私とは何かは哲学永遠不変のテーマだが、日本人の二人の哲学者がこの命題を全く違った形で示している。中島義道氏と永井均氏は共に私がある時期出会った哲学者である。出会うとは僭越だが、出会いは師弟という形式的レヴェルを遥かに超え得る。何故他にも大勢哲学者はいるのに、この二人に私が啓発されたか?それをこのブログで究明しつつ来場者と共に私や私であること、私の感性について考えたい。このブログは二人の哲学者に共鳴する全ての人たちによる創造の場である。

Wednesday, February 3, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑪

 前回取り上げた「生きてるだけでなぜ悪い?」において香山リカと中島が対談したのは本自体が出版されるよりも更に一年くらい前で日本では安倍首相が退陣することになった当日に対談の一回(どの箇所であるかまでは不明である)は行われている。その世相で語られた年金問題その他の官僚組織の腐敗や、霞ヶ関埋蔵金といったことが槍玉に挙げられていた時に一切そういうことに対して怒りを持たないし、自分より恵まれていない人に対してさえも一切気の毒という風には思わないと言うこの徹底した反社会性は、しかしよく考えてみると哲学者としての生理から一切そういう真理論外的現実の有象無象に対して、口を噤むという態度は自分にとって問題が手に余るものであればそれを把握しきれると言ってはいけない、ということからもウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の結語である「語ることが出来ないことに関しては沈黙せねばならない」という命題を思い起こすことが出来る。所詮どんなに社会とは統制して犯罪が起きないように計らっても、いやそうすればするほど不正は横行するに違いないという直観が中島にはあって、だからこそどんな犯罪が起きても狼狽することなく自分にとって直面した現実を切り抜けていくしかないといういい意味での諦念が中島からしばしば語られる。そのいい例として「差別感情」における次の一節が挙げられるだろう。(①129~131ページより、第二章 自分に対する肯定的感情 中 1誇り 中 マイナスを誇る、②158~160ページより、同章 中 人間関係の濃厚な社会を目指すべきなのか?) 


(前略)
 現代日本社会に眼を移すと、われわれは社会的なプラスの面に基づいて誇ることはほとんどできなくなっていることに気づく。有名大学出身であることを誇るとか、大会社の重役であることを誇るとか、旧華族の家柄であること誇る、・・・・・・という言い方は皆無ではないが、いずれも厳しい世間の検閲にかかると、高慢、尊大という非難を回避するのは難しい。
 面白いことに、社会的プラスの価値に基づいた誇りは相当注意しなければ、この国では容認されえない。しかし、この現象と呼応するかのように、現代日本では社会的なマイナスの価値を誇る言葉が津々浦々にまで響き渡っている。
「私は、義務教育しか終えていない、でもまじめで実直な職人としての父親を誇りに思います」とか「僕は、美人ではないけれど、女手一つで僕を育ててくれた母親を誇りに思う」という宣言は、なんと時代の波にうまく乗っていることであろうか。人の耳に心地よく響き、誰からも非難どころか幾重もの優しいまなざしに包まれて、なんと安泰であることだろうか。だから、人々はこういう文脈で誇りを語り続けるのである。
 向田邦子は、外では上役に平身低頭しながら家庭では威張りくさり、しかしその家族愛に伝わってくる父親を誇りに思っている。一見、駄目男に見えながらも、不器用な形で家族に愛情を注ぎ続ける父親をもっていることに誇りを覚えているのである。藤沢周平もまた、下級武士や町人など名もない実直な人々を描き続ける。彼らは、みずからの「美しさ」を誇りに思っている。
 私はどうもこういう「マイナスの誇り」が好きになれない。その背後に、現代の世に受け入れられることを正確に計算している功利的精神を見通してしまうからだ。その同じ人が、学歴や家柄などに基づく社会的にプラスの誇り、陽の当たる場所にいる人の誇りに対しては容赦なく冷たい視線を注ぐ。
 たとえマイナスの誇りでも、じつのところ強烈な優越感を伴っている。幾分不器用で、実直で、「美しい」人生を歩んでいる人は、たとえいかに社会的に成功しても、何を外形的に獲得しても、人間として劣っている、という確固たる価値観に基づく通奏低音がそこに響いているのだから。


 親を殺したり、「誰でもいいか」刺したりする犯罪が増えるとともに、ひきこもりやうつ病が増大するなどの社会現象に対する反省から、最近のジャーナリズムの風潮として、もっと人間的絆の固い社会の実現という提唱が多いが、これは危険な方向だと思う。先日のNHK特集では「ぎすぎすした社会」からの脱皮というテーマでパネリストかあらさまざまな提言がなされたが、そろって人間関係の濃厚な社会、声を掛け合う地域社会の復活を唱えていた。江戸時代から続くわが国独自の人間的絆を復活しよう、という声もあり、強烈な違和感を覚えた。
 それは、お互いに監視し続ける社会であり、他人が個人を放っておかずにずけずけと介入する社会である。社会のしきたりを個人におしつける社会であり、連帯感を強調する社会であり、帰属意識を高める社会である。
 人間関係の濃厚な社会を単純に望むことは危険だと思う。そこには「みんな一緒」に居心地の良さを覚える人々の幸福と引き換えに、濃厚な人間関係を望まない多くの人を圧殺することになる。むしろ(私の好みも多分に入っているが)、他人に自分の価値観を押しつけない社会、他人を縛らない社会、他人を強調しない社会、他人になるべく期待しない社会こそ、実現すべきではないだろうか?
 多様性そのものを維持することが大切なのであって、多少社会の効率が下がっても、不安定要素が高まっても、異質なものを同化するのではなく、異質なもの同士の「共生」を目指すべきであろう。孤独でいたい人に孤独の自由を与え、不幸に打ちひしがれていても他人の助けを欲しない人の自由を尊重すべきであろう。
 社会の安定と調和は、こうした人々を取り込んで一律な価値観を押しつけることによって実現されはならない。確かに、一般に集団から排除されるのは辛いことである。しかし、同じように辛いのは、無理やり集団に留まることを強制されることである。
 こうして、人間は何らかの共同体に属さなければ生きていけないことを知ったうえで、各人は自分の集団への帰属意識をなるべく抑えることを提案したい。その集団があなたにとって大切であればあるほど、あなたはその集団のために働いていくであろう。そして、知らないうちに、その集団を守るために集団内の個人を追及し、その集団を守るためにある人々を集団から排除し、・・・・・・こうして集団に身を捧げることを通してあなたは差別感情をせっせと育てているのだ。

①②から見ていくと、恐らく庶民感情と言うようにかつては多く語られたこの種の自分の肉親を誇らしげに語る気分というものが即座に中島の言うように監視社会へと直結し得るかと言えばそうではないだろう。しかし少なくともそのような可能性も常に視野に入れてそういう言説の一切を封じ込めてはならないということを主張しているという意味では二回前の永井による道徳規範に対する考え方とも全く共通したものを我々は読み取ることが可能である。
 永井の「なぜ悪いことをしても<よい>のか」中の既に引用した箇所、「つまり道徳だけが唯一の武器である者は、取り決められた道徳の内容を祭り上げ、崇拝せざるをえない。道徳の根底には、目をこらせば見えてしまうものを見てはいけないとして遮断する隠蔽工作があるから、過度に道徳に依存せざるをえない境遇にある人の人格は、遮断的なものになりがちである。その事実を指摘できる人は、社会にとっても不要とはいえない。道徳についての、それ自体は道徳的でない真理を知っている人_つまり道徳の系譜学者は_道徳的社会にとってときには必要な存在なのである。」がこの中島の論説の正当性を語っていると言える。
 ②の社会は端的に日本がかつて「向こう三軒両隣」とか「袖触れ合うも多少の縁」といった知識共同体の友愛的精神を表わす対人関係術、共同体秩序邁進術として美徳としてきたものである。そういう統制自体に極端なアレルギーを示す辺りに中島義道の世代的感覚も実は滲み出ている。要するに団塊の世代固有の個人主義感覚である。しかしそういった中島の世代感覚や個人的傾向性を離れて考えても理性論的にこの意見自体に私は賛成である。このテクストでもたびたび触れられているナチス自体がこのような連帯意識と帰属意識を濃厚に高めた結果起きたことだからである。
 しかし実は日本人は既にもっと異質のレヴェルへと意識は進化というか移行しているように私は思う。つまりその異質性へ変化を遂げたこと自体への恐怖がこの様な連帯感とか絆の濃厚な社会を読みかけるような特集をマスコミに作らせている(先日の「無縁社会」のような番組の意図にそれを読み取ることが出来る)のだ、と私は考えている。このことと本ブログで今後述べていくことは大いに関係のある内容のものなので、前に取り上げた禅僧同士の対談「<問い>の問答」から玄侑宗久と南直哉による対談から再び頻繁に抜粋して 第二章 永井哲学の社会契約的存在者とヘーゲルとハイデッガー において詳述する。第二章では永井の倫理学の根幹に位置する言語を通した社会契約論について粒さに見ていこうと思っているが、実際は中島の持つエッセイスト、文明批評家的側面の方に寧ろ多く永井との共通性を私は見出せるので、その観点から永井を軸にしながらも、中島の別の側面を浮かび上がらせるという目的でも書いていきたいと思っている。
 つまり「カントの時間論」とか「時間論」「カントの自我論」といった専門的著作物では見せない資質こそ、私が中島義道に固有の哲学であり、それは既に述べたがカントには全く相容れない資質である(カントは中島ほどの正義漢ではない)。そして第三章、第七章で綿密に精神分析的に二人の哲学者を取り扱うが、触りだけ今言うと、中島はその自らの正義漢的部分に対して極度のシャイネスを抱いている。そしてそれを隠蔽しようとするダンディズムこそが中島をより反社会的イメージへと自己意図としても仕立て上げている。しかしよく解析してみれば分かることであるが、永井均の方がより破壊的である。それは社会とか個人ということに対して徹底的に無視を決め込んでいるからである。本ブログでは中島によるカントその他の哲学的先人への負い目と尊崇の中に彼固有の過去論の軸を見る思いがする。
 しかし中島義道は近年とみにそこからの脱皮を図ろうとしていることもまた読み取れるのである。そのことは次回以降追々示していくこととしよう。

 論文の方に戻ろう。
 中島は向田邦子の父への追慕に見られる固有の誇りにある歪さを読み取っている。そういう観点から言えば本願ぼこり的部分に対する痛烈な皮肉を書いているとも言えるが、しかし同時に中島は別の箇所ではこうも言っている。(172~174ページより、第二章 自分に対する肯定的感情 中 4 向上心 あらゆる賞賛に冷淡であること)

 私の個人的感受性であるが(中略)私は地上のありとあらゆる「賞」を嫌悪するようになった。誰がいかなる偉業を成し遂げようともそれほど感心しないのである。いや、それを讃える人々、それに応える英雄たちの喜々とした顔に、善くないもの、真実でないもの、美しくないものを見てしまう。それが、いかにも人類のためになろうと、いかに謙虚で地味な研究であろうと、人は自分の仕事に関して「誉められること」を承認してはならないと思うのだ。
 このいささか過敏な心情には差別感情が絡みついている。すなわち、いかなる心血を注いだ研究でも、いかに多くの人を楽しませ希望を与える創作でも、障害者として、犯罪者(の家族)として、被差別部落出身者として、差別を受けながら、日々苦しみあえいで生きている人々の偉大さに比べれば物の数ではないからである。
 数年前にニュースで知ったのだが、近所のスーパーに幼い子供を二人連れて車で買い物に来た主婦が、駐車場で子供をいったん降ろしバックして停めたところ、二人の子供はその車の下敷きになって死んでいた。その母親が自殺せず後悔と自責に塗れて生き続ける尊厳さに比べれば、いかなる受賞者のなした偉業もほとんど無であるように思う。
 かなり昔の事件であるが私もわずかにかかわっているので、ここに記しておく。ある出版社に勤務する中年の、男(S)が息子の家庭内暴力に疲れ果てて、息子の睡眠中その頭を金属バットで滅多打ちにして殺した。妻と娘は息子(弟)の暴力から逃れるために別居していた。夫が息子を殺した衝撃から、Sの妻は首吊り自殺を図った。Sにとって、あるいは残された娘にとって、人生とはなんと過酷なものであろう。「なぜ自分たちにこの人生が与えられたのだろうか?」(『聖書』「ヨブ記」の)ヨブのように、天に向かって叫びたいところだろう。
 Sは東大の倫理学科を出ていて、彼の情状を鑑みた減刑運動が起こり、同じ倫理学科で彼と机を並べていたカント学者仲間から私にまで署名の依頼があった(定かに記憶していないが、署名したように思う)。
 こういう人は、まさに地獄のような人生を行き抜いたとしても、誰からも誉められず、むしろ中傷され、非難され、耐えに耐えしのんで、そのまま死ぬのである。わが子を(過失によって)轢き殺した母親や、わが子を(意図的に)打ち殺した父親は、普通の意味での被差別者ではないが、なぜ自分がこうした運命のもとに配置されねばならなかったのか、障害者や被差別部落出身者が抱くのと同じ疑問を感じるに違いない。
 私は、誰がいかに偉大なことを成し遂げても、こうした人々の偉大さの足許にも及ばないと心の底から感じる。そしてカール・バルトの言葉がますます心に染み渡る。

 人間と人間仲間のあいだにあって、すばらしく思わせるものはすべて仮面である。(『ローマ書講解』小川圭治・岩波哲男訳、河出書房)
 
 これらの言説の全てを、ではそれは哲学者としての理念からそう言っているのか、それとも人間性から迸り出たものなのかということを問うことには恐らく意味がない。中島の持つ人間性や性格や資質や行動が持つ傾向性がそのまま彼を哲学者という職業へと結び付けているその現実だけを見つめるべきであり、その哲学理念と性格論的な傾向性を分けることなど出来はしない。私が前回「中島義道という著作家には明らかにこのような自己矛盾を自己矛盾のまま提示するというスタンスもある。それはある意味では彼の資質に因るものであるし、ある意味では哲学者としての理念に因るものであり、その二つを切り離すことも出来ない」と語ったのはそういう意味からである。
 確かに中島には例えば①に描かれた日本に固有の庶民的誇りに対してインテリ、エリートクラスの人間の立場に立って逆差別的な社会の強制的友愛主義的モラルへ批判しているが、 あらゆる賞賛に冷淡であること では全く逆に褒章を得た成功者へと批判の矛先を向けている。しかしよく注意して見てみるとこの二つは矛盾していないことにも気づく。何故なら中島が忌み嫌っているものとは端的に庶民感情(それは経済力の有無ではない、向こう三軒両隣的、袖触れ合うも多少の縁的対人術と人間関係観である)なのであり、褒章を獲得する全ての市民は端的に中島の論理に因れば大衆とか民衆とか庶民にとってのヒーローなのである。
 東大で官僚的出世をしていった自らと同級生たちから見ればドロップアウトしたと自覚しているは言え、官僚として成功している自らの同級生たちに対する羨望と純然たるエリート街道からら外れていく自分でしか見られない固有の挫折と屈折した心理(「たまたま地上にぼくは生まれた」や「生きてるだけでなぜ悪い」等においてエリートになりきれず、そうかと言って完全に学歴社会的敗北者でもないという固有の自分の社会における立場について告白している)が哲学探究という道に活路を見出した時、社会正義を哲学者としての固有の世界観から書いていこうという決意を彼に与えている。
 しかし本質的に自分が挫折していると感じている多くの人々にとってやはり何かを受賞するようなエリートとかインテリといった人たちは憧れを抱くことを許される存在であり多くの人々自身はそういう存在があっていい、あるいは必要と感じているのではないだろうか?
 それは祭り意識にも通じるものである。オリンピックなどで金メダルを取る選手に対して、野球や相撲といったスポーツに熱狂する感情全てまで奪う権利は誰にもない。
 また中島のように我が子を車で轢き殺してしまった女性などに対して抱く「それでも尚生きていく人間の姿」へ尊崇の念を捧げるということ自体は恐らく誰しも抱く感情である。しかしそれを態々著作物に示し、モラル論的に展開するということ自体に対しては読者でも賛否両論分かれるだろう。
 つまり通常我々はそういった打ちひしがれて生きていく人の姿を直視すること(実際に興味本位で見るということではなく、そういう人が必死で生きて行く姿をしかと認識しておくこと)を大切なことであると知りながら、あまり見まいとする。しかしそれはある程度自分が不幸であると認識している人間にとっては当然許された態度である筈だ。つまり不幸であると自分で思っている人間は自分よりも不幸な人を見つけて優越感を得ることよりは、そういう人を敢えてみまいとして、逆に自分よりもずっと成功している人を偶像視してそれを自分の立たされている現実と切り離して、何か映画や芝居を見ている(ある部分では現実逃避することで苦悩を忘れる)ように憂さを晴らす気分を得るということはよくあることではないだろうか?
 勿論ここでも常に二つの両極的タイプは存在しよう。例えば件の我が子を轢き殺した母親のような立場の人たちが共にコミュニケーションを取ることで心を支え合うということもあり得るだろうし、逆にそういった過去を他人にはひた隠し一切そういう内心の感情を示さずに生きていくというということもあり得る。 
 そしてここでは後者の立場を取る人たちにとって自分と似たような境遇の人とコミュニケーションを取ることが億劫で辛いことだと思うことも十分考えられないだろうか?そういう人たちは極力件の母親のような生き方の人たちのことに対して関心さえ持たないように無意識の内に心がけていることだろう。
 哲学者中島もそこまであまり幸福ではない人に対して自身のモラルを強制出来るだろうか?それはかなり経済的にも学歴的にも努力してかしないでかに関わらず恵まれた立場の人間だけが心得ておくべきマナーと言っていいのではないか?
 そしてここでも中島は「敢えてそれを書く」「それでも私は書かねばならない」と決意したところに哲学者としての生理と使命感があるのであり、そのように「一体どこまで書くことが許されるのか、どこまで書けば人は不快感すら催すのだろうか」という問掛け自体が中島の執筆姿勢を支えているのである。
 このことは第三章 中島義道の哲学的動機と永井(中島義道の不幸道)、第四章 二人の哲学者にとっての著作者としての性格、第五章 中島義道の不幸道②・哲学動機と先人の哲学者たち(デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、ウィトゲンシュタイン、サルトル)において随時詳細に論じていくから触り程度にしておくが、このような執筆姿勢を私は「読者共感試験型執筆姿勢」と呼ぼうと思う。
 これはかなりよく文学者たちが採用する手法である。しかしそれを寧ろ地味なタイプの学徒である哲学者が敢えて採用するところに中島の大いなる冒険があり、彼に固有の哲学者としての地位を与えている。

