このことは近著である「人生に生きる価値はない」においてニーチェという哲学者に対して長い間理解出来なかった自分が最近やっと理解することが出来るようになってきたことについて書いているある章において、ニーチェをテクスト読解的な解釈以外の、要するにニーチェの特異な人生を度外視して解釈することの不毛を訴えているのだが、そのことの持つ意味、つまり哲学者の持つパフォマティヴ(これは茂木健一郎氏が「「脳」整理法」において自然科学においてある法則とか定理を発見した人自身の個性とか人格とは無縁にそれらは価値があることをディタッチメントと呼び、それに対して哲学者などの場合、そのテクストに書かれたこととは、それを書いた人のパーソナリティとか人生と不可分であることをジョン・ラングショー・オースティンの謂いを借りてパフォマティヴと呼んでいることに起因する)に着目していることが、同じ章において中島氏が哲学学者よりも自由業の方に職替えした方が本当は自分にとって向いていることであると告白していることとも通じて、中島義道という著述家を語る時大きなエレメントであるように少なくとも私には思われる。
 つまり中島義道氏とは全てのテクストを読んでみないとその本質がなかなか理解出来ないような懐の広さを持った著述家なのである。しかしにもかかわらず氏の主張の本質は極めてある部分では単純である。つまり哲学という学問自体にあたら必要以上の幻想を持たせない、つまりほんの些細なしかし極めて私たちが見過ごしがちな真理に対する注意深い意味づけと定義し直し自体を認識的価値としている、ということである。そのことをある時にはエッセイとかユーモラスな小文において、ある時には本格的な哲学論文において一貫して示してきたと言える。だからそのことをもって敢えて氏を思想家であるとか社会批評家であると位置づけること自体を氏自身がせせら笑うような部分を我々は少なくとも十冊以上読んだ読者は抱くことになる。
 しかしだからと言って氏の書かれる多くの文明批評的、あるいは社会批評的文章はどれも皆一読の価値のあるものばかりである。全てを傑作と呼ぶことは出来ないにしても、尚そこにはそれなりに常に何かを読者に語りかけてくる力を持っていることだけは確かだ。
 しかし私自身にとってそこまで深く氏を理解するようになっていったのは、私自身が氏が主催されている哲学塾カントに在籍していた時期から、その塾を退会していった後、更に氏の本を読み進めてきた後のことである。

②永井均とは誰か、そしてこの二つについて

 私が永井均氏の本に出会ったのは、中島氏の本「時間と自由」を読んでから数年後に「ウィトゲンシュタイン入門」だったと思うが、氏の主張の凄さを実感させられたのは、寧ろ「なぜ人を殺してはいけないのか」における小泉義之氏との対談とその後の記述を呼んだ時からである。その後「<私>という存在の比類なさ」や「これがニーチェだ」などを読んでいった。そのプロセスで氏が<私>ということに拘り、その<私>とは私が自分のことを「私は~だ」と語る時の私ではなく、あくまでそういう風に私と語ることが、この私だけではなく誰しも自分のことを私と言うという一つの約束事に同意しているという事実以前の、つまり一般化された形での私ではない本当の私、つまり一般化しているのではなく、この私自身にとって最大の例外的、超越的な私、つまりあらゆる他者と決定的に違う自分のことである。そして氏の哲学的考えは明らかにこの私という決定的な唯一性に対して、しかし意思疎通する時には必ず、それを一般的な私に置換している、この一大転換自体を命題化している。そして氏は中島氏とは対極的に殆ど私的な事柄をエッセイ的には記さない。つまり私小説的エッセイや自己固有の感性的な主張を一切しない。
 このことが異色の哲学者である中島氏に親しんできた私にとってまず新鮮な驚きであった。つまり永井氏の論には個人的キャラクターを感じさせないところがある。
 にもかかわらず氏の哲学には氏本人が強烈に自分以外の全ての他者に大きな関心を払っていないという主張が真摯に込められている。この背反する二面性こそが私が永井氏に惹かれた最大の理由である。
 しかしにもかかわらず中島氏と永井氏の両人には決定的な共通性もある。それは端的に文章力において極めて論旨が簡潔であり、常に多くを語ろうとしない、焦点化された単純な真理だけをずばっと簡潔に語るという資質である。
 つまりこの二人の哲学を専門とされる著述家のスタンスを見ていると、要するに多くを望まないということで、逆に確実に得ることを選ぶという賢明な姿勢を学ぶことが出来るのである。これは哲学者としての本論であり、最大の必要十分条件ではないだろうか?
 この本で私はこの点を軸にしながら、対極である部分をも解析して論を進めていきたい。