 つまり哲学者は百パーセント社会が規定する哲学者であらねばらないのではなく、厭そうであり得る筈がなく、またそうであり得ないことを隠すべきでもない、とも言える。サルトルが「存在と無」で冒頭、自己欺瞞という概念を提出しているのは職務や社会的ロールの全ては一切演技だけで成立しているのでもなく、逆にまた全て個人的性格だけで成立しているのでもない、つまりその二つに分離することの不可能な地点でのみ全ての社会行動が実現しているのであり、ある意志決定や決断、責任的行動は、その人間の理念、思想、習慣、社会的責任、良心、性格的判断といった全てが微妙に統合されてどれが一番優先してなされると言い切れるものではないということを語っているとも言える。勿論時には「私はあの時組織の意向を最優先しました」などと結果論的にそう語ることは出来る。それは対外的、対社会的な構えにおいてそう語っている(あるいは語らざるを得ない)のであり、そういった告白の信憑性を常に百パーセント信じていいものかは言わずもがなであろう。
 「差別感情」において中島は次のように自責的に語っている。(151~155ページより、第二章 自分に対する肯定的感情 中 家族至上主義)

 現代日本において露骨な愛を注いでも許される唯一の組織がある。それは家族である。自分は国家や会社に身を捧げ、国家こそ会社こそ自分の生きがいであると語ることに一抹の気後れがあるのに対して、家族に関してだけは、家族を心から愛しているとか、家族こそ生きがいであるとか、家族の幸せを心底願っている・・・・・という露骨な愛情表現が大手を振って歩いている。誰も眉をひそめず、問題にもしない。ただただ、ごく自然な同意と弛緩した(定型的な)賛意が振りまかれるだけである。
 庄司洋子は「不平等・不公平の源泉としての家族」という観点を鋭く打ち出している。

 現代家族の特性として一般にもっとも強調されているのは、家族成員のなかに生じる人格的な関係、あるいは情緒的な関係である。多くの家族意識調査のなかで、「愛情」「いこい」などと表現されているのがそれである。そこには、家族関係を、個人が食べて生きていくために不可欠な社会関係としてではなく、より文化的で人間らしい欲求を充足するためのものとみたがる現代人の願望が反映されている。・・・・・そこに、家族は「よきもの」という絶対化が生じうるのである。(「非婚をめぐる差別」『講座 差別の社会学2 日本社会の差別構造』所収、弘文堂)

 あらゆる愛の表明の中で、家族愛の表明だけが特権的に安全なのだ。いかなる咎めも受けず、いかなる批判も浴びない。これは、家族に恵まれない人、家族のいない人、いやそれよりもさらに、家族を愛せない人、家族を憎んでいる人、恨んでいる人、縁を切りたい人にとっては、きわめて残酷な事態ではないだろうか。
 実際のところ、必ずしも彼らが不幸であるわけではない。だが、現代日本を支配する家族絶対主義の強力な磁場の中で、彼らは世にも不幸な人々とみなされてしまう。障害者に対しては「不幸でしょう?」という言葉をぐいと呑み込む人でも、家族もいなくて天涯孤独な老人に向かっては躊躇することなく「お寂しいでしょう?」という言葉をかけて、何ともないのである。
 現代日本では、家族は絶対的に「よきもの」とみなされているがゆえに、家族と縁を切った人、家族に恵まれない人、家族関係がギクシャクしている人は「かわいそうな人」なのだ。家族至上主義を崇め奉っている多数派は、家族を愛することは「自然だ」とみなしているからこそ、それを欲しない者を頭から非難し排除する。彼らは、この幸福をすべての人に要求するという凄まじい暴力を_あくまでも穏やかな形で_じわじわと実行するのである。
 彼らは、「娘が嫁に行きましてね」としみじみと語る父親には、「娘を嫁にやりたくない気持ちはわかりますよ」と声をかける。さらに、「娘に孫が生れましてねえ」と報告すると、瞬時に「眼に入れても痛くないでしょう」と答える。そして、こういう会話を投げ合いつつ、自分たちは正統派であると確認し合い、その幸せを分かち合って、いささかも反省することがないのである。
 これは、「娘の結婚相手が被差別部落出身者でなくてほっとしました」とか「孫に手足があって、よかった」という会話と基本的には同じなのに、現代日本において家族愛は幾重にも保護されているからこそ、そのうちに安住している者は自己批判精神を完全に喪失しているのである。
 感受性の鈍い人のためにもう少し続けよう。「妻が亡くなりまして」と語ると、多くの人が真剣な顔つきで哀悼の意を表する。そう語る当人もそのことを幾分期待している。冷淡な反応を示す人を無礼だとさえ思ってしまう。このとき、わずか一瞬でもいいから、自分の傲慢さを自覚する必要があるように思う。
 なぜなら、これが法律的に保護されていない性的パートナーの場合は、様相ががらりと一変することを彼は知っているからである。普通、男は明るい席で「不倫相手が亡くなりまして」とも「不倫相手に産ませた息子が亡くなりまして」とも語らない。そう語ったとしても、みな顔を見合わせるだけで言葉がないからである。
 同じことは、子供の誕生の場面でも言える。正当な結婚をして子供を授かったときのみ、夫婦はおおっぴらにその喜びを公開し、周囲の人に祝福する。だが、望まない子供の誕生も多々ある。男から棄てられたあげくの自殺寸前の出産も、強姦されたあげくの子供の誕生もある。結婚して子供が生まれたとき、みなの祝福を期待し「大きな顔をして」報告するとき、あなたはすでに(潜在的)加害者なのである。
 こうして、家族愛の正統性は堅固に保護されているがゆえに、その絆を強調することが、とりもなおさず非正統的関係を排除する構造になっている。女性の場合に多いように思うが、子供をもたない者は子供をもつ女との会話を幾分いとわしく思う。なぜなら、女にとって、子供を産み育てたことがあるかないかは大きな差異をなし、自分は断じて子供をもちたくないとしても、「女は子供を産む方が自然だ」という社会の磁場が示す方向を変えることはできないからである。
 私自身、結婚して子供をもって、正統派に属することはきわめて居心地がいいとともに、人間を限りなく鈍感にすることを痛感した。「妻の誕生日でして」と語っても「これから息子をプールに連れて行くんです」と言っても、一挙に暖かいまなざしが注がれる。それ以上、何の複雑な説明も要らない。私はただ平凡な家庭人として優しく見守られるだけである。
 こうして、家族に「いこい」を求めえた人は、不断に甘やかされ、そのことによって頭脳が単純化し、麻痺し、知らないうちに多くの非婚の人や家族関係に苦しんでいる人を傷つけることになる。しかも、このことにわずかの罪責感ももたないほど鈍感である。

 戦後日本人にとって家族愛ということが持て囃されるのはアメリカからの影響もあるだろう。しかしそれ以前から日本では大家族という制度があったが、それは既に崩壊したということは明らかである。だがその代わりにアメリカ式の夫婦愛を軸として核家族が最後の砦として残されている(尤もアメリカでは夫婦ごとに所帯を持っていても尚大家族的愛情は美徳とされている)。だが全てアメリカ的でもない。日本ではアメリカと違って私の大嫌いな映画監督、小津安二郎による「東京物語」的父と娘像において未だに父親が娘を自分の手元に置いておきたいというエゴが美談として語られる。だが後半部分になるといささか食傷気味になる読者も多いだろうと私は思う。しかし敢えてそれを中島は書くことを選ぶわけだ。
 だがこの中島の見方も中島自身が仕事で使う以外では恐らくあまりヘビーユーザーではないだろうパソコンや携帯電話などに対する愛着が現代青年たちよりは欠如しているが故にこのような実体へと眼が向かうという側面も否めまい。つまり現代ではやはり旧態依然の家族制度的な現実を素直に受け入れる人と、そうではない人に分かれるかも知れない。だがやはり若い人同士でも結婚している人とそうではない人との間にある見えない壁は存在するのであろう。
 だがこの世の中にはここで中島が語っているようにある意味ではかなり自分自身が社会によって判を押されたような幸福観を提唱してそれに随順した人生を全うしている人自身が次第に「自分は社会的に幸福な立場にある」と考え、そうではない人を気の毒に、とそう思うようになることがあり、それを彼は傲慢であると捉える。
 しかし彼自身もまたある意味ではその顰に倣っているとも言える。何故ならそう語ることは自分自身では独身ではないからであり、結婚している人でしかも家庭が円満な人に較べれば自分はそれほど平和な家庭ではないという負い目を追いつつ、自分よりももっと恵まれない一度も正式に結婚出来ないままでいる人を下位に置き、安心しているという図式が中島自身の本論中の論旨にあるように読み取れることはどんな読者の目から見ても明らかだ。その意味では例えば未だに独身である私のような立場の者からこの本を読めば「余計なお世話だぜ、ほっといてくれ。俺たち独身者の気持ちも理解出来るわけない癖に」とそう言いたくはなる。それは僻みからではなくもっと率直に人それぞれでいいではないか、それ(このようにくだくだと詳しく書くこと)こそがお節介であると思うからである。しかしそれでも中島はそれを書くことを止めない。その事自体が重要なのだ。
 確かにある本を読んで自分の立場から見たらこんなことナンセンスだとそう思うことはある。だから私も全ての本を最後まで読破するわけでもない。
 しかし一方一読者として自分自身の状況とは無縁に客観的に読むということはどんな立場の人でも可能であろう。そういう意味ではこの箇所は然程神経を尖らせる人は少ないかも知れない。寧ろこの種の問いである種の拒否反応を持つ人がいるとしたら中島によって出された次に示す東大生と職人との間のテレビドキュメントのエピソードであろう。(138~139ページより、第二章 自分に対する肯定的感情 中 うちに籠められた優越感)

 ある日のNHK教育テレビの番組の番組は不快なものであった。将来に悩む互いに見知らぬ若者が二人で数日間にわたって意見交換をするというドキュメンタリー番組であるが、その日の主役は、自分の将来が見えない東大生A君と高校卒業後職人の道を歩み出したB君であった。A君がB君を訪ねていくところから場面は展開する。
 A君はしきりにB君に、「将来がしっかり決まっているきみがうらやましい」と言う。B君はA君に言葉を尽くして「自分はそんなに偉くはない、しかし満足している」と答える。後でB君の両親も出演して、B君を誇りに思っていると語る。そういう彼らに、自分は駄目だと言い続けるA君に向かって母親が何気なく「でも、東大に受かったんだから偉いよね」と口に出したとたん、A君は「いえ、そんなことありません」と抗議し、「B君のほうがよっぽど偉い」と強調する。こうして、最後まで、A君は偉くなくB君は偉いのであって、B君がA君を「慰める」のであった。
 画面からA君の「うちに籠められた優越感」が伝わってきて、きわめて厭な感じであった。B君は本当にいまの自分に満足しているらしいが、それでもA君は「東大に入ったんだから、いいじゃないか」と言いたげな、それでいてそれを言ってしまうと自分の信念が揺らいでしまいそうになるという居心地の悪さを感じた。
 こうした構図は世間でしょっちゅう見いだせる。社会的優者は、相手を配慮して相手を賞賛し自分を卑下する。社会的劣者は、そういう相手の(狡い)気持ちを察知して、しかも相手の「うちに籠められた優越感」に打ち負かされたくないので、相手を賞賛することを控え、自分を卑下することを控える。
 こうして、そこには不透明で濁りきった空気が漂う。
 先に軽蔑について分析したときに明かになったように、現代日本社会においては「表明されない軽蔑」が各人の心の内部でくすぶり続けている。いまの事例の場合、A君はB君を軽蔑しているのではないだろう。本心から尊敬しているのかもしれない。しかし。A君は東大生であるという事実、それが同年代の青年のうちでの紛れもない成功者であることを知っている。
 彼は、自覚的には、そのことに対してほとんど優越感を覚えていないかもしれないが、しかし_ここが問題なのだ_彼は自分が社会的優位にあることに負い目を覚えているわけではない。自分の社会的優位をそのままにして、下位の者を偏見なく暖かく見ているだけであり。これは無限に簡単なことであり、そのことにより「謙虚」という賞賛を浴び、そのことに彼が悩まないとすれば、無限に狡いことになる。
 別れたあと、B君やB君の両親のうちに何やら居心地の悪さ、言語化できない不快感が残ったのではないだろうか?とりわけB君は_事実いかに感じたかは推測するしかないが、そして本人にさえわからないかもしれないが_一瞬「自分はこれでいいのだろうか?」という疑問にとらわれ、そしてその疑問を吹っ切って仕事に取り掛かったように思われる。

 つまり多くの読者は中島自身が東大出身者であるという事を知って読んでいるので、この箇所にはある種の自虐的ナルシズムの臭みを感じる人は多いかも知れない。
 しかし実はそれ自体さえそういう部分が好きで中島義道のエッセイや論説を読むという人も他方必ずいるのである。そして中島はそういう人にだけそっと語りかけているとも言える。ここでも中島の全ての人に語りかけることなど出来はしないといういい意味での諦念が示されている。
 まあ一言言わせて頂ければ有名大学に入学するということはやはり人生の最初のステップの勝者にしか過ぎず、問題は卒業した後どれくらいの仕事を出来るかである。尤も確かに日本では有名大学卒業の方がより就職条件として有利であろう。そのことは否定しない。 
 要するに中島がここで言いたかったこととは、敢えて東大生と職人の道に進んだ青年を比較するような試みを番組が仕組んでいることである。これ見よがしではあるからだ。
 尤も職人になるのは自由だし、若い青年にとっては一大決心ではあるだろうが、この中から本当に優れた人になれるのは極僅かであろう。それは東大生の今後と変わりないとだけは言える。
 もう一つだけこの本で釘付けになった箇所があるので、一応部分的に抜粋しておこう。
(第二章 自分に対する肯定的感情 中 141ページより、社会的劣位に立つ者の自尊心)

 先に検討した「人間としての誇り」に比べて、それほどの極限状態に陥っているわけではないが、高学歴を有した小説家や評論家や大学教授ほどの知的職業を目指しながら、志を遂げない人々の群れが最も自尊心を抱きやすい。彼はかつては学校秀才であり、仲間たちのうちで明らかな優位に立っていたが、いまやその多くの者にも後れを取り社会的にもは劣位に立つことを余儀なくされている。この逆転に対する苛立ちが、彼らの自尊心をさらに燃え立たせるのである。

 しかしこの人は優位とか劣位といった虚栄的心理に異様に関心があるのだな、と私はこの箇所を読んだ時そう思った。しかし少なくとも自分の中の「私はそうではない」という意識を隠蔽して、先ほどの東大生のように自己卑下を相手に示すようなことだけは絶対したくはないという気持ちだけは伝わってくる。

 ここで今までの話しを鑑みて、ちょっと私なりに自己流であるが考えてみると、結婚というものが幸福である(少なくとも相手とあまり波風も立てずに生活出来て、間には子供もいるという条件が揃っているとしよう)としてそのことに対して充足していない人に対して結婚をしている人であるなら、あるいは中島の言うように「気の毒に」とそう思うかもしれない。
 例えば人生に一回だけ恋愛をして肉体関係もあった相手がいて、その後すぐに別れてその思い出だけを胸に生涯独身である人を、そういう衝撃的経験はないけれども平凡な結婚をして子供も儲けた人が気の毒に思うということは社会的にはあり得るかも知れない。しかし面白いもので、理想の異性と一回だけ相手をして貰いその後その思い出だけで生涯独身である男性が私の隣に座ってその一回だけの恋愛をしてよかった、と私に語ったとしても恐らく私はそれがその人の幸福であるのなら別段それでもいいと私ならそう思う(事実エリック・サティ<作曲家>は生涯に一度だけ画家モーリス・ユトリロの母親であるシュザンヌ・バラドンと恋愛関係に陥り<ユトリロは少年だった>数ヶ月の蜜月の後に離別して、以後一生女性とは縁がなかった)。
 しかしそう思えない、気の毒にとしか思えない人もそれは中にはいるのだろうとも思う。要はこのことはそれだけでのことである、とも言えるくらいに小さな問題である。
 その意味ではそういうことに至るまで根掘り歯掘りこういった論説を企てる中島義道という論客はよほど社会的正義感が強い人だな、と感じる人は多いに違いない。何故このように拘るのかということにおいて中島義道は少なくとも自分が特別な人ではない、と考えしかも特別な人間であってはいけないと考え、少なくともそういう特別な人間となって上から目線で全てを語る論客になりたいなどとは露ほども考えていないということを積極的に示している(時には示し過ぎてもいるが)ということである。それが恐らく現実の全てであり、それが哲学者としての理念とか使命感からか、人間性からかということを考えることは全く何の意味もないとは既に述べてきたとおりである。
 しかしこの問題も実はかなり著述家としての中島のスタンスとか哲学的命題とも密接に結びついているので、この部分からの論説は一旦中断して、又別の機会にそのことは考えてみることにしよう。
 しかしこの種の他人に対して気の毒に思うこととか、社会における矛盾を考えること自体は常に人間がしてきたことである。その一つの孤独死の問題がある。そしてこれも第二章で扱おうと思う。

 時に言葉は他者を深く傷つける。先に引用したサリドマイド児に対する記述もその障害の人が実際に読んだらどうだろう?当該者ならその記述自体に憤りを通り越してある種の絶望感を抱きさえするかも知れない。
 しかし中島の視点とはそこにあるのではない。そういう可能性があることを重々承知で敢えてこの種の論説に踏み切らせるものとは恐らく日本が(他の国でもそうであるかも知れないが、中島は我々と同じで日本人であるから、そこから問題を見出していくしかないし、そうすべきである)障害者への差別に対して厳重に処罰する空気が倫理的に濃厚であることが実は端的な逆差別ではないのか、という視点からこのテクストでは主張しているのである。つまり我々は障害者に対しては向こうが多少横着な態度を取ったとしても尚大目に見てあげなければいけないという不文律があるのなら、それこそが本質的差別だと言っているのである。この論点は先に引用したウーマンリブ運動の闘士たちへの批判でも内在していた。
 この中島による告発をもう少し分かりやすい例で考えてみよう。
 ここのアルツハイマー病に冒された父母のどちらか、あるいは両方を持つその息子夫婦の立場から考えてみよう。この息子夫婦は益々日々黄昏を生きる父母の為に自分たちの幸福の一切を諦めなければいけないのだろうか?つまり介護者の側の苦悩を決して語ってはいけないのだろうか?だってそうすればそれも又一つの障害者に対する差別になるからである。
 そうではないだろう。
 つまり言葉自体は確かに理解する者に対しては酷い棘になることもある。では相手が既に言葉の意味さえも理解出来ないアルツハイマー患者であるなら、何を言っても許されるのか、どんなに自分たちが育てた子供なのだから迷惑をかけてもいいのだろうか?
 とどのつまりそういった問いへとサリドマイド障害の人たちへの違和感を述べることの正当性への問いは抱き合わせになっている。
 つまり言葉とは一つには同じ感覚を共有しあう存在者間において意味伝達、意思疎通上の権利問題という位相で語られるべきであり、更にもう一つとしてはどの社会成員にも伝達されることが適切か否かという位相において語られるべきものである、ということだ。
 この問題は生理的欲求充足としての言葉の持つ自然事実と、社会成員的存在者としての国家、民族共同体成員としての社会事実としての全く異なった位相による権利問題としての問いが介在している。
 そしてこの二つは同時に我々にとっては必要だが、しばしば相互に衝突し合い、矛盾が生じることもしばしばだ。中島が語る哲学の誠実性とは、この権利問題へと関わる。
 中島は「差別感情」に於いて、序説 何が問題なのか に於いて 「自然である」という判断に潜む差別感情 に於いて、次のように述べている。(序章 何が問題なのか 中 「自然である」という判断に潜む差別感情 17~19ページより)

 こうした態度は、「自然である」という言葉を因習的・非反省的に使用する態度からの決別と言いなおしてもよい。フッサールの言葉を使えば、各人が自然的態度から「現象学還元」を遂行して、そこに開かれる新たな世界を見渡すことがここに要求されている。なぜなら、差別問題において「これは、差別ではなく区別だ」と言い張る人は、「自然である」という言葉を因習的・非反省的に使いたくでうずうずしているからである。それは男として自然だ、女として不自然だ、中学生として自然だ、日本人として不自然だ・・・・・というように。彼はこうした反省を加えない「自然である」という言葉に行く着くことによって、すべての議論を終わらせようとする怠惰な「自然主義者」なのである。
 彼はそこに潜む問題をあらためて見なおすことを拒否し、思考を停止させる人である。「結婚するのはあたりまえ、女が子供を産むのは自然」という結論をいつも手玉にしており、その鈍い刀ですべてをなぎ倒すのだ。
 ある人が、差別におけるコンテクストにおいて「あたりまえ」「当然」「自然」という言葉を使用したら用心しなければならない。差別感情の考察において、「子供が学校に行くのはあたりまえ、大人の男が働くのは当然」と真顔で語る人こそ、差別問題を真剣に考えている人にとって最も手ごわい敵である。なぜなら、彼らはまったく自らの脳髄で思考しないで、ただ世間を支配する空気に合わせてマイノリティー(少数派)を裁いているのだから。しかも、そのことに気づかず、気づこうとしないのだから。
 六年前のことだが、大変悲しい事件がすぐ私の傍で起こった。就職のことでも結婚のことでも悩んでいた青年が葉山の海岸で入水自殺したのである。その通夜に席で、息子の棺を前にして父親は「結婚するのも、就職するのもあたりまえのことじゃないか!」と叫んでいた。私は「まさにそういう考えが彼を追い詰めたのだ」と涙を流しながら確信した。だが、私は何も言わなかった。そう語る父親の無念さがよくわかったからである。彼はもう十分すぎるほど苦しんでいたからである。息子によって復讐されたからである。
 差別に対するとき、最大の敵は「よく考えないこと」である。あらゆる差別はよく考えないこと、すなわち思考の怠惰から発生する。よく考えると、すさまじく複雑に入り組んでいる問題が鮮明に見えてくるのに、よく考えない者にはそれが見えてこない。見えてこないから、そこに問題はないと思い込むのだ。こういう怠惰な輩が差別における最大の加害者である。しかも、自分が加害者であるとはつゆ思っていない鈍感きわまりない加害者である。

 この中島の論説を下に考えると、先ほどのアルツハイマー病の親を介護するのは当たり前ではないか、自然ではないかという言葉によってある息子夫婦は生涯の貴重な数十年をひょっとしたら犠牲になるかも知れないと思う時、勿論そのことで病んでいる親を見殺しにすることは決して出来ないけれど、この介護自体が齎す苦悩に直面する息子夫婦の人生における幸福追求のための問いは「正直に」誰か親身になって相談してくれる人に語られるべきではあろう。
 そして中島はこれらの自らが加害者であるという意識に対する無頓着を日本に固有の文化的感性を起源であると捉える。そのために文化人類学的考察も行っている。少し長いが重要であると思われるので掲載しておこう。(第一章 他人に対する否定的感情 中 オソレとケガレ、オソレは現代に生き続けている 108~112ページより)

 オソレとケガレ

 次に、わが国の差別の歴史を感慨してみる。稲作、仏教、天皇制が浸透すると、村に定住し稲作に従事し仏教を信仰する「常民」(柳田國男の造語)の基準がはっきりする時に、それについていけない人間がその集団から排除されていった。これはケガレと結びつき、彼らは常民のなしえないケガレに繋がる仕事をなす者(動物を扱う猿回しや皮革業など)として社会的場を与えられていった。
 わが国において、そうした集団が差別の対象となっていったと考えられるが、その中には身体障害者や「らい」と呼ばれた病者も含まれていた。とはいえ、ケガレは必ずしも純粋な否定的概念ではなく、常民集団から排斥されながら、同時に呪術的力をもつ者とみなれていた。網野善彦によると、ケガレがもともと含意していた二重性は、すでに十三世紀においいてマイナスの意味に限定されていた。

  どうしてこのような意義ができあがったかについてはいろいろな議論がありますが、私はこのころ〔十三世紀_中島〕ケガレに対する観念が変化してきたことに理由があると考えています。それ以前のようにケガレを恐れる、畏怖する意識がしだいに消えて、これを忌避する、汚穢として嫌悪するような意識が、しだいに強くなってきたことによるのだと思います。(『日本の歴史をみなおす』筑摩書房9

 ケガレはオソレと結びついている。オソレとは、「恐れ」と「畏れ」とが分かちがたく結びついた概念であって、ケガレを清める力をもった者もまた被差別者であった。被差別者は、人間以下の者(動物に近い者)として恐れられたと共に、人間以上の能力をもった者として畏れを抱かれてもいたのである。こうして、かつては、被差別者に対するオソレが「恐れ」と「畏れ」の二重構造をいていたがゆえに、つまり「恐れ」が「畏れ」に裏打ちされていたがゆえに、彼らにまだ社会的場所はあり、その意味で救いはあったのである。
 斎藤洋一と大石慎三郎は、『身分差別社会の真実』(講談社現代新書)において、江戸時代における穢多・非人が置かれていた状況を描き出しているが、彼らを現代から悲惨であると決めつける危険性を警告している。

 オソレは現代に生き続けている

 反省してみると、じつは現代日本人もまだ恐れと畏れの入り混じったオソレから完全には脱出していないことがわかる。海開きや山開き、あるいは地鎮祭は、単なる気休めなのだからやめればいいものを、絶対にやめない。海開きをしなかったがために、水難事故が多発すると気持ちが悪いからであり、地鎮祭をしなかったがためにその家に不幸が続くと後悔するからである。つまり、これらの行事は完全な因習なのではなく、気休めとしてもなおその威力をわれわれに及ぼすことができるのである。
 言霊思想がこれに結びついている。「死」と「四」とは単なる単語の発音の同一性があるだけなのに、病院には四号室がなく病院のベッドには四番がない。結婚式で「切る」と語ってはならず、試験前に「落ちる」や「すべる」という言葉を使ってはならない。言葉に力があると思い込んでいる習慣からわれわれは抜け出せないでいるのである。
 なぜか?合理的原理で動くように見える現代人も、禍の究極の原因はわからないからなのだ。でなければ、なぜ結婚式は大安の日に予約が埋まるのであろうか?仏滅の日に閑古鳥が鳴くのであろう?これほどの絵馬・達磨・破魔矢が売れるのであろう?縁起を担ぎ、占いがはやり、おみくじが廃れないのであろう?もちろん、平安時代の貴族のように日常生活がそれでがんじがらめというわけではないが、やはりこのすべては恐れという感情と結びつけなければ説明がつかない。
 こうしたオソレが日本人の心に生き続ける限り、不合理な差別感情もまた根絶されないのである。
 ここでまた個人的信念を吐露すると、二十年前までは、私もごく普通に神社を訪れて破魔矢を買ったり、お寺の境内で達磨を買ったりしていた。葬式からの帰りには玄関先で自分のからだに塩を振りかけた。だが、その後ぷっつりそうしたことをしなくなった。結婚式にも葬式にも行かず、祝いの言葉も語らなくなった。単に不合理だからではなく、ここに一つの暴力があるなあと感じたからである。
 同じ振舞いを読者諸賢に勧めるわけではない。だが、こうした「迷信」にあまりにも没入することは危険であると思う。占いや運勢に過度に左右される人は、差別感情の強い人になりやすい。オソレ(恐怖)のあまり、人間はどんな残酷なことでもするということは、中世の魔女狩りやナチスのユダヤ人迫害のみならず、常に肝に銘じておかねばならないのである。
 しかし、現代における次の現象も恐れてはならない。オソレが恐れと畏れの二重の意味を保持しているあいだは、オソレれられている者の居場所はある。だが、それが「畏れ」という意味を脱落させて「恐れ」に限定化されると、被差別者は単に恐ろしい人になってしまう。とりわけ、明治以降の近代社会において、オソレから「畏れ」の要因は希薄化したが、人々の差別意識が残存し、その結果、被差別者は単に恐れられる者へと転落していった。同時に、差別それ自体が人間の平等に反する「悪い」こととみなされ制度的に差別は撤廃され禁止されると、それでも根強い差別意識は残っていたので、かつてはいたるところに見えた差別は見えなくなり隠されていく。被差別者はますます誰も見たことのない「恐ろしい」人となっていく。これが差別にまつわる現代特有の残酷な事態である。

 この箇所は最後の人間のマイナスの想像力が元凶となっているという主張は、言語が差別意識を生むと考える中島(次回そこのところは詳しく論じる)にとっては重要な認識である。
 しかしこれらの記述内容一切は、「差別してはいけない」とされる当該者が読めば、やはり読めば何らかの形で不快感を催すものでもある。
 しかしこの時中島は道徳論者として一切差別対象として取り扱われる当該者の権利死守の為には何も語ってはいけないのか、という自然事実的権利問題を念頭に置いて考えているのだ。そしてそれは中島が一人の哲学者としての誠実性へと目覚める瞬間でもある。
 ニーチェ、フッサール、サール等各時代のどの哲学者によっても語られてきた誠実性という命題は哲学者個人に対して自己の哲学的感性を一般化する使命へと駆り立てる。しかし哲学者は一方そのようにして一般化した自己からしか常に思考することが出来ないと自覚している。
 そしてその自己とは紛れもなく神でも仏でもないちっぽけな自己であり、その事実に忠実であるなら、自らの感性と相容れない命題へと突き進むことを彼は生理的にも受け付けない。その時彼は自己の感性へと忠実な表現方法を模索する。その一つの処方として中島が文学を選び取ったという事実はその意味では必然であったと言える。
 つまり彼は哲学者固有の理念に忠実に自己を一般化しようと欲すれば欲するほどちっぽけな実存者としての自己に直面し、その感性のどうしようもない解消出来なさを、鎮める為に哲学以外の方法を見出さざるを得なくなる。中島にとってはその一つとしてエッセイがあり、更に小説へと展開していくわけだ(事実中島は既に小説的エッセンスのものを「生きにくい・・・私は哲学病」において書いている。この 哲学童話 イマヌエルちゃん については次回「ウィーン家族」について解析する際に取り上げることとする)。

 しかし一方永井は同じ哲学者として中島同様、誠実性を論理命題へと組み込まざるを得ないが、中島のように語り得る限り語り尽くすという方向へとは自ら哲学者として向けられないのだ。つまり永井にとっての哲学的誠実性とは、極力語る「べき」命題を絞り込み必要最低限に留めておくという方向性へと舵を切るのである。その部分では永井は明かにウィトゲンシュタインの「論考」の結語を著作活動自粛性において実践している。中島が自らの日常的関心事項においてそうしているのとは少し違うが、共にこの二人の哲学者がウィトゲンシュタインの言辞を理解しているということはよく理解出来る。
 この二つの方向性の違いは実は二人の哲学者の文体にも違いとなって如実に現れている。そのことは 第七章 著作家としての戦略と哲学者の在り方 において詳細に分析する。

 今回の最初に挙げた中島による問題提起は、日本の一般大衆的娯楽に欠かせないユーモアやアイロニーの問題とも関わる。しかしこの問題もかなり根の深い。今回はユーモアとアイロニーの全てが中島によって述べられている前回の引用文の中の「これまで、差別についてさまざまな考察を重ねてきたが、その独特の見えにくさは、差別が人間社会にとって価値ある部分と微妙に接していることである。このことは「誠実性」という価値において極限に達する。私は自分の感受性と信念に忠実でありたいと願うが、まさにこの欲求自体が差別感情と独特な親和性をもつのである。」という部分に全てが実は集約されていたのである、ということだけを述べるに留め、いずれ本格的にその命題へも取り組んでいこう。
 だが触り程度に述べておくと、つまり我々の美意識の全ては実はかなりの部分で人間の残酷さと結びついている。例えばそれはヴィーナスのような理想美においてもそうだし、また笑いという要素は須らく残酷、つまり笑われる対象に対する軽蔑と差別感情が支えているということだ。つまり美にしても何にしても最高善とは端的に全ての悪を認めないといことから必然的に悪に対する究極の悪という要素があるわけだし、又笑いとは笑われる対象の中に滑稽さを発見することであるから、必然的に笑われる対象に対する侮蔑を必ず含むということだ。しかしこれらの要素は人間生活において必要である。従って我々はこれらを蔑ろにすることが出来ない以上、その自らの中に潜む悪を見つめ続けいかなければならないということだ。

 さて中島義道の哲学者としてのある種の潔癖とも受け取れる態度について粒さに見てきたわけであるが、ある部分中島の哲学的態度とも人間的性格とも言えるエッセイでの幾つかの記述では全く相反するようなタイプの言説の中にも見出せる。
 それは次のようなもの二つの間でもそうである。

(「私の嫌いな10の言葉」2000中、新潮文庫78~82ページより、 NHK『のど自慢』のやりきれない明るさ )

 ついでに、もう一つ私の「趣味」にかなった番組は、老舗のNHK『のど自慢』です。そこには、もう盲めっぽう明るい人ばかり出てくる。始まるや否や、舞台の上も舞台の下もゲラゲラ,ハッハッハッという爆笑の渦。出場者は、みんな親孝行であり、家族思いであり、夫婦愛の体現者である。アナウンサーが「天国にいるご主人に」とか「いつまでも元気なおばあちゃんに」とか「北海道で働いている息子さんご夫婦へ」と思い切り明るい声で紹介するなか、恥ずかしげもなくマイクに向かう。そして、こういう「思いやり節」の人ほど恐ろしく下手。
 プロのゲスト歌手がふたり審査席に控えていて、彼らは不思議なほど下手な歌に対しても褒めまくる。かならず出てくるのが、八五歳の老婆や九〇歳の老人。彼らもうんざりするほど下手。というか、歌になっていない。ところが、だいたい彼らが特別賞に選ばれる。テレビを見ているうちに、次第に私は体調がおかしくなる。息がつまってくる。軽い吐き気がしてくる。そして、やはり心臓がどきどき高鳴る。しかも、そうしながら、いつも全部終わりまで見てしまうのです。
 そんななかで、(ずっと前の)ある日の出場者の「造反」はおもしろかった。そのとき、カネ二つの出場者は唖然としている。アナウンサーがゲストの歌手に感想を求めると、「とてもお上手で、感心しました」とのたまう。すると、するとです。その男は「じゃ、なぜ合格じゃないんですか?」と素直に聞いたのでした。アナウンサーはおろおろして「いろいろありますからね・・・・・・」とか言って、「はいっ、次の方!」と大声で叫んでいましたが、あれほどおもしろかったことはない。たぶん(いや絶対に)、リハーサルの段階で、出場者は結果に対して文句を言ってはならないと厳しく言われているはず。ところが、それをみごとにびりびり引き裂いて、私を現実の風通しのよい世界に引き戻してくれた。尻のむずがゆさも、息苦しさも、心臓の高鳴りも、あっという間にふっとんでしまいました。でも、この男もバカだね。歌手が褒めるのはしかたなくであることがわかないのだから。彼の顔めがけて「ひとりで歌っているんじゃないからな!」と言いたくなります。ああ、愉快だ。ああ、いい気分だ。
 と書いて、このへんでむやみに中野翠くさい表現だと自分でも気がつきました。目下熟読しておりますので、影響されたものと思われます。中野さんは、さらに「女性語」を巧みに取り入れて、味を出してる。「ああ、愉快ってのは、このことなのよね、いい気分だってのは、このことなのよね」という具合に。こうしたほうが、たしかに味が出るでしょう。私も真似て(ビートたけしのように)適当に「男性語」を加えて、「ああ愉快ってのは、このことだぜ。ああ、いい気分ったあ、こいつのことじゃねえか」と言うと味が出るのかもしれない。
 しかし、もうひとひねり考えると、女である中野さんは「・・・・・じゃねえか」という男性語を使えるが、男である私は(普通)「・・・・・なのよ」という女性語を使うことはできない。ここに(一般に)女はスカートもズボンもはけるが男はズボンだけ、という男女不平等が開けてくる。
 これは、もともと女性の言語的被差別状況から生まれたこと。女性の学者は、論文を書くときは「・・・・・・なのよ」と書いてはならず、「・・・・・・なのである」とか「・・・・・・ではなのだ」と書く。これは男性語です。講演となると、やや女性語をまじえて「・・・・・・と思いますの」と言ってもいい。そしてパーティーともなれば、ビールを注ぎながら、「・・・・・・ではないのか」と言ってはならず、ほぼ完全に女性語を駆使して「ほんとうに困りましたわね」と言う。この間、男性は丁寧さ(堅苦しさ)をほどよく加減すれば男性語で通せるわけです。
 これは英語帝国主義と同じ構造をしている。英米人(英語母語国人)は世界中英語だけです。われわれ非英語母国人は、英語と母語との二重言語を巧みに使い分けねばならない。一見、英米人のほうが便利に見えますが、一旦マスターしてしまえば、非英語母国人のほうが豊かな言語生活を営めるのです。
 大阪人は大阪弁と共通語を自由自在に操って、東京・山の手人のほぼ二倍の豊かな言語空間に住んでいる。大阪女性とまりなすと、共通語男性語、共通語女性語、大阪弁男性語、大阪弁女性語という四言語を自由自在に駆使することができる。つまり、女性語や大阪弁といった被差別言語がその個人を豊かにしていく。差別構造がいつしか逆差別構造に転じていくわけです。女が「・・・・なんだよ」と言えて、男性が「・・・・なのよ」と言えない根は深いのです。