 哲学者は通常全てに対して懐疑的であり、とりわけそれは科学者に対して向けられる批判に顕著なスタンスとなる。その分で彼らは自分たちの知性に誇りを持っていることは確かである。しかし彼らは自分の日常的な実像を他者に悟られまいとする心理的傾向があるから、必然的に一見すると、どこが特別ひねくれた人種であるのか、どこが特別頭脳明晰な人種であるかとも他者からは容易には受け取られないが、いざ彼らと付き合おうとすると、途端に友好を求めるようなタイプの社交家に対して敵視するスタンスを示しだす。
 これは彼らが、哲学上を巡るさまざまな命題、とりわけ死という観念にとり憑かれていることが日常茶飯なそういうタイプの少年期を過ごした人々によって自然に形作られた他者との協調という社会ルールそのものに対しても等しく懐疑の眼を向ける固有の一匹狼の、アウトローのコロニーに属しているからに他ならない。
 私は長い芸術家としての生活から彼らに対して一定の敬意を抱いてきた。そのことは科学者たちに対しても同様であるが、科学者はある意味ではもっと単純である。それは人類の未来に対してどこかオプシミスティックであるという意味でそうである。しかし哲学者はそうはいかない。彼らはあるいは明日地球が、明日宇宙が消滅するかも知れないという可能性に対する視点を決して捨てようとはしないし、事実そうなるかも知れないという恐怖や、可能性に対する配慮を捨てることが実際合理的な思考であるのかとか、そういうことで本当にまともに生きているという実感を掴めるのかとか、いやそういうものが実感であるということを本気であなたは問うたことがあるのか、と全ての人に向けてそう言いたいのだ。しかし勿論彼らは全人類に対してそのことを啓蒙する気はない。そういうことを直観的に理解出来るタイプの成員が彼らにとって見出されれば、その一群の人々に対してだけ静かに語りかけようとするだけである。
 だから最初から彼らはその命題を理解することが出来るのが一部の人々であることを直観的に知っていて、通常敢えてそれを声高に叫ぶことを差し控える。だからそれを静かに彼らの哲学文章や哲学テクストに込めて、いつとはなしにその哲学的主張(それは永井氏の言うように、通常の意味で主張するものではなく問い続けるという意味で)を受け手が哲学者のエールでありメッセージであると受け取られることを期待する。
 私が関心を抱き、心酔し、熟読した二人の哲学者がいる。一人は中島義道氏であり、もう一人は永井均氏である。
 中島氏はかつて無用塾という名の哲学塾を開設していたくらいの啓蒙家であると同時に、痛烈な社会批判者であり、全ての人々が須らく不幸であると捉える啓発家であり、人類の未来よりも自分の死という近い将来の出来事の方が圧倒的にリアルな問題であると考えておられる。永井氏は初期から今日まで一貫して私、あるいは私というものを通り越した自分そのものの神秘を哲学的命題の最たるものとして捉え続けてこられている。
 この二人は勿論面識はあるものの、一定以上の個人的な接点が際立って濃密であるとまでは言えないが、哲学者であるにもかかわらず比較的文芸雑誌等に露出度の多い、要するに論壇、文壇に聞こえがある、ということで共通している。要するに二人とも哲学ブームという2009年現在から十年くらい前にあった時期に著述家として船出した聞こえのある著述家であるということである。
 中島氏は既に十年くらい前から文化騒音公害であると彼自身が捉えるメッセージを共有する人たちと社会啓発運動をしているし、それと哲学者としての本分とが絡まりあう内的な問題意識を通じて多くの著作で偏食、孤独、不幸を推奨し、それでいて文学者的な資質を十二分に発揮し、読者を時としてその痛烈なるアイロニーによって笑いに誘うことも多いのに対し、永井氏はその哲学命題そのものを戯画化したような子供向け、中学生向けというようなタイプの優しい文章によって難解な哲学命題を語りかけ、多くの文学者、脳科学者といった人々に対して多大な影響を与え、昨今では川上未映子氏が「父と卵」で芥川賞を受賞したが、彼女の師が永井であることは多くの人の知るところとなった。
 私は以前から現代の哲学者では例えばソール・クリプキのような天才アメリカ人哲学者のような存在にだけ哲学論というと焦点が当てられ、現存の日本人哲学者のことをまともに取り上げたテクストが実に少ないということに疑問を抱いていた。そのことが本論を書くこととなった大いなる動機でもある。
 しかし私は先に「私が関心を抱き、心酔し、熟読した二人の哲学者がいる。」と述べたが、関心を抱き、熟読するということは、言い換えれば、そのテクストに対して大いなる疑問も生じてきて、冷静な判断から批判するべきであるという論点が見出されていく課程に自分の身を置くということをも意味する。従って本ブログでは必ずしも二人の哲学者を礼賛しているわけでもない。つまりある徹底した信念の持ち主であるという部分では尊敬する中島氏にさえ幾分偏った部分を私は常に感じ続けてきたし、偏向を避ける永井氏に対しても常に一定以上踏み込まない不満を持ち続けてきた。そのことはその都度示してある。
 本ブログで私はこの二人の意外な共通性(それは出版企業界そのものの哲学ブームということにおいてのみではなく、もっと本質的なスタンスの問題として)を探り、二人の日本人哲学者を巡って過去の哲学の巨人たちがどのような形で蘇っているのかということと、私的な資質論的な部分とを相補的に捉え、今日の哲学の地平そのものを私なりに捉えてみようと思った。だから専門家にだけ向けて書いたものではないので、私自身の哲学との出会いを論の中に交えて、あまり肩の凝らない哲学論を書くことをモットーとして私事を随所に盛り込みエッセイ風に仕上げた積りなのだが、真剣に哲学的命題を考えている方にも十分読むに値する内容を心掛けもした。
 私的なことだが、中島義道氏は私はかつて約八ヶ月通った哲学塾の恩師でもあり、永井氏との出会いもその後講義等で数回に及んだ。だからこの二人を論じるということはある意味では私にとって切実なものなのである。全く私にとって存在理由の異なる二人の著名な哲学者としての著述家を分析対象として扱うという大それたアイデアはしかし実はかなり以前から暖めてきていもしたのである。この二人の哲学者に焦点を当てた論文を通して哲学的な意味での私の主意に賛同して下さる方が一人でも多くこのブログに来場して下されば幸いである。