(「ぼくは偏食人間」2001改名「偏食的生き方のすすめ」新潮文庫中、201ページより、 ビーフカレーは食べられるが、牛丼は食べられない )

 世間の人は哲学に期待しすぎる。哲学者が「ほんとうのこと」を語りはじめたら、世間を流布しているほとんどすべてのコミュニケーションは頓挫する。多くの人が誤解しているが、芸術と哲学は相容れない。哲学的音楽や哲学的造形美術や哲学的文学などまやかし以外の何ものでもない。とくに、画家たちの哲学的センスのなさにはいつもいらだっている。上野の公募展などに行くと、「無限」とか「時間」とか「宇宙」とかの表題のもと、勝手な造形が並んでいるが「無限」をこんなかたちで形象化することはできない。
 哲学者が問題にするのは、なぜ絵画は離れなければ見えないのか、なぜ「泣いている」は描けるのに「泣いていた」は描けないのか、といった問いである。こうした疑問を描くことはなおさらできない。それはなぜなのか、とまた疑問が生ずる。

 まず前の引用文は、明らかに「差別感情」中の反エリート主義的庶民の誇りの本願誇り的部分の記述(今回の最初の引用箇所での①)と相通じる主張だし、「生きてるだけでなぜ悪い?」でも香山と語られている女性の男性化は認められても、男性の女性化は認められないという案外古い価値観(彼は対談で自分は古い考えの人間ですと告白している)が垣間見られる。最近は性同一性障害を含め、さして女性的男性に対して偏見の目も少なくなってきたから、これは中島の世代にとっては、ということなのだろう。まあそれはそれで理解出来はする。後半は完全に中島固有の差別論となっている。
 後者はもっと哲学専門的な感性の部分の主張であるが、共に「世間ではこう言う「不文律」がありそれにつき従っておればいいということでは哲学することなど出来はしないし、自分はそういう意味では哲学的問いを理解している、そしてそういうタイプの成員は社会ではそう多くはいないし、いなくてもいい」という考えである。これは開き直りとも言えるし、諦念とも言えるし、自らの社会でのポジション自体に対する受け取り方を謙虚に自省的に語っているとも言えるし、そのどれでもなくどれでもあるというところだろう。
 つまり中島義道という哲学者の中には、この差別的マジョリティーに対する告白と、哲学的命題論的資質とが矛盾なく同居しているのだ。これは私が前回述べた中島はそもそも広く一般の読者の為に執筆しているのではないし、且つ哲学者的命題を問う資質が全ての人の備わっているとも考えてはいないということとも勿論直結している。
 ついでに中島の問題提起に少しだけ取り組んでみよう。
 絵画は離れなければ見えないかということは単純で、絵を書く画家が離れて描いているからである。従って目を画面にくっつけて描いた作品(例えば山下清のような)は眼をくっつけて鑑賞する方が理に敵っていると言える。
 それから「泣いていた」は当世風のマンガの吹き出しを使えば描けないことはない。そのこと自体を考えることも更に吹き出しに階層を設ければ解決する。尤もそれは中島のような趣味のいい(中島義道は母上様も絵画を香月泰男に師事していたりして家庭環境的にもかなりの絵画通である。そのことは「孤独な少年の部屋」などでも書かれている)美術通には納得出来ないことかも知れない。
 そもそも絵画とは一瞬で全てを見渡せるものなので、文章のように時間の推移で理解する論理世界とは本質的に異なるとは言えるだろう(まあ、これはこれで大問題なのだが、ここではこれくらいにしておこう)。

 中島義道という哲学者、エッセイスト、作家を分析する上で極めて重要なことは自分自身あまり愛着というものを一切に対して持たない人間である、という自覚は自己に対してあるということだ。それはある部分では日本的庶民感情論的には冷たいイメージを抱かれがちであるが、それは違うのである。要するに彼は思惟の合理主義者なのである。その点は私もそうかも知れない。人間は死ぬのであり、いくら死んでいく人との別れを悲しんでみても死ぬとは全ての人類にとっての運命なのである。だから悲しいとか切ないという感情自体それは生きているという証拠なのであり、私は長寿を全うした人の葬式なんて明るくするべきだと考えている。
 中島の愛着のなさを象徴的に示している箇所は、「差別感情」中の先に引用した 家族至上主義 の少し前(第二章 自分に対する肯定的感情 中 3帰属意識 中 帰属意識とアイデンティティ 抜粋148~150ページより)に書かれている。

 現代日本では、愛国心に関しては、ずいぶん批判的で警戒した発言も耳にする。過度に国を愛する発言を多くの国民が自然に自粛している。なかなか健全で聡明な光景だと思う。それは、戦前の異様なほどの愛国心教育に対する痛み(トラウマ)であろうが、アメリカや中国などの「大国主義」に対しても、冷淡に醒めた眼で見ている現代日本人は、聡明で知的であると思う。
 同じように、欧米からエコノミックアニマルと軽蔑されたひところの時代への反省もあって、会社のために身を捧げるという態度に対しても批判的な視線が向けられる。これもまた、健全な態度である。
 だが、郷土愛はどうであろうか?私は九州の門司(現在の北九州市門司区)で生まれたが、幼児を過ごしただけの故郷にはまったく思い出はなく、少年時代を通じて多摩川をはさんで東京南部と川崎で育ったが、そこには何の愛着も覚えない。私は個人的には郷土愛のまったくない人間なのである。しかし、このことは現代日本ではなかなか通じない。私が九州で生まれたと聞くや否や、あっという間に私に「九州男児」というレッテルを貼ってしまう人、「同郷のよしみで・・・・・」と急になれなれしく擦り寄ってくる人に耐えられない。だから、そう名乗った瞬間に「でも、九州は生まれただけであって何の愛着も感じないのです」と語るのだが、みな変な顔をする。
 故郷に何の愛着も感じない者がいてはいけないのだろうか?私は別に故郷を憎んでいるわけではない。ただ、私には何の意味もないだけなのだ。だg、こうしたことがあってはならないとすら感じている鈍感な(おうおうにして)善人が少なくない。彼らは眼を輝かせて「薩摩はすばらしい」とか「土佐は最高だ」と自分の郷土を誇るのであり、自分がそこで生まれたという「主観的理由」を簡単に消去して「客観的に」すばらしいと言い張るのである。
 一見これほど狭量ではない人もいる。それは、自分の郷土に対する無批判的賛美に対する批判とともに、「人にはそれぞれ大切な郷土がある」と各自の郷土を「相対的に」見ることができる人である。だが、こういう人に限って、生まれた土地に何の愛着もない人を断じて「許して」はくれない。自分にとって単なる平凡な山川でも、彼にとって郷土の山川は格別であろうと眼を細めて彼らの友を眺める、という態度から脱することはないのである。

 ここにも我々は中島義道の中にある徹底した合理主義、神社で祈願したりすることさえ意味を感じないという一つの人間的資質を垣間見ることが出来る。中島にとって合理的であることは自己内感性に忠実であれ、ということとイコールなのである。だから「戦う哲学者」という異名を中島が享受するのは、端的に適当に日本古来の全ての習慣である地鎮祭とか塩を振りかけることを躊躇わないということが一般的日本人であるとしたら、それさえも自戒の念として拒否するという徹底した実践論になるわけだが、合理的に考えれば中島の選択は恐らく正しい。しかし文化とはそもそも中島の謂いを借りれば「差別が人間社会にとって価値ある部分と微妙に接している」ということの価値ある部分なのであり、そのことを中島自身も熟知している。しかしそれでも彼はその惰性的傾向、差別意識へと直結していく全ての行為を信条として拒否すると決意するわけだ。そうすると中島の中には文化を拒否してでも自己信念を貫きとおすことが哲学者たる使命だという考えがあることとなる。そこでここでも大きく中島哲学自体への支持、不支持という二つの分かれ目が存在することとなる。このことは 第四章 二人の哲学者にとっての著作者としての性格 において詳しく論じることとする。
 このスタンスは前回でも触れたが、アメリカの哲学者、認知科学者であるダニエル・デネットや盟友の生物学者、進化論学者であるリチャード・ドーキンスとも極めて近いものがある。彼らは共にキリスト教文化圏の人間でありならがキリスト教に纏わる多くの迷信全てを人類の真の進化上害悪であるとして切って棄てることを辞さない。そしてこの共通性については 第七章 著作家としての戦略と哲学者の在り方 において詳述することとする。

 しかし中島の差別感情に対する問掛けがもっと以前まで遡って考えることが出来る。次回は「哲学者のいない国」に於ける 差別感情と「好き・嫌い」 から考えて、続いて小説「ウィーン家族」を下に中島の文学志向について考えてみよう。
 後半では中島の分裂的傾向を厭わない哲学者としての理念追求と文学的資質が衝突し合う部分に対して著作家として中島がどう折り合いをつけているかという部分に着目して「差別感情」と小説「ウィーン家族」の双方を取り上げて考えることとしよう。その際に永井の幾つかの論説も手がかりにしよう。

 ここで長々と書いて来た中島義道という哲学者を簡単に総括しておきたい。
 中島は端的に哲学を自分のように固有の繊細さを持つ人間にのみ許された感性と知性のゲームであると捉えている。勿論当人は断じてそういう言葉を使わないし、「あなたはそうだ」と言われれば否定するだろう。だが彼の著作物をそれこそ繊細に検証してみれば、明らかに彼は彼が認める哲学的資質は誰にでも備わっているものではないと考えているし、それは彼が異様にコンプレックスを抱いている文学(そのことについては今後も折に触れ述べていく)などでも特権的な人間による所業と捉えている(「人生に生きる価値はない」で触れられている。そのことは 第三章 中島義道の哲学的動機と永井(中島義道の不幸道)、第七章 著作家としての戦略と哲学者の在り方で詳しく精神分析的に検証していく)。
 要するに官僚的出世をすることこそ出来なかったが自らの学歴を誇り、虚栄心も、優越意識も濃厚に抱いている。しかし実際に哲学一つとってみても、中島義道に許容され得ないタイプの哲学、例えばその一つに功利主義的哲学(ホッブス、ミル、ベンサム)や現象学(彼自身フッサールなども時々引用するが、殆ど現象学的主流に関心があるとは言えないどころか積極的批判者である)があるし、プラグマティズムや論理実証主義哲学、あるいは分析哲学の中でも殆ど触れられることのないルイスやデネットといった逸材も含めればかなり広大であると言える。しかしそれらに対する言及が殆どないということは、彼自身が哲学という広大な領野から見離されたくは決してないという決死の決意があるからであり(自分にとって自信を持って発言出来ないタイプの哲学に手を下手に出さないということは哲学者、科学者といった論理一般に関わる仕事に必要な小心でもある)、そのことは裏を返せば哲学がなくなってしまった時に彼自身が生きている存在理由を見失ってしまうという恐怖があるとも言える。そこに勿論彼自身の青春の挫折と彷徨との関係もある。
 しかし私は哲学という学問はそういう決死の決意からするりと零れ落ちていくものであるとも考えている。そしてそのことも中島は知っている。そして自らの中に内在するコンプレックスはライヴァルである永井や、思想家である小浜逸郎といった存在から養老孟司といった存在へも対他的構えという意味での射程範囲は広がっていると私は見ている。つまり中島にとっての私とは極めてピアプレッシャーに近いものなのだ。
 次回詳しく論じるが「ウィーン家族」で描いていることがそのことを端的に示している。哲学に多くを求め過ぎると彼が言う世間に背を向けつつ、その背とは自らの家族であり友人たちであり自分以外の一切の他者である。中島は永井と最も異なる点として自分の周囲の全ての他者をマジョリティーとしながらマイノリティーである自分をミニマルな防波堤とすることによって、語り過ぎないというモットーでいる永井と対抗するかの如く、語れることはどんなに些細なことでも語ってしまえという決意で生きている。
 哲学は広大な範囲の学問である。しかしそれを敢えて求め過ぎると世間に言い放つことを通して「そんなに誰でも出来るものではないよ」と宣言することで辛うじて自分のポジションを死守するし、その死守する自らの小ささ(それは恐らく私にもそういう砦があるのなら死守しているだろうし、永井や他の全ての論客も同じであろう)を隠しもしない。
 つまりその真摯さこそ中島義道という哲学者にしてエッセイストで作家である著作者に顕著で固有な資質である、と言ってよいだろう。(つづく)

Sunday, January 24, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑩

 今回からは中島義道の「差別感情の哲学」と「ウィーン家族」という最新作二作から考えていこうと思う。当初本章のまとめということでより簡潔に中島の最新作から考えていこうと思っていたのだが、最近私が関心のあることとオーヴァーラップする部分がかなり多かったので、一回で終わらせず更にあと二回くらい延長して本章を書いていくことにした。従って今回は「差別感情の哲学」のみを扱う。詳細を見ていく前にまずこの二冊を出版した最近の中島に関する概観について考察してみよう。
 率直に言ってこの二冊は中島義道という文筆家、あるいは著述家としてのアイデンティティーがいささか分裂しているのではないか、という以前から私が氏に抱いていた感慨をより深める結果となったことは言うまでもない。
 つまり後者は明かに文学であり小説であるが、前者は完全に哲学者としての使命感によって書かれている。そういう意味では中島という著作家は常に二本の柱が必要である、ということだ。だから前者の「差別感情(以後省略してそう呼ぶ)」(講談社刊)と「ウィーン家族」(角川書店刊)とは相補的でもあると同時にある部分では同じ自身の著作であるにもかかわらず、個々において対立項自体への批判とさえなっている。
 何故なら私はこの二冊を読んだ後感じた事が、小説では読後感が爽快であるにもかかわらず論文の方はいささか食傷気味になってしまったからである。だが論文には今後の中島の考えの方向性が示唆されているようで続編を期待したいという気分も持てたのである。
 中島義道は「人生に生きる価値はない」において「権力や社会や歴史に興味がない」(58ページより)と述べているが、彼自身は明かに哲学専門家であろうとする意志によってそう語られてはいるものの、その実彼は今回取り扱う「差別感情」をはじめ、古くは「たまたま地上にぼくは生まれた」やその後「英語コンプレックス脱出」等において日本人にとっての国際問題である所の精神的コンプレックスや欧米人からの日本人への態度や言動における傲慢について差別について積極的に語り続けてきている。ある部分では哲学者としての中島よりも、本人は自分ではそうではないという意味で否定している社会学という学問からの文明批評家という側面の方が出版界的な存在理由としては大きいとさえ言える。本人はあくまで哲学命題論的にそれらのテーマに取り組んできているのだろうが、社会、歴史、権力といった事に対して専門の学者のように関心がないというだけであり、現実の社会やその無意識の権力については大いに雄弁なる論者である。それは哲学者としての素朴な疑問と学究使命が齎すものであろう。又昨今の「差別感情」やそれより少し前に出版された「人生に生きる価値はない」ではカナダ人の社会学者であるゴフマンの理論、儀礼的無関心を積極的に取り上げている。
 中島の記述には哲学専門家としての自己とそれにとどまらない欲求の自己との間に絶えず分裂傾向があり、それは著作の数を重ねる度に大きくなっている。それが最も顕在化したのがこの「差別感情」であり、「時間論」「カントの自我論」等とは全く様相の異なる論理展開だし、後で述べる作家として作品である「ウィーン家族」との間で最大となる。
 つまり中島義道という著作家には明らかにこのような自己矛盾を自己矛盾のまま提示するというスタンスもある。それはある意味では彼の資質に因るものであるし、ある意味では哲学者としての理念に因るものであり、その二つを切り離すことも出来ない。
 その事は差別論における悲観論的傾向と、それを軽くエッセイタッチで書いていくエンターテインメント性という矛盾においても示されている。悲観論的傾向はこの「差別感情」において全開となっている。何故ならこの本の最後は明らかに哲学者としての倫理的苦悩が示されているからである。私がこの本に対していささか食傷気味であると述べたのは 終章 どうすればいいのか 以前の幾つかの解説によってである。
 彼は哲学者としての苦悩の告白へと至る道筋において重要なことを中島は述べている(136~137ページより、第二章 自分に対する肯定的感情 より)

 哲学者は_社会学者や教育学者あるいは精神病理学者とは異なって_こうした「解決できない問題」に視線を注がなければならない。その巨大な理不尽を押しやって、障害者差別とか人種差別という定型的問題だけを取り扱っている限り、それいかに情熱を燃やそうとも、繊細な精神をもっているとは到底思えない。

 こう述べ如何にそれらの哲学の周辺に位置する学問とは違うかを強調しているが、それは同時にそれらの学問への情熱的なまでの関心をも彼が持っているという事の表明ともなっているのである。ここら辺の告白は永井均には一切見られない。勿論永井もまた社会や教育にも多大な関心を持っていて、それが自らの哲学理論の醸成にも役立っていると言える(その事については別の章で詳述する)が、それはあくまで彼自身の哲学的認識を確認する意味に留まっているが、こと中島に関する限りその関心はそういうレヴェルを超えていると私には思えるのである。つまり哲学者であろうとする意志と、その哲学者という一個人として社会に対峙していこうとする時に感じる矛盾がそのまま中島においては多数の著作活動という形を取って顕在化している、と言うことが出来る。そしてそうする中で彼は恐らく哲学者としての使命から幾分逸脱してさえ反社会的であろうとする感性の哲学者当人の側から出された自己矛盾が哲学的理念から提出されたものであるが故に結果的には社会正義論(本人は断じて自分の著作はそうではないと言い張るかも知れないが、これらの著作を読んで社会正義論ではないと感じる読者の方が遥かに少数であろう)となって立ち現れているという所こそ自己矛盾が自己矛盾のまま分裂傾向を助長するという風に私に感じさせることとなっているのだろうと思う。
 例えば中島義道はしばしばエッセイ等で哲学を役に立たない学問だと言う。だがこれは出版界的に知名度のある成功者がよく使う言葉である。又中島の「差別感情」の理論に基づけば高邁ということになろう。そもそもある学問が役に立つか否かとか、どの学問が一番社会にとって有益で必要とされているかというような問いは哲学的命題以前にそれほど上等な問いではない。
 つまり現代社会に医師や弁護士が不足しているというようなことを除けば、どんな職業でもそのものを必要としている人にとってはそれらの職業は全て必要なのである。例えば芸術家はもし世の中から一人もいなくなっても、恐らく社会自体が直ちに機能不全に陥るというようなことなどないに違いない。しかしアートや音楽を愛する人にとってそういう社会は耐えられないと感じるだろう。そういう意味においてなら中島の言うように哲学以外にも科学でも人文科学系の大半のものは社会機能維持的視点から見れば役に立たないものばかりではないだろうか。あるいは自然科学でも日常生活には役に立たないという意味では理論物理学もそうだし、天文学等もそうであろう。それ等は総じて実用性には程遠い。
 そもそも学問や芸術等というものはそのものがある状況下で要求されるという時代的要請を離れれば医師や弁護士のような意味では一切役に立たないものなのである。
 しかしそういう風に我々に職業的存在理由を問うことの内には、それ自体が即座に哲学的命題となり得るか否かは別として十分問うに値する問いであろう。そしてそのことを問う事の内に人間における他者に対する意識と差別意識という事も必ず介在してくる。そのことを例えば中島は誇りとか自尊心とか帰属意識とか向上心という心の作用を通して考えている。
 その意味では哲学者としての中島がその問題に真摯に取り組んだという事は、その試みが成功しているか否かは別としてもそれ自体評価すべき事である。しかし私にとっての最大の関心とは、中島という一個人の中に介在する一個の矛盾である。中島は対話論者であることを物語る「<対話>のない社会」や「うるさい日本の私」などの著作では完全に日本を暗黙の了解とか暗黙の差別をする国民性として哲学者個人の命題的態度において描出されている。だからこそ中島は「言葉を尽くして語り合おう」と主張する。その分では彼は完全に合理論的、理性論的コミュニケーション信仰者である。だからそれは責任倫理的である。
 しかし同時に彼は「差別感情」においても再び大きくクローズアップされている一般の善良な人々(この解釈にも多分に哲学者による思考実験のための設定という要素が皆無ではないとも言えるのだが、そのことは深入りせず、ここは現実の日本人の姿と解釈しておこう)の持つ無意識の悪意、傲慢について深く抉ろうとする。
 例えば「差別感情」における結婚していない人に対する結婚をしている人からの傲慢といったことについてである。そしてそこで彼は自分は結婚しているから、そうではない人に対して傲慢になっていることを自省している(尤もこのような告白は結婚をしていない人から見れば極めて「余計なお世話だぜ、ほっといてくれ」と思わせるものでもあるだろう。そのことに関しては次回詳しく触れる)。また本妻が亡くなった時に悲しみを他人に示すことが出来ても、それは愛人に対しては同じように他人に表明出来ないという社会的法的規範とか不文律に対しても怒りの矛先を向ける(このことは後で詳述する)。
 つまりこの段では明かに中島は「悪について」でカントの言う根本悪について言及したこと等に見られる諸著作と同様完全に心情倫理的なのである。
 つまりこのコミュニケーションにおいて責任倫理的であろうとする立場を取る哲学者が、心情においては自らの内部に巣食う差別意識に対して敏感にならなければいけないという思想を持つ時、恐らく中島にとってはその他との対話を成立させるものは哲学を置いて他にはない、という考えがあるのだと私は思う。
 その部分では明らかに永井均と共通している。
 永井は前回に取り上げた「なぜ悪いことをしても<よい>のか」においてこう述べている。

 だから、もしいま、十三歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないのか、そもそもなぜ悪いことをしてはいけないのか」と本気で問われたなら、道徳的に正しい答えは「それについていっしょに哲学しよう」である。それ以外の答えはまやかしである。(60ページより)

 つまり永井は命題論的には他者と意思疎通し合う時理解が必ずずれることを前提していて、その意味では経験論的コミュニケーション懐疑論者であるが、しかし決してその命題論が彼自身において他者と語り合うことの不毛を態度として齎しているわけではない。それどころか積極的に哲学対話をここで呼びかけている。
 つまりこの部分にこそ私が本ブログで取り上げた二人の哲学者の職業としての自己責任と、一個人としての考え方の資質として共鳴し合う部分を発見するのである。
 しかしそういう風に形而上学的に、倫理的に共に語り合うという場を設定することを提唱する意識の前に我々には日本人である、という決定的な現実が横たわっている。つまりそれが中島に只時間論や意識論だけではない、もっと社会的位相から考察する著作へも向かわせる動機となっているのだろう。だからこそと言うか、その必然的展開であると言うべきか、「差別感情」において中島は日本人にとっての穢れという感情について文化論的に考察している(この穢れについては養老孟司が「死の壁」や「無思想の発見」などにおいて詳述しているし、古くは井沢元彦による「穢れと茶碗」といった名作もある。中島がこれらの著作のどれを読みどれを読んでいないかは定かではないが、少なくともこういった一連の言論界からの言及の数々が彼の思考と信念を刺激していったということは容易に想像出来る)。
 例えば中島は「差別感情」において第一章を文化論的前提として不快、嫌悪、軽蔑、恐怖という四つの位相から分析している。この中では特に後者二つ、つまり 3軽蔑 と4恐怖 が重要である。広範囲から部分的に重要箇所のみを抜粋してみよう。

「軽蔑」は嫌悪よりさらに価値意識の高いものである。嫌悪の場合は、まだ対等の感情であるが、軽蔑において視線は上から下へ向かう。まさに、見下す態度である。また嫌悪と違って、軽蔑とは他人を切り捨てる態度でもある。軽蔑しているものに対しては、もはやすべては解決済みなのであり、議論の余地はないのであり、いかなる証拠を突きつけられえても逆転は不可能なのである。これは信念であり、相手の劣等を信じようとする態度である。(80ページより)/(前略)軽蔑とは、「他人における意志がわれわれよりきわめて劣っていて、われわれに対しては善も悪もなしえないと判断して、その意志を軽視しようとすること」となる。(81ページより)/デカルトの定義は、他人における劣った意志に対する軽蔑に力点が置かれているが、それは道徳的に劣った意志に対する軽蔑と言い換えてもよい。まさにナチスが大衆の心を操作しえたのは、ユダヤ人における道徳的に劣った意志を誇大宣伝することによってであった。それは同時に(次節で扱うが)ユダヤ人に対する「恐怖」と結びついている。軽蔑の背後には恐怖がある。物質的に強力な、しかし道徳的には劣悪な民族が自分たちのすぐ傍にいて、虎視眈々と世界支配の機会を窺っている。いまのうちに何とかしなければ、全ドイツがユダヤ人の陰謀に呑み込まれてしまうであろう。しかし、彼らがいかに物質面で強力であろうと、道徳的に劣悪なのであるから「自分たちに対しては善も悪もなしえないと判断して、その意志を軽視」していいのだ。(改行)ここに重要なことは、(とくに強烈な)差別感情における軽蔑は恐怖に裏打ちされているのだが、相手(集団)を軽蔑するさまざまな理由の中核には「道徳的軽蔑」が位置するということである(これは後に「リスペクタビリティ」の問題として論じる)。(82ページより)
 
 この後中島は黒人に対する人種差別に関して欧米列強が道徳的に劣悪であると欧米人が決め付けることでアジア・アフリカ支配の理由として有効なものであるとするキリスト教布教や十字軍遠征の理由を位置づけ、更に続ける。

(前略)ここで、あらためて問うてみよう。なぜ欧米列強は他民族支配の理由の中心に道徳的理由を据えたのであろうか?鑑みるに、それが自分たちの行為が「正当である」最も強力な根拠になりえるからである。いかに未開民族でも未開だからといって彼らを殺戮しその土地から追い払うことは直ちに正当化されない。罪悪感は残るのである。しかし文明の光(啓蒙)を授けてやるという理由なら、正当性は確保されるのだ。だから、「解放、平等、寛容、自然権、および人間の尊厳の尊重といった民主的な諸原理を促進」する啓蒙主義と過酷なアジア・アフリカ支配と両立するのである。
 ここで、少なからぬ人(とくに差別撤廃論者)が混乱している事柄を指摘しておく必要がある。黒人は白人より、女性は男性より平均して知能指数が低いという結果が出たとしても、直ちには「黒人や女性を差別すべきだ」という結論を導くことはできない。前者は事実判断であり、後者は価値判断なのであるから。黒人は白人より、女性は男性より平均して知能指数が低いという事実を認めたとしても、この事実にまったく依存せずに「黒人や女性を差別すべきではない」と主張することもできる。
 これは表面的な検査結果であり、黒人や女性に対する偏見の産物である・・・・とムキになって反論する者は、かえって「知能指数の低い者は差別されて当然だ」という論理を前提している。そう反論する熱意にうちに、暗黙の差別意識が前提されている。
(中略)
(前略)「黒人は白人より、女性は男性より平均して知能指数が低い」という事実が「知能の低い者を差別すべきだ」という風潮を呼び起こしやすいがゆえに警告を発するというのならわかる。しかし_私の知る限り_こういう冷静な判断を示す人種差別廃止論者やウーマンリブ推進者はいない。まさに「繊細な精神」が要求されるところであろう。
(84~86ページより)

 ここでも中島は繊細という語彙を使用する。この繊細という語彙の意味するところが中島にとって読者に最も言いたいことであるように少なくとも論文全体の主旨からは読み取れる。しかしそこで恐らくこの論文の読者は二手に分かれることを恐らく中島自身も予想してそう書いている。例えば今挙げた引用箇所の最後に記述において知的障害者に対する差別意識を述べている下りなどがその顕著なものであろう。
 つまり知的障害者を差別してはいけない、という倫理査定が中島にはまずある。そしてそれは裏返せば知的障害者に対して少なくとも自分は障害者ではないと思っている人であるなら、少なからぬ違和感を抱くということを前提にしているということだ。
 
 そのことは後で詳述することとして、まず中島による語彙「繊細さ」について少し考えてみよう。
 最近出版された「やっぱり、人はわかりあえない」において思想家の小浜逸郎と往復書簡形式で中島が自分にとって哲学について考えていることを忌憚なく小浜に告げている部分からも読み取れるが、彼は端的に哲学を思想と分けている。それは「哲学の教科書」等でも既に書かれてきたことであるが、端的に中島は全ての人に哲学を勧めているわけではないのだ。あるいは全ての人が哲学という学問に適性を持っているとも思っていない。これが第一に中島哲学を理解する上で重要な事実である。このことは例えば「人生に生きる価値はない」でもはっきりと述べられている。
 この態度を小浜は中島の態度を哲学聖化主義として批判しているが、実際小浜の考える哲学と中島のそれが最初から食い違っている以上、この往復書簡が結局相互の理念と感覚の違いを示すだけで終わっているということは件の本を読んだ読者なら誰しも気づいていたことだろう。
 中島は更に別の著作において「人々は哲学に多くを求め過ぎる」と述べているが、彼にとって哲学とは自分自身において理解出来る範囲のことを自分の頭でうんうんと唸って考え、それを語り合うべきことであり、広く一般の人々にとって開放された学問ではない、という信念がまず第二に挙げられる。つまり中島自身が自分自身を神でも仏でもないちっぽけな実存者であると認識しているのだから、彼自身の感性にそぐわないことに自分自身感けることなど出来ないという意味では全ての大人が子供に対するような啓蒙的態度を、こと哲学を語り合う前では排除しているのだ。
 実はこの部分では永井均が考える哲学的態度と全く同じである。この二人の哲学者は色々な面において異なった感性であり、理念である。しかしこの部分では例えば今挙げた小浜逸郎や養老孟司、あるいは勝間和代、香山リカや茂木健一郎といった論客、あるいは思想家、知のオピニオンリーダーたち全員と一線を分かつ所のスタンスなのである。この事実は強調し過ぎてし過ぎるということなない。

 さて話を論文の方に戻そう。
 中島はある意味では通常なら忌避するような差別感情自体を解析するために敢えて命題論的に持ち出してきているが、実は今述べたことを理解すればよく論文の主旨を理解することが出来るのではないだろうか?
 つまり端的に中島はこの「差別感情」を実際に差別されている、と意識しているようなタイプの市民に向けてなど端から考慮に入れて書いてはいないのだ。またそういう風にどんなタイプの読者をも読んで納得させることが可能なようなタイプの本を書くということ自体が中島にとっては欺瞞以外の何物でもない、という信念があるのである。
 中島義道という著作家は全ての著作物に一貫して言えることとして、最初から読者の層を絞ってターゲットとしているのである。それは「カイン」のようなタイプの悩める青年層に向けて書いたエッセイであれ、専門的哲学的イデーを書いている「カントの時間論」などにおいても全く共通している。
 中島は妻となった女性と巡り合い息子も儲けているという事実においては、少なくとも彼が自らの生い立ちから語って自分自身の家庭にまで衝撃を与えた「孤独について」において書かれている幼少期の苦悩ということを除いて考えてみれば、恐らく一般社会人の中においてそれほど不幸な人間ではない。例えば「ウィーン愛憎」や「続・ウィーン愛憎」において示されている欧米人からの日本人への差別意識も、本当にそういった生活の渦中にいる人間であるならまず著作化することすら不可能であろう。このことは 第四章 二人の哲学者にとっての著作者としての性格 において詳述するので、触り程度にしておくが、端的に中島は他人から見た場合(だからこれは中島自身の立場に我々が立てない以上永井哲学的意味論からも理解不能なことを承知で敢えて言及すれば)「不幸論」などで人間の不幸について正面切って真摯に言及することが可能なくらいには恵まれている、とさえ言えるのだ。
 本当に不幸な人間なら自らの不幸についてなど直面することを避ける筈だからである。あるいは他者に対してならそういう人間は(それはタイプとしての人間ではなく例えば私自身の中に不幸であるという部分を発見した場合、それを他者に語るという風に置き換えてもよい)その不幸な部分をあまり見せないようにして、幸福そうに振舞うということが一般的傾向だとは言えないだろうか?
 あるいは例えば中島はある著作において自分の息子が何処に住んでいるかも知らないということを書いているのだが、それくらいのことははっきり言って決して珍しいことではない。この世の中には自分の息子や娘がいるということを知っていてさえも決して様々な事情から会えないまま生涯を終える人も大勢いる。
 いや、そういった一般論を一切除外して考えることに実は最大の意味がある。つまり重要なことは中島自身が幸福か不幸かということではないということだ。中島が「たまたま地上にぼくは生まれた」で自己について理不尽に成功している、と述べているが、つまりそういった自己に対する不当な幸運という事実自体が自分より優れている大勢の人々が不遇に生活していることを知っているが故に、その事実認識に対して自責の念を禁じえないのだ、と中島自身が考えていることの方により、本論で考えてみたいことの本質がある。

 それはこの論文の最終部に近いある箇所(第三章 差別感情と誠実性 3誠実性(1)中、198ページより)を読むと更に理解が深まる。少し長いがそのまま掲載しておこう。

 障害者に対する差別

 これまで、差別についてさまざまな考察を重ねてきたが、その独特の見えにくさは、差別が人間社会にとって価値ある部分と微妙に接していることである。このことは「誠実性」という価値において極限に達する。私は自分の感受性と信念に忠実でありたいと願うが、まさにこの欲求自体が差別感情と独特な親和性をもつのである。
 私が体験した具体例を挙げよう。
 成田空港でのこと。広大な空港を歩いていると、前方十メートルのところに、ちょっと気になる歩き方をしている白人の小柄な少年がいる。ふっと見ると両手の腕のところから直接数本の短い指が出ている、いわゆるサリドマイド児であった。それを認めた一瞬、私はそちらの方向に行くことを躊躇した。彼にはやがて追いつき追い越すことに抵抗を覚えた。そのときの自分の「何気なく」振舞うであろうしぐさに嫌悪感をもったのである。自然なかたちで「彼」に対することができない自分の小ささに苛立ちを覚え、私は一瞬の自分の狡さに嫌悪を覚えた。たとえ追い越したとしても、私は一瞬の「自責の念」を体験するとやがて忘れるだろう。忘れないまでも、そのことにひっかかりつつも「仕方ない」と呟くであろう。
 この場合、誠実を求める私にどんな選択肢があるのであろうか?私のそのままの感受性に忠実に、嫌悪感と不快感にわずかな戸惑いの籠もったまなざしで彼を見据えることが誠実なのか?それとも、あたかも知らない振りを装って急ぎ足で彼を追い越すことが誠実なのか?
 直感的に、どちらも「違う!」という叫び声が聞こえてくる。 
 とりわけ前者は、少なくとも私の感受性に忠実なのだから誠実であるかのように見える。その点、少なくとも後者より欺瞞性は少ないかのように見える。しかし、事態をどこまでも繊細に見ることが必要なのだ。
 あたかも気がつかなかったかのような振りをして彼を追い越す自分を「正しい」と信じている人は、限りなく欺瞞的であると思う。
 少なくとも、その自分の欺瞞性に気づくべきであると思う。この「べき」はどこから出てくるのか?障害者を差別すべきではないという私の(個人的)信念からである。しかも、私はそのことをすべての人に要求する。そうでない信念とは、一体何であろうか?
 だからといって、もちろん彼に捻じ曲がったまなざしを向けることが正しいわけではない。また、そのときの私のように、彼を目撃して怖気づきその場を避ける人が「正しい」わけではない。そのときの私のように、自分の狡さをいかに責めたてても、そのことによって私の狡さが消えるわけではない。
 ここで、もう一度よく考えなおしてみよう。私が_これは事実であるが_、ある種の障害者に対して不快感とも嫌悪感とも言えないどうしようもない違和感を抱いてしまう。そういう違和感を抱いた瞬間に、私はそういう感情を抱いている自分を激しく責める。そして相手の「過酷な人生」を評価しようとする。つまり、そういうふうにして、私は彼の人生を勝手に「過酷なもの」とみなし、それを尊敬しようと努力し始めるのだ。
 しかも、そういう自分の「嫌悪から尊敬への屈折」の狡さをも見通している。これには、さまざまな感情がまといついている。彼の人生を一概に「過酷な人生」と決めつけることはできないかもしれない、そう決めつけることこそが差別感情なのだ、だから過酷な人生を「尊敬する」という感情もじつは差別感情なのだ・・・・・という判断が脳髄でざわざわ音と立てている。
 実際にお前は彼を「尊敬している」のか、その尊厳は単なる哀れみではないか、という声も聞こえてくる。そうなら、お前は彼(女)に向かって「障害者として生きていて尊敬します」と言えるか?言えないなら、なぜ言えないのか?自分の中にすっきりしない定型的なラベルが貼って誤魔化し、その場を回避しようとする心の動きを察知しているからではないのか?
 普通、生き方において尊敬する人には近づきがたいものである。その人の話を聞き、その人を近くで感じていたいものである。だが、お前は彼に「尊敬」という言葉を個々にもち出した自分を恥じているではないか?そう語ったら、彼は微笑みつつも、全身で「それは嘘です」とはっきり拒否するであろうことを、お前は恐れているではないか?
 こういう言葉が私の脳裏に駆け巡り、私は多くの場合、行き詰まり「どうしていいのかわからない」と呟いて思考を停止するのだ。
 そういうときに、別の側面から問いが私に迫ってくる。はたして、私は本当に「障害者を差別してはならない」という信念を抱いているのであろうか?それを本当に抱いているなら、こんなブザマな態度はとらないであろう。こんな混乱に陥ることはないであろう。私は、ただ自分を守るために、そう信じ込もうとしているだけではないのか?障害者に冷たい視線を注ぐ自分に嫌悪感を覚えるから、「障害者を差別してはならない」という信念を抱いていると思い込もうとしているだけではないのか?
 もっと言えば、お前はじつは何も悩んでいないのではないか?一瞬、悩む振りをして、自分自身に免罪符を発行して、こうした事態に直面して悩み苦しむ自分は棄てたものではないと思い込みたいだけではないか?そういう複雑そうでいて、すべては自己防衛に基づくゲームを一心不乱に続けているだけではないのか?お前は、俺はダメだダメだと自分に言い聞かせながら、そういう自分は簡単に障害者を切り捨ててしまう多くの男女より高級な人間だと思っているのではないか?そう思って安心し、自分を慰めているのではないか?(198~202ページより)

 この文章はさながら教会で神父を前に懺悔するカトリック信者の趣きがある。
 端的にこの文章を実際にサリドマイドである人が読んだらどう思うだろうか?恐らくそういった立場の人はこのようなタイトルの本自体を購入して読むということなどないに違いない。あるいは敢えてある部分では障害を抱えている人の気持ちを本当の所はちっとも理解していない健常者の立場を知りたいと考えて買う人もいるかも知れない。
 しかし中島にとって重要なこととは、そういった人たちのことを慮って一切の自己真意を述べることを差し控えるという態度が、では実際に正しいことなのか、という問掛けを読者に共有させることを憚らないという誠実性に哲学の存在理由があるということであり、それこそが、中島が訴えていることではないだろうか?
 つまりサリドマイドの人を見た時に一瞬違和感を覚える多くの人たちに向けて何かを語るという機会をそういった実際の障害者の立場だけを慮って差し控えるという態度が持つ欺瞞性について語ることは許されないのか、という問掛けが中島にはあるのだ。
  
 中島は感性においてはエゴイズムを徹底化されたい、と望む一方、哲学的には自らの内部に潜む悪の正体を見据えて、その事実と真摯に共存していかねばならないと理念的にそう意志するわけだ。この事を中島が自らの悪に自覚的であり、それを理念において統制しようと欲するモラル論者、理性論者と解釈するか、そういったスタンスを利用してエッセイスト、作家として成功している文化人と解釈するかによって、解釈の仕方の違いに応じた評価内容は著しく変わってくることだろう。
 中島は少なくとも経済的、あるいは教養的レヴェルから言えば家庭は然程貧しくもなく、中流以上であり、自ら理不尽に成功していると幾分自虐的にも語る。そして自分より恵まれない立場の人たちを助けたいという気持ちが全くないことを負い目もなく「生きてるだけでなぜ悪い?」において対談相手である精神科医の香山リカに告白している。その部分が面白いので抜粋掲載してみよう。

 金銭感覚は人それぞれ

香山 2007年、大阪で三〇代の電気工事士が妻と四歳の二人の子供を殺してメールで「もう食べていけません」と送って、自分も飛び降り自殺した事件がありました。ああいう家庭を見ると胸が痛いじゃないですか。
中島 そうですね。でも反発されるのは承知のうえですが、新聞に政治家がわいろをもらったとか、横領したとか、資産を何億円も持っていると書かれた記事が載っていますが、私自身は全然怒りを感じないのです。
香山 そのお金は「自分が働いて納めている税金」ですよ。
中島 そもそも私は税金を払うことが嫌ではないのです。もちろん、たいして払っていませんが。確定申告は妻がやっていてくれて、私は妻に「必要経費でズルするな」と言うくらいです。国立大学に十二年もお世話になっているし、別に税金を払ってもいいのです。
香山 その税金が不正に使われるのは許せない気持ちではないですか。 
中島 それもないですね(笑)。
香山 2007年は年金問題で不正がたくさん問題になりましたけれど、このあたりはどうですか。
中島 この前、とうとう六〇歳を過ぎて、年金案内が来ていましたけれど、別にいらないのです。
香山 それでは、年金が「消えた年金」になってもいい?
中島 全然構わない。先ほどお話ししましたように、私の場合、周りの人がいろいろ私を援助したおかげで、結果として生き延びてきました。もともと私が浮浪者みたいな存在ですから、別に損をしてもいいと思っているのです。
香山 そこで、自分はともかく恵まれないほかの人を助けてあげたいと思いませんか。
中島 思いませんね(笑)自分は恵まれているから、それを今度は他人に還元するという発想もまったく私にはありません。(第三章 金持ちなんかにならなくていい! 中 103~105ページより)

 この中島の一見反社会的とも受け取れる発言は、しかしモラル論的には否定することが決して出来ないことに実は我々自身も気がつく。
 何故なら私自身ホームレスが気の毒だと思っていても、街角で見かけたら咄嗟に避けようとするだろうし、「うちに来て泊まれよ」などとも決して言えないし、第一彼らを救ってあげるだけの一切の力も私にはない。それは経済的にもそうだし精神的にもそうだということだ。にもかかわらず我々は常に口先だけは「気の毒だ」と言って憚る所もない、その偽善的事実に対して中島は徹底的に抗議しているとも言えるし、また我々はホームレスになっている人を見かけても恐らく何か自分の努力が足りなかったのであろう、とそう思うことの方が多いだろう。だから私自身この部分を読むと笑えてしまうのである。例えば「人生、しょせん気晴らし」において中島は 対談という気晴らし において対談相手であるお笑い芸人であるパックンに次のように述べている。

パックン 確かに日本人は世界一嘘つきというデータを見たことがあります。社交辞令を含めて、でしたが。
中島 カントは善意の嘘がいちばんいけない、いちばん自分の精神が腐ると言っています。
パックン とすると、先生ご自身の人生の中で哲学を追究することは難しいのではありませんか?
中島 ええ。嘘をつくのはイヤですが、結局、人間社会から離れることになります。私は十年前から冠婚葬祭の類はいっさい行っていません。「素晴らしい結婚式ですね」などと嘘をつくのがイヤですから。
パックン はははっ!
中島 年賀状も出しません。「ご家族のご多幸をお祈りします」など祈っていないのに書きたくはないのです。
パックン ええっ!ちょっとくらいは祈ればいいじゃないですか!
中島 祈りません。ここで譲歩したら哲学ではなくなりますから。
パックン なるほど。知を渇望する、つまり哲学を追究していくと行動も変化していくわけですね・・・・・・・。
中島 だから、他の人の家に招待されるのもイヤです。「まずい料理ですね」「バカな子どもですね」とは言いたくないですから。
パックン だったら、もう少し趣味のいい人と付き合えばいいのでは?
中島 ですが、目につくのは悪いところばかりなのです。(「対談」という気晴らし 中196~197ページより)

 ところで中島の持つ哲学者としての志向性や資質は別としても少なくとも神社へのお参り一般に対してさえ、建物への物心崇拝に繋がるとして不合理であるとして、一切拒否するような彼の生活態度及び行動決定というスタンスは戦う哲学者の異名に相応しいとも思われる。徹底した無神論的立場表明性は、かの生物学者リチャード・ドーキンス、そして彼の僚友である哲学者にして認知科学者であるダニエル・デネットと全く符号する箇所を我々は中島に発見することが出来る。つまりこの事実が私たちに示唆することとは、端的に哲学者は一体何処まで自分自身が生まれ育った民族共同体とか国家とか文化とか習慣へと拮抗してゆくべきかという事に纏わる倫理査定という命題である。このことを次回は問掛けていくために中島のこのテクストを利用しようと思う。
 つまり自ら信条とする哲学理念の実践家である中島にとって心にもない世辞などを言ったり信じていないことをしたりする(初詣とか年賀状を出す事等も含む)のは哲学者としても一個人としても許し難い事なのである。その事は「差別感情」中ある箇所で示されている論述に対する彼の正当性としての信念をより裏付ける。次回は最後の引用よりも大分前の第一章 他人に対する否定的感情 中 恐怖に書かれているその箇所の引用論述内容へと再び戻ってその検討から入っていくこととしよう。(つづく)

Monday, January 18, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑨

 今回は永井均による論文「なぜ悪いことをしてはいけないのか」中 3なぜ悪いことをしても<よい>のか から考えていきたい。
 この論文は短いものだ(18ページ)が、永井哲学の全てのエッセンスが込められており、主観論的にも客観論的にも永井を論じる上で格好の素材である。そして内容的にも傑作なのである。
 まず永井はサルトルによる言葉 人間は自由の刑に処せられている を冒頭に上げ何故哲学者であるサルトルがこんな当たり前のことを言い出すのだという疑問を若い時に持ったことを述懐する記述の後にこんなことを書いている。

 サルトルの真意はともかく、人間が何をしても「よい」ことは、ある意味では、確かに自明ではなかろうか。たとえどんなに道徳的に悪い、普通の意味でしては「いけない」ことでも、処刑されるかもしれないことでも、白い目で見られるかもしれないことも、後ろ指を指されるかもしれないことも地獄に落ちるかもしれないことも、良心の呵責を感じるかもしれないことも、何もかも覚悟のうえでそれを選んだのなら、その人はそれをする「自由」がある。あらざるをえない。まったくあたりまえではないか。そういう最後の自由を、だれか他人が否定することなど、できるわけがない。
 これは端的な事実であり、世の中はこの端的な事実を最後には承認することによって成り立っているだと、私は思い込んでいた。世の中で普通に生きていくうえでの約束事にすぎない道徳なんぞによって、この種の崇高な人間の自由が制限されるわけがない。私は疑う余地なく、そう信じて、というよりそう感じていた。(44ページより)

 永井はこれに続いて自分のような考えの人間に対して本気で怒る人がいることを最近知ったということを書いて次のように述べている。

(前略)私のような部類に属する者の方も、道徳なんぞというものをそんな風にありがたがってしまう人がいようとは、思いもよらないことであったから、そういう人に向かって自分の感覚の因って来たる由縁を説明することなど思いもよらなかった。
 こういう相互的な理解不可能状況に対して、両者の感覚の違いの因って来たる由縁を説明できそうな論理を、私が考え出すことができたのは、じつを言えばけっこう最近のことである。(45ページより)

 そこで永井は はじめに と題された件の文章の後で初めて表題がついた 2 道徳的に「してはいけない」ことがある!? で「道徳的に「してはいけない」ことがある、と感じる人は、こう言いたいにちがいない。多くの人が私のように考えて、好き勝手に行動したら、世の中は滅茶苦茶になってしまうではないか。」と始めて、「どんなに自由に勝手気ままに生きたいと思っている人だって、他人の勝手な行動によって殺されたりひどい目にあったりすることは望まないのが普通だ。だから世の中に、この理屈が分からない人なんかいるはずがない。では、若いころ、私がこの単純明快な理屈を思いつくことさえできなかったのはなぜだろう?」と言い、ここから永井は本格的に自らの考えはなぜ世間一般と違うのかということを問いだすのである。
 大きく分けて二つの理由があるとして、彼は「一つは、多くの道徳的な人が道徳というものの本質の存在意義をひた隠していたこと、あるいは自分でも認識していなかったこと」とし、「神秘のヴェールをはがしてみれば、道徳は全体としての個々人の利己的欲求をよりよく満たすためには、ただそのためにのみ存在しているし、また、そうあるべきものだ」と述べる。そして「ごまかしと無知と無思考が懐疑と不審と反発をひきおこしていた。だが、なぜそうであったのか」と新たに問題提起を迫る。そして「もう一つは、もう少し高度な理由である」としながら、「だが、たぶん、それは存在論的な態度の違いに起因するものだ。私は自由である主体として、もっぱら自分自身のことを考えていた。私が最終的に何をしてもよいことは疑う余地がない。私が何をしようと、決めるのは私だから、私がそれによって害を受けることはないだろう。私は自分の利益になるようなことだけをするだろうから、私が勝手気ままなことをすることによって私が困ることはありえない。
 私はそう考えたい。私は私の自由によって他の人が被害を受けるということに、何のリアリティも感じなかったし、逆に、私のその同じ考えがだれか他の人に適用されたら、その人の自由によって私自身が被害を受けることになるという事実にさえ、まったく感度をもたなかった」とし、それは何故かと再び問いかける。
 その問いかけから 3 道徳の系譜学的考察 (47ページより)へと永井はシフトする。「人間は生き残っていくためには、たがいに協力関係を築かなければならない。みんなが一緒にやっていくためには、いろいろな取り決めを行ない、守るようにすることが必要だろう。それはいかにして可能なのか」と再び問いかけ、「ここで役に立つ能力は」「長い目で見た自分の利益や幸福を考慮できるという人間の能力である」とする。「守るようにする力が、すべてのメンバーにとって有利だからで」あり「なぜこの取り決めを破ってはならないのか、と問われれば」「取り決めだから、というものだ。自分がした取り決めではなく先祖代々伝わってきた取り決めなら、それに対する不満ということも考えられる」し「そう取り決めた方が自分にとっても有利だと判断してあえてそう取り決めたのだから、これを破らないのはあたりまえではないか。」「この取り決めに従うことが自分にとって損になることが判明したときには、即座にこの取り決めに反する行為を行うのが当然なのではあるまいか。」このことの理由を永井は「みんながその取り決めに従った方が、そうではない場合よりも、十人全員(永井によって3の冒頭で十人の人間がいると仮定されている)の長期的自己利益にかなうだろうからである」が「では、なぜその取り決めに従うべきか」と再び問いかける。ここで再びトートロジーとなり、「その取り決めた理由は、それが自分の長適的自己利益にかなうと思われたから」であるとし、「取り決めに従うことが自分の長期的自己利益に反すると確信したときには、即座にこの取り決めを無視するのが当然なのでは」と功利主義的考えを示し、「そうしてはいけないという取り決めがどこかでなされている」可能性について触れ、それに従うべき理由を問う。
 
 道徳の外部にそれを支える道徳はない。この取り決めは、成立の以前にまでさかのぼって考えれば、そういう場合、破られるのが当然なのである。だが、十人がみんなそう考えていたとしたら、取り決めなどというものは、およそ存在する意味がないではないか。それに従うことが自分にとって不利なときにはいつでも破ってよい取り決めなんて、およそ役に立たないことは火を見るよりも明らかだろう。
 ここで二つの方策が考えられる。一つは、人々が取り決めを守っているかを監視し、違反者を罰する権力機構を作ることである。だが、全面的に監視することは不可能で、コストもかかる。その欠点を補うための、もう一つの方策が考えられ、これもまた不可欠である。それはすなわち、道徳空間を内側から閉ざす道徳イデオロギーを成立させて、十人全員に取り決めをした最初の動機を忘れさせるという方策である。この忘却によって、取り決めを行った動機によってではなく、取り決められた内容によって、内から閉ざされた内閉的空間ができあがる。内閉を強化する専門的イデオローグが必要とされ、取り決めは「定言命法」となって、狭い意味で道徳と呼ばれるものがはじめて成立することとなる。(49ページより)

 この前文こそ永井哲学の骨子となる考えの一つである。この考えの前半部分である懲罰制度の必要性は、ダニエル・デネットによっても「自由は進化する」(2003)などで既に示されている(他の著作でも恐らくデネットは言っているだろうが、デネットのこのテクスト自体は永井等によるこのテクスト(2000)より後である)。しかし一番重要なのは、永井哲学によるこの忘却必要論である。この考えは「翔太と猫」(1995)にも「倫理とは何か」(2003)にも反復して登場する考え方である(この部分は次章で詳述する)。
 永井はここでも再び功利主義的反証において「それを守らなくても安全で円滑な道路交通を実現できるときや、安全で円滑な道路交通を実現したくないときには、本来守る必要はない」とし、「しかし、だれもがそんなふうに考えて個別状況ごとに判断していたら、安全で円滑な道路交通など望むべくもない」とし、「人々はその設定の趣旨を忘れて交通信号に従うのでなければならない。設立の趣旨を忘れることが設立を実現するのだ」とし、信号を守ることを絶対的命令とする円滑な機能について触れている。続いて永井は「この忘却は、もちろんだれかの損にもならない」とし、交通信号がよく守られている社会においては「必要に応じて利用されるだけの社会」よりも交通事故死者数が少ないことを述べ、「この取り決めは、それが有効であるためには、少なくとも大多数の人によって、盲目的に従われる必要がある」とする。
 永井は更に十人の取り決めに関して次のように述べる。

(前略)道徳的な態度や思考や感情を内面化し、それを疑うことを知らない人々からなる社会の方が、そうではない社会よりは生き残りがちであり、おそらくは成員の多くにとって快適であろう。だれもが取り決めをした動機を忘却し、取り決められたその内容そのものの中に自らを内閉させることによって、その動機の観点から見てよりよい結果が実現されることになる。つまり道徳的な人とは道徳の存在理由を知らない人のことなのである。(中略)つまり道徳だけが唯一の武器である者は、取り決められた道徳の内容を祭り上げ、崇拝せざるをえない。道徳の根底には、目をこらせば見えてしまうものを見てはいけないとして遮断する隠蔽工作があるから、過度に道徳に依存せざるをえない境遇にある人の人格は、遮断的なものになりがちである。その事実を指摘できる人は、社会にとっても不要とはいえない。道徳についての、それ自体は道徳的でない真理を知っている人_つまり道徳の系譜学者は_道徳的社会にとってときには必要な存在なのである。
 道徳についての道徳的ではない真理を語る仕事が、社会にとってなぜ必要なのだろうか。道徳は、自分たちが今なぜこのように感じ、このような考え方をするのかが隠蔽され忘却されていなければ有効に機能しないが、この忘却によって維持された社会にとってさえ、ときには危険だからである。道徳をそれ自体として内閉的に信じ込んでいる人は、外的状況の変化によって当初に取り決められた内容が不適切になっていても、それに気づくことができない。善人は真実を知らない、というニーチェの命題は、ここでは構造的な必然なのである。
 通俗的な小説やドラマなどでは、これまでとは異なる異常な状況下でもそれまで教え込まれてきた道徳に献身し続ける者の姿を賛美し続ける。もちろんそれは、内閉空間を内側から強化する専門イデオローグの一翼を担う仕事であり、その社会の存立のために不可欠のものではある。だが、他方では、人々がその道徳を信じていることの本当の理由を知っており、道徳はつねに手段にすぎないこと_もしなくてすむのであればそれに越したことのない必要悪にすぎないこと_を状況に応じて説明的に提示できる系譜学的知性が、社会にとって必要なのである。(50~52ページより)

 この後永井はヒューム、ミル、ニーチェ等をそれらの一例である、つまり道徳系譜学者である旨を述べ、道徳の外部に立ち、人々がその内部で信じ込んでいる道徳の存在理由を知っている者として規定している。しかし同時に彼は「だれも道徳の全体像を眺めることができるほどには道徳から遠くの地点に立つことができないから、だれが本当の系譜学者であるかを決定することができない」としており、今挙げた三人の哲学者が特権的に道徳のレゾン・デ・トルを熟知しているという言説からの批判を想定しかわしている。
 確かに現代社会でも中島が「差別感情の哲学」で述べたような上位集団と下位集団というものは存在しよう(この論文について次回詳述することとする)。しかし少なくとも言説的な真理の如何を判断することはネット社会等によって徐々に我々にとっては個による判断を必然的に求められ、自己決裁的な意志判断がしやすくなってきている。勿論行動面において権力保持者とそうではない人との間には依然格差がある。それでも尚信条形成的な面において昔に較べれば永井が述べているようなマインドコントロールはし難くなってきている。それはネット社会自体がそういう事態を招聘したとも言えるし、その逆でそのような社会の要請がネット文化を我々に齎したとも言える。
 その意味では永井のこの部分の論述は、古典的な倫理学規範に則った考えを述べていると受け取ることも可能だろう。つまりヒューム、ミル、ニーチェといった哲学的エリートたちによるマインドコントロール的現実に対する批判的眼差しは今や格段に一流大学出身者とか一流企業経営者といったエリートたちによって独占されている、とは言い難い(昨今の与党政治家に対する検察の介入という事態自体への冷静な分析において政治家本人にも過失責任を認めつつも、検察判断に介在する思惑に対して疑念を抱く判断余地は多くの一般民間人の間でもエリート間のみならず可能である)。その事と社会的権力行使の実践力保持者ということとは勿論別箇であるが、少なくとも自己信条的内心の判断という意味では私たちの社会は既に権力保持者外的一般民間人の方に発言権や世論支持基盤が委譲されている、と見ても誤りではないだろう。
 少なくとも永井はこのやや古典的道徳理論によって「この真理の観点に立つことによって、私は、人間が道徳的に悪いことをしてはいけないとされている理由が、よく理解できるようになった。道徳を金科玉条のごとくに信じ込んでいる人が多い理由と、私自身がそう感じない理由も、分かるようになってきた」と述べ、哲学者としての意識の醸成過程について告白している。続いて永井は「このことはよいことだと思う」として

 よく生きるためには、道徳規範の成立基盤までさかのぼった無道徳性_むしろ道徳外性を保持することは必要なことだと私は思う。そのことによって、あらゆる種類の道徳的要請を究極的な力をもったものとみなす幻想から逃れることができる、と同時に、それに必要性も理解できるからだ。
 しかし、多くの人が私のような人である社会は、社会全体からみれば、多くの人が道徳を内閉的に信じている人である社会よりも、よくない社会かもしれない。その可能性はあるだろう。このような場面では、だから問題は道徳の内部にいることと外部からその真実を知ることとのバランスの取り方にあるのだ、と考えられやすい。だがそうではない。すくなくともそれとはまったく違う。より困難な問題がここからはじまるのである。(52~53ページより)

 この後永井は 4 系譜学的考察を超えて においてより詳細に道徳論を展開していく。しかしこの先は 第二章 永井哲学の社会契約的存在者とヘーゲルとハイデッガー において詳述していくこととするので、本章今回の論議内容をよく覚えておいて頂きたい。
 ちょっとだけ先取りしておくと、4において永井はより道徳的判断の価値論的領域へと踏み込んで考察しているということだ。実は哲学とはここからが本領なのである。それは次の部分に端的に示されている。

 「自分さえよければいい」という考えは最も悪い、不道徳な考えだ、と繰り返し言われてきた。そして、そういう考えはだれにとっても_どの自分にとっても_よくない結果を生む、と説得されつづけてきた。社会を構成する諸個人を等し並みに自分一般とみなす世界像を拒否してしまえば、この主張には説得力がない。(57ページより)

 この文章中「社会を構成する諸個人を等し並みに自分一般とみなす世界像を拒否してしまえば、この主張には説得力がない」が最大の主張となっていることは言うまでもない。つまりこの考えこそ永井哲学の骨子(特に<私>を軸とする考え)となるものなのである。尤も前回において既に幾つかのこの論文の骨子となる部分は引用しておいた。従ってそれと今回のものを綜合して考えれば粗方永井哲学のエッセンスは理解出来る。しかし再び次章において永井の制度論的な倫理学について考察する段にこの論文の結論部を流用することにする。その中の幾つかでは明かに永井哲学の宗教的、しかも神学的部分を垣間見ることとなるだろう。
 次回は中島の近作である「差別感情の哲学」と小説「ウィーン家族」を軸とした中島哲学の動機論について肯定的評価を認めるべき点と批判的論証を交えて考え、本章の取り敢えずの結論を導き出していこうと思う。そしてそのことが本ブログ本論の本章と同一タイトルである最終的結論へと重要な橋渡しとなっていくであろう。

Tuesday, January 12, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑧

 私は現在までのところ中島の本を、後数冊を除く全冊、永井も共著である本二冊ほどを除く全冊を読んできて、一つの明確な個々の像を見出してきた。それは既に二人の哲学者に対して私が中島を理性論的コミュニケーション信仰(言語の認識論)の態度で臨み、永井を経験論的コミュニケーション懐疑論(言語の存在論)の態度で臨んでいるということを述べたが、その考えを絶えず確信するように至らせるもの以外ではなかった、ということである。
 このことに対する解析から今回は始めよう。
 
 中島は本質的に言語に対してある一定の自己内の意思を他者に伝達する道具として媒介として有効な武器であることを信頼していて、その事実自体に対する懐疑を抱いていない。だからこそ彼は「ウィーン愛憎」において日本人に対する侮蔑的態度で臨むように思われるが、それが内実的には自己主張と極端な自己防衛が重なって顕現されているオーストリア人を中心とするヨーロッパ人の態度(中にはミセス・ケレハーのようなイギリス人も含まれるが)が、日本人全般に下されると、少なくとも中島の筆致自体から前提される客観的文明論的批判となって現れる(つまりそういう日本人に対して下されるオーストリア人の態度全般を日本人同胞に告発することによって日本人同士に共感を呼び起こすことが可能であると少なくとも信じている)こと、つまりその批評空間自体の存在意義について信頼を持って臨んでいる。それはどんなに他者が土足で自己内の感性領域に侵入してくることをしようと望もうと断固としてその偽善的良心を打ち砕こうとして極度にその侵入を否定するような態度で感性のエゴイズムを主張しようとする「愛という試練」のようなテクストでも、あるいは一切の学者的アカデミズムへの幻滅によって学者、大学教授間の人間関係的柵から一歩身を置くことを宣言する「人生を「半分」降りる」においても変わりない。
 つまりそこには痛烈なるマイナスのナルシズムが介在している。だから著述家としての中島を想像する時、例えば教室で一人先生に指されて全て教科書通りに模範的回答を示しながら最後にはそうやって他の一切の生徒が出来なかったことを自分自身は模範を示したことから先生から褒め上げられた末に、でもそういう風に着実に点数を稼ぐ自分自身に痛烈なる嫌悪感と、自責の感情を抱かずにはおれない、という風な生徒を私は中島に見るのである。
 この中島の哲学的態度を自虐的ナルシズムと呼ぼう(このことは彼の「たまたま地上にぼくは生まれた」等において中島が自分のことを理不尽に成功しているという風に述べている(対談等で)ことでも了解される)。もっと敷衍して言えば中島は自己内の正当なる自我さえも自責と後悔で彩ることを忘れないし、そのことまでも伝えようとする言語媒介的意志伝達信仰者である。

 それに対して永井は言語が持つ力を信じているという点では何ら中島とは変わりないが、全ての人間間の理解というものが仮に強力なる武器である言語を通してさえ理解し合えることはないという可能性も常に残される、という風に一切を白紙に戻すという観点を捨てていないのである。だから永井の書く文章は今回から取り上げる「なぜ悪いことをしてはいけないのか」(大庭健、安彦一恵共著、ナカニシヤ書店刊)において基調論文の最後に次のように述べている。

 コメントを下さる方のために一言。私は私の問題感覚を提示し、それについて今のところ考えることを述べてきた。私はその都度の自説にまったく愛着を感じないので、批判に対して自説を擁護して弁ずることが嫌いである。もしできれば、単なる質問や批判ではなく、私の問題に関して、私が考えつかなかった何か積極的な議論を提示してくださるようお願いしたい。(61ページより)

 この論説の中では特に「私はその都度の自説にまったく愛着を感じない」という箇所に永井の哲学的態度の一つの典型的例が示されている。つまり永井はその都度の発言とか記述が、確かにその都度の自分からの意志や考えを示すものであると了解していても尚、「書かれたこと」が書いた本人とは既に別箇の存在として独立してしまうということを直観的に理解しているのである。このことは重要である。
 それは彼の教え子で芥川賞作家である川上未映子がNHKの対談番組である「スタジオパークからこんにちは」に出演した時司会のアナウンサーに対して「自分の唾を口の中で飲み込むことは何ていうこともないのに、一旦吐き出した自分の唾をもう一度口の中に戻して飲む込むことは出来ない。唾であるということは同じことなのに」という疑問を語っていたが、実はこれは既に哲学者であるダニエル・デネットが「解明される意識」において述べていることである。
 つまり我々はどんなに愛着のある自分自身の肉体から放出されたものであってさえ、一旦それが自己の身体の外部に放出された瞬間から、それを他としてしか認識し得ようがないという運命を背負わされている(そのことは自分の息子との確執さえ執筆することを辞さないエッセイストとしての中島の姿勢とも関係してくるのであるが、そのことは又改めて第三章から第四章において書こうと思う)のである。その意味では言葉も同様である。
 従って永井にとって言語を対象として捉える視点が常に介在している、ということが言える。永井にとって既にその都度の自己による判断によって提出された自己による言説も言葉も既にその段になってしまえば自分から見ても他(者)なのである。
 このことを先ほどの中島に対して援用した解釈を適用すれば、永井とは大勢の生徒たちが意見を言い先生から褒められているのを聞き、しかし自分自身は「では永井君はどう思う?」と指されて先生の要求に従って「僕はこういう問い一切に関心がないのです」と返答したが、先生からは「永井君は物事を深く考え過ぎです」と一言で断じられ、でも本当に先生の言うことって正しいのだろうか、あるいはそれまで他の生徒たちが先生にとって返答して欲しいと思うようなことを返答してきた全てに対して「それは本当に正しいことなのか?」と疑問に思い、しかも自分自身の返答にもその懐疑の精神を捨て去らない、そういう生徒を想像する。この態度を絶対的自由論と呼ぼう。
 
 中島は初期著作である「時間と自由」の中で次のように書いている。

 知覚における赤とは別の赤を了解するとはいかなることかという問題は、伝統的には「観念」の存在性格に関する問題である。ここで観念史の詳細に立ち入ることはできないが、近代哲学において観念はおおよそ次の二つの方向に枝分かれして意味づけられてきたと言ってよいであろう。すなわち、一方でロック、バークリー、ヒュームなどのように、観念を何らかの心的対象と解する方向であり、他方ではライプニッツやヴィトゲンシュタインに見られるように、観念を心的な対象物と解することを拒否し、それをあくまで何ごとかを理解する能力と解する方向である。両者とも観念という概念は、なお次の共通項をもっている。それは、例えば赤や痛みの意味を了解しているとういうことを、その観念をもつことに帰す点である。(76ページ、講談社学術文庫)

 この論述で示されている内容から鑑みるに、中島はそれを意図的であるとか意識してであるかどうかには関わらず、少なくともあの「うるさい日本の私」などで公共的文化騒音に対する耐え難さを読者に告発することを通して少なくとも自己の意志が言葉によって伝えられるという言語の可能性を信じて疑わないという意味では明かにライプニッツやヴィトゲンシュタインと共通するタイプの著述家であり、永井は逆に完全にロック、バークリー、ヒュームらの系譜に属するということが言えると思う。

 そのことを念頭に置いて二人の論述を見ていくこととしよう。
 その前に前提となる中島の時間論的考えの骨子を捉えておきたい。その論述の前の 1意図的行為に対する後悔 中最終部において中島は次のように述べている。

 すなわち、本来は過去における自由というモデルに由来しながら、「現在中心主義」という思想に寄りかかった自由の素朴な形態が、「私がAをすることもしないこともできる」という無差別均衡の自由なのです。ですから、当然のことながら、これを自由の原型として、過去における自由から独立に理解しようとするとき、われわれは暗礁に乗り上げてしまう。先に見ましたが、私は「Aを選択することもしないこともできる」ということと、それにもかかわらず、私は事実「Aを選択する」ということのギャップを「内的強制」という言葉で飛び越えたつもりでも、実際には飛び越えたことにならない。(30ページより)

 ここで中島によって示されている無差別均衡の自由とか、それ以前に提出されている他行為可能性とは端的に、思惟の上での想定可能性であり、固有の現在は一切考慮されていない。このことは中島の「時間論」において科学における時間論全体が既に常に我々にとっては頭痛の種ではあるものの、真理論的にも前提にされるべき当の今、つまりあらゆる歴史を眺望する時にも忘れてはならない現時点、現在時点ということの固有性(だから通常ジャーナリズムでは新聞にしてもテレビのニュースにしてもそれが報道される期日を明記している)を一切剥奪した上で成立する真理論であるという思想をここでも明確に規定している。ベンヤミンの言葉をもう一度思い出しておこう。

 出来事を前史と後史とに分節化するのが現在である。[N7a,8]

この言説はあくまで現在から見た過去のことを言っている。つまり我々は常にある過去の出来事とかその周辺の時間的推移を現在から遡って捉えようとする時、その時点では一切そういう意識がない(何故なら未来はどうなっていくか分からないからであるが)が、ある出来事が起きてしまった後では必ずと言ってよいほどそういう風に過去から見た過去、過去から見た未来という区分けを利用する。つまりそのことを中島は先の文章中特に「私は事実「Aを選択する」ということのギャップを「内的強制」という言葉で飛び越えたつもりでも、実際には飛び越えたことにならない」で示しているのだ。つまり過去を現在から捉える時そこには必ず「現在から見たある過去の出来事」という操作が介入しているのである。しかしにもかかわらず後悔においてはその操作自体を忘却している、ということを中島は主張しているのだ。だからこそ後悔とは一つの過去へ遡りたいという願望であるとも言える。つまりその過去への遡れなさ自体が後悔を魅力ある願望へと仕立て上げているのである。そのことを考慮に入れてまず中島の「後悔と自責の哲学」における A後悔 1非意図的行為に対する後悔 中 「可能」な私の範囲 から見ていこう。
 ここで中島はまずアクラシアについて考えている。つまり気がつかなかったことだけではなく無意識の内にしたこと、しなかったこと(その中には自分だけがよい人格を形成してしまったがゆえに後悔することを、そういう人格を形成出来ずに失敗したことと同様に悔いることも考えている。つまり犯罪すれすれにまで至っても、なぜかうまくそれに陥らずに生きている自分のずるい人格という善良な市民であること自体への自責の念も含まれる<ここら辺がさも中島的である>)も含めて後悔される内容を考えているのだ。そして重要なのは次の箇所である。

 各人は物心ついてから(あるいはその前から)の膨大な積み重ねによって、現在の自分の人格を形成しているのに、その全体を後悔するとは、現実の自分ではない架空の能力(性格、学力、魅力、体力など)をもった人間を「自分」と見たてていることになります。これは、はなはだ不合理に見えますが、いちがいにそうとも言えない。
 なぜなら、もともと「私」という言葉には「私は日本人です」とか「私は虚栄心が強い」というような現実的な属性ばかりではなく、「私はもっと(人間的に)強くなりたい」とか「私はどんなことがあっても今後のコンクールに入賞したい」というような可能的属性も付与されるからです。人間とは、こういう欲求・願望・希望などを抱く生物なのであり、まさにこれと呼応して過去の事実に関しても「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔する生物なのです。こうしてみますと、まずわれわれは欲求・願望・希望を抱き、次にそれらが未来と過去の両方向に伸びているだけだとも考えられる。(47~48ページより)

 ここでまさに中島はヘーゲルが打ち立てて、再びサルトルによって「存在と無」でクローズアップされた対自の概念を援用している。要するに対自とは「これまでの自分」という過去事実と、その過去事実全体への反省的意識によって固有の人格を自己に対して付与し、更にそれを未来へと適用して、だから逆に「これからの自分」はこれこれこういう風にしていこう、いくべきだという指針を添えて考える。要するに対自自体が一つの時間論となっているのである。今までの自分、これまでの自分という考えはそれ自体記憶と経験とによって得てきたものとそれと引き換えに失ってきたものの総計である。その自己像に対して修正や変更の意図を未来へと向けて抱くということの内に対自の時間論、つまり過去事実とそれら全体への反省的意識による未来への志向性と投企という観念で対自を捉えると、中島流に考えれば確かにそれは後悔による時間論ということになる。
 中島の先の文章の後で示されている限定された可能性という枠、つまりあまりにも大それた自己能力を遥かに超え得ることのない中島の言葉をそのまま借りれば「論理的可能性から実在的可能性へと絞り込んだもの」なのだ。実在的可能性は故にこれまで人生で自分が何をしてきたかによって決まる。そこに中島は未来への実在可能性というものを捉えているし、ここら辺の考えは至極真っ当であると言えるだろう。
 故に次の節 「投げ込まれていること」と「企て」 においてハイデッガーの投企について触れているのも必然的論理展開である。故に私は中島の言うように後悔がなければ過去が成立しないとまでは考えないまでも、中島の述べる「ハイデッガーは「投げ込まれてしまっていること」の自覚から過去が発生すると考えていますが、むしろ「投げ込まれてしまっていることに対して一定の態度をとること」すなわち広い意味で「後悔すること」によって過去は発生します。われわれ人間は自分が投げ込まれてしまっている事実性を何の抵抗もなくすなおに受け入れるわけではないからです。むしろ各人の事実性は彼(女)にとって超えられない枠であって、たえずその枠を超えようとする意図(企て)を認めつつも、そのつどけっして超えられない枠として立ちはだかっている。言いかえれば、われわれ人間は動物とは違って未来へとたえず「企て」を投げかけるからこそ、そしてその「企て」がほとんどかなえられないからこそ、さらにさらに後悔を堆積させるのです。」という2の結語は、ある部分では中島哲学における後悔によって過去が発生させられるという時間論の一つの結論でもあるということになる。
 私自身は過去という時間が認識上付与され、その過去事実内容自体は後悔とは別箇に成立していて、その事実への想起自体が容易であればこそ後悔がその時点で発生する、と考える。だが中島はそう捉えない。ここでも中島哲学の「言語が世界や身体を作る」という発想(言語の認識論)が活かされている。つまり過去があるから後悔が発生するのではなく、後悔という論理的可能性であり且つ実在可能性全体への反省的思惟という言語認識によって過去を通した世界の見え方が決定される、と捉えているのである。
 今私が示した私の考えと中島との相違において何が浮かび上がるかと言うと、それは世界全体への構えの違いである、と言えるだろう。中島にとって恐らく世界とは存在論的に成立する以前にまず自己という存在を成立させる言語的秩序によって認識されるものであるということだ。それは言い換えれば世界そのものが理解されるべき対象として立ちはだかっているのということである。
 それに対して少なくとも私はその面では永井に接近した捉え方だと言えると思うが、私にとって世界は認識したり理解したりする以前に超然と立ちはだかっているわけだ。そう世界に対して構えるということだ。それはある意味では理解出来ないこととか認識出来ないことを沈黙するというヴィトゲンシュタイン的態度(ラッセルが「西洋哲学史」においてヒュームを認識する段で、「さまざまな観念のうちでもとの感覚印象がもつ生々さを少なからぬ程度までは保持している観念は記憶に属していて、他のものは想像に属している」と述べている箇所において中島ならその想像する領域に関しては沈黙を守るという態度で臨むだろうが、私は違うかも知れない)であるよりは決定的にその理解、認識出来なさ自体を体感的に無視することが出来ないという構え方であると言う意味では極めて不器用である、と言えるだろう。そして私は永井もカントもそういったタイプの哲学者である、と捉えている(しかしそれは勿論どちらのタイプが優れているというわけではない)。

 さて永井の方へと移ろう。永井にとって世界が超然と立ちはだかるということはある意味で私ということ、それはその当の実在がたまたま永井均であるという事実を通して理解されることであるが、その事実を自分にとって何故たまたま自分が永井均であるかと言う問いと同一である。それは恐らくデカルトからメルロ・ポンティまで一貫して哲学者が抱いてきた想念であるポンティの「知覚の現象学」中の序文の中にある「デカルトおよび特にカントは、主観ないし意識を〔世界から〕解き放って、もしも私が或る物を捉えるに当たってあらかじめ自分を存在するものとして経験するのでなかったら、私はどんな物をも存在するものとして捉えることはできないであろう、ということをあきらかにした」(1竹内芳郎・小木貞孝訳、みすず書房刊)という行為の系譜に位置づけられる。何故なら中島やヴィトゲンシュタインが言語的認識によって私が作られると考えているような意味で永井は全く違ったアプローチで世界に臨んでいると捉えられるからである(勿論ポンティは世界や私が言語によって作られているとは考えていない)。それは言語によって私を理解する以前に私を永井が認めているということに他ならない。
 永井は「なぜ悪いことをしてはいけないのか」における基調論文である 3 なぜ悪いことをしても<よい>のか において次のように述べている。この文章は道徳論について述べられている全体の中の終盤にさしかかる間にほんの一言添えられているものであるが極めて永井哲学を理解する上で重要である(この論文を冒頭から解析することは次回に重点的にする)ので最初に示しておこう。

 私はまた永井均という一個人の利益のために行為し続けるのでもない。私がなぜかたまたまその個人であった以上、それもまた避けがたいことではあるが、少なくともそれだけではない。そうした結合の偶然を超えた存在の偶然を、私は自分の生の根底におきたい。なぜかこの、私の世界が存在し、それが最初にして最後、そして唯一の世界なのである。そこにはいかなる取り決めもなく、してはいけないことも、すべきこともない。私は何をしてもよく、修辞的に表現すれば、何をしてもよいという義務がある。永井均のいわゆる利益のために、私が奴隷にならなければならない理由は最終的にはない。(57~58ページより)

 この部分に示された永井哲学の考え方の基本は、ある意味でカントの完全義務、不完全義務にさえ酷似している。それは特に「そこにはいかなる取り決めもなく、してはいけないことも、すべきこともない。私は何をしてもよく、修辞的に表現すれば、何をしてもよいという義務がある」によって示され、要するにそれを意志的に善意志によって行うということ、つまり傾向性によってなすのではないことこそカントが「人倫の形而上学の基礎づけ<あるいは「道徳形而上学原論」>」においてカントが最大級に主張したかったことだからである。そして極めて永井哲学を理解する上で重要なこととは、端的に彼による近作である「なぜ意識は実在しないのか」やそれよりもっと以前の「<私>の存在の比類なさ」による<私>ということの意味がまさにこの文章における「そうした結合の偶然を超えた存在の偶然を、私は自分の生の根底におきたい」という部分のまさに「存在の偶然」という箇所にあるということである。
 これは通り一遍の表現をすれば現象的であるということであり、意識とかクオリアということであるが、永井が言いたいのはそういう形式的なことではない。まさにヴィトゲンシュタインであるなら沈黙しなければならない、と語った当の問い、つまりラッセルのヒューム解析によって示されていた想像の領域のことだからである。それは端的に何故永井均という個がこの超越的自分であるかということ自体を事実認識として捉えるのではなく、存在として受け入れることである。つまりそれは「生れて来たという事実自体の受け入れ」ではなく「生れて来たという事実の持つ奇蹟の受け入れ」という意味で捉えられるべきものなのである。
 その証拠に彼は同じ論文の中で次のように述べている。

(前略)この世界の中でそういうことを語る理由を問うているのなら、私は特別な意味で道徳的な理由があるのだ、と答えたい。そう答えるとき私は、2で述べた系譜学の水準を超えて、哲学をすることの意義について考えている。私は、哲学的な語りを含めて、語るという行為が本質的には道徳的行為なのではないかと疑っている。言葉を語ること、少なくともまじめに言葉を語ることは、語られた内容が何であれ、道徳的行為なのではあるまいか(これはきわめて原初的な、言葉によらない取り決めのようなものだろう)。悪の根底には言葉の拒否があり、それは言葉では決して表現することができない端的な事実と呼応している、と私は感じる。どのような語りによっても、それを表現することはできないように思われる。(59ページより)

 ここでも永井は自身の哲学骨子の概要とも受け取れる幾つかの重要な考えを述べている。一つは言葉を語ることが道徳行為であるという倫理的認識である(それは きわめて原初的な、言葉によらない取り決め という表現によって先験的に言葉以前に世界があり、世界と共に私があるという考えの表明ともなっている)し、且つ悪自体を悪という心の存在をも奇蹟として受け入れるということを悪をなす者の立場から考えているということだ。
 つまりだからこそ永井にとって悪をなす者、つまり実際に新聞やテレビでも報道されるような殺人犯などに対して中島のように「哲学の教科書」において殺人犯を差別的態度で接する同僚に対して怒りを表明するような態度を取ることを控えさせているのである。永井にとって恐らくそのような行為へと赴く運命の星の下に生れてきた人間に対して中島のように「ひょっとしたらその殺人犯が自分だったかも知れない」などと想像すること自体が自分はこの世に生れ来た事実自体の奇蹟の前ではとんでもない大それた想像であるに違いないからである。
 つまりこの悪に対する冷厳なる、あらゆる同情心や憐憫をさえ跳ね除ける運命論的な言葉以前に世界が画然と存在者にとって存在しているという事実に対する容認ということからも永井を言葉の存在論者であり、且つ経験論的コミュニケーション懐疑論者である、ということを裏付けている。つまりこの懐疑論は一つの存在論なのである。そして私はヒュームも、そのヒューム的主張を取り入れたカントにもその意味での懐疑論的存在論を感じるのである。(つづく)

 
 

Thursday, January 7, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑦

 今回を含め三回ほどで一度この第一章の遠大な命題の区切りを一旦つけておき、その他のこの二人の哲学者とその哲学思想、哲学的感性、社会的ロールといったことを詳細に分析し私自身の主観に沿って位置づけることをするプロセスを経て後半で再び同じタイトルの章を何度かに分けて道徳と倫理の問題に取り掛かることにする。
 従って今回を含め三回ほどは触り程度の二人の哲学者の思想的傾向と資質に対する取り敢えず今後論議を進めていくために必要なこととしての暫定的結論と見做して頂きたい。
 また分量の関係から今回から次回前半は主に中島を、そして次回後半から次々回前半は永井を中心に論を進めていくこととする。

 前回の後半で述べた中島の「後悔と自責の哲学」中導入部における基本的論理矛盾について少しだけおさらいをしておこう。
 私自身の時間論的考えでは過去は決して中島による件のテクストで示されているような意味で後悔によって形成されているのではない。その証拠にもしロボットにせよ、ゾンビにせよ意識が皆無な存在者がいたとしても、彼にとって過去とは実在したこと全般に対する記憶と認識が未来への行動的な意志全般に必要であろう(尤もこの問題は、意識に対する定義の問題と、存在者をゾンビやロボットにまで拡張してもよいかという価値規範的、倫理的命題をも含むこととなるので、私の別のブログにおいて先に示すことになるだろうし、又本ブログではかなり終盤に近づいてきた時点で取り扱おうと思っている)。そして私たち自身もまた、ある過去事実や過去のデータ全般において別段感情的意味づけがなくても、何ら差し障りのない多くのデータが未来行動における指針として役立つということはあり得る。
 例えば私は京都が好きでしばしば訪れるが、以前の旅行で行く予定を立てていたが、いけなかった場所には今度必ず行こうと決意することが出来る。
 これは端的にもし必ずその時に行く決意があったならば、確かに中島の言うように後悔によって次回行くことにしようと決意することを誘引しよう。しかし必ず行くつもりでいた場所は一応踏襲出来たとして、尚時間的、体力的に余裕さえあれば行こうと思っていたが、現地に行ってみて物理的にも精神的にも行くことが不可能であった場所へ訪れられなかったことまで私はそれを後悔の中に組み込むことは出来ない。
 従って私たちにとって過去は後悔を持って解釈することによって未来へと橋渡しする部分があったとしても、それはあくまで部分であり、全体ではないということだけをここで強調しておきたい(それだけでなく仮に一切の後悔がなかったとしても尚、我々には未来においてある場所へ移動するために必要な土地に対する知識とかもっと単純な知覚判断的な意味合いからも、それ以外の多くの知識にも記憶すべき過去事実、過去の経験的記憶が必要である)。
 また過去論における過去を実体とするか、只単なる表象とするかということにおいては、恐らく次のような反論が用意されるものと思われるので考えてみたい。
 それは表象もまた一つの実体であり実在であると捉えられないかということである。それは確かに一理ある。しかし少なくとも前回私は一応実在を物体として存在するもののことに限定し、表象を脳内の思念においてのみ実在することと区分けしておいたのだ。しかしこの表象を実在と等価に扱うか否かという問題は、意味や感情、あるいは言語などを実在的に扱うかという問題をも誘引する命題なので、そう簡単に結論づけることが出来ない。従って一応実在を物質的に外在的に存在するものとして、表象を精神的、心理的、脳内思念的なものという単純な区分けをここで採ることを宣言しておく。しかしいずれ意味、感情、言語などを実在レヴェルで捉えることも可能であるというレヴェルでも考えていくつもりなので、その時までは暫くは単純な論理で考えて頂きたい。

 しかし私にはこの中島の後悔と自責を絡めた過去論はそういった矛盾にもかかわらず、極めて魅力的である。何故なら確かに過去性そのものは、単純な行動を誘引するために把握され、解釈されるというゾンビにおいてもロボットにおいても必要なデータであるに過ぎない部分を持っていても尚、精神的には我々にとって極めて未来意志へと直結する決意、決心を誘引するような、要するに過去全体を理想値とか価値判断的査定において、それを上回っているか(幸運であったし、自らも努力した)、それとも下回っているか(不運であったし、自らも後悔と自責の念を禁じ得ない)ということにおいて判断していくことが極めて日常的には多いからである。つまり中島の 過去=後悔による要請 という考え方はある意味では語彙規定的に不完全であることを承知で捉えれば、明らかに本意的には過去という語彙を 過去解釈 と捉えてもいいものだからである。
 後悔とは一つの願望である。人間が知性が進化してきたのは、自然が付与した偶然であるという唯物論的生物学的常識的観点を採用すると、それは決して我々による願望が進化させてきた、ということにはならない。この考えは哲学者の多くの賛同してくれる考えであろう。何故なら我々はいつかは必ず死ぬ(尤もこれも哲学的に言えば決して正である、とも言えない部分があるのだが、取り敢えず現実的にはそうである)ということ、そしてその時期は常に理不尽に我々の願望とは無縁に訪れる、ということを考えれば説得力があるだろう。拠って前回取り上げた中島による「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう」という言説を、私なら次のように書き換えるであろう。
 「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去全体の解釈を全く違ったものとしてしか認識し得なかっただろう」
 ところでこの「後悔と自責の哲学」という著作物について一言述べておくこととする。
 中島の「孤独について」「うるさい日本の私」「醜い日本の私」「孤独な少年の部屋」等の諸著作に見られる一般的標準値的感性と著しく乖離した自己の感性への覚醒から、少年期から大人になって以降も含めて継続して受け、あるいは感じ続けてきた社会の矛盾の告発、あるいはそういった矛盾の中を生きることの哲学的洞察を示した諸著作全体の基本的なスタンスと、それをより哲学命題論的に客観的に分析した、という意味で「後悔と自責の哲学」は、中島の著作物中での代表作であるとか傑作であるとかいう評価とは別箇に中島義道という哲学者、エッセイスト、評論家、作家の考えを知る上で最適のテクストである(これ以外では第一回で取り上げた「悪について」である)。
 本章においてはこの「後悔と自責(今後省略してそう呼ぶこととする)」はA後悔 の2 までに留めて、残りの内容に関しては先述した後半の同一タイトルの別章において詳述していくこととする。

 さて細かく見ていこう。
 この本の中では、とりわけ 2  非意図的行為に対する後悔 中 後悔と過失 は重要である。後悔があるテレビ番組で紹介された車の中に排気ガスをホースで引き込んで自殺した父親に対して、息子が「自殺直前の朝、学校に行くときそのすぐ傍を通ったのに気がつかなかった。気がついていれば救えたかもしれない」と涙なららに訴える場面を見たことなどを持ち出して、自らの過失以外に多く後悔を生むことを先に示してから中島は

(前略)こうした後悔は、近代法(民法や刑法や商法)における(「故意」ではなく)「過去」に対する責任追及に対応します。
 近代法は、ほとんど瞬間的に発生する自動車事故や大企業の吐き散らす公害などを通じて、行為と結果のあいだに因果関係が明確に立証されない場合でも行為者の責任を認めるという無過失責任へと進んでいきますが、こうした流れは責任追及の終止点の性格をよく示している。つまり因果関係の始点としての心の状態がたとえ確定できなくても、依然として責任追及の態度は変わらないのです。このことからも、心の状態より責任追及のほうがより根源的であることがわかる。
 過去の段階に留めますと、責任追及の終止点をさすがに「自由意志=故意」と名づけることはないにしても、何らかの心の状態として認定しようとする。過失という心の状態は、先の少年の後悔に正確に呼応している。何らかの事故あるいは事件が起こったときに、それに「気がつかなかったこと」が過失とみなされるのですから。先にも挙げましたが、自動車の運転手が、道路の脇を歩く小学生の集団に突っ込んで数人を殺した(ないし怪我を負わせた)としたら、彼らに気がつくべきなのに気がつかなかったことが責められる。しかし、つい路上の野良猫をひき殺しただけなら、それに気がつかなかったことは責められない。
 また彼に生まれつき注意力が病的に欠如していても、それは彼が「気がつかなかったこと」を免責しない、「気がつくべき」こととは、個々の人間の注意力(それは恐ろしく異なっている)という事実とは別に、平均的人間として気がつくべきこと、つまりある人にとっては不可能に近いことでも、やはり気がつくべきことなのです。
 この事例からもわかるとおり、過失とはじつは心の状態ではなく、あらかじめ気がつくべき法益(歩行者)が決まっており、その法益侵害をしたときに(故意でなければ)自動的に「気がつかなかった」にみなされる社会制度にすぎないのです。
 この社会が、こういう論理を合理的なものとして容認しているかぎり、父親の自殺に「気がつかなかった」を責めつづける少年の心情もまた合理的なものとして容認されている。言いかえれば、この少年に対して「後悔をやめよ」という助言が現実的な力をもつのは、われわれがいかなる過失に対しても人を責めることをやめるときであり、これが実現されることは(少なくとも近い将来)絶対にありえないように思われます。(41~42ページより)

 実はこの部分はまさに第二章で詳述する永井の制度論とまさに通底する哲学命題である。私自身はここら辺を専門的に研究しているわけではないので、恐らく社会学においても文化人類学においても言語学や記号学においても、この制度論的な真理とはかなり重要なことなのではないかとだけは私にも判断出来る。そしてこのことは次回永井の倫理観について述べる時にも再び取り上げることとする。
 尤も中島が東大法学部出身でありそこからドロップアウトして哲学の道に踏み込んだという解釈を自己に対して位置づけている(「孤独について」「生きてるだけでなぜ悪い?」等によって告白されている)こと自体に内在する、しかし法学的知性を全く持ち合わせてはいないどころか、かなりの部分で彼の哲学の骨子を形成することに役立ってさえいることを証明するかのような 人格形成責任 で刑法学者の団藤重光氏のことを取り上げ(ここら辺の披露欲求の正直な誇示こそ中島の著述家としての性格を表わしている。永井なら恐らくこのような叙述は一切省略するだろうから)法学の存在根拠について触れた後、 「可能な」私の範囲 以降再び哲学本質論について触れている。(つづく)

Sunday, January 3, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑥

 今回は少し哲学専門的(とは言っても難解であるということよりは寧ろ本質論的であると言ってもよいが)に立ち入って考えたいのだが、本論へと行く前に少し押さえておきたいことがあるので少し私的なことも述べよう。
 私は自分自身の努力不足もあるだろうし、運命的なこともあるのだろうが、殆ど全ての努力が報われないままに五十歳を迎えてしまったという観が人生に対してあるのだ。そしてこれから先徐々に老いていき、いずれ死を迎えるのだ、ということを自覚する時ある決意というか、ある心がけをしていきたい、と考えているのである。それは寧ろ死というものをあまり必要以上に否定的なニュアンスで捉えるのではなく、どんなに努力しても報われない人の方がずっと大勢いるこの世の中で唯一挫折や苦痛から開放させてくるものであると捉えるべきではないか、ということだ。 
 この考えは哲学者であるトーマス・ネーゲルも苦悩して考えていたことだが、全ての哲学的行為をこの死の恐怖、つまりそれは死自体が否定的に価値的に捉えられているということに起因しているのであるが、それを問い詰めること自体が哲学であるとしても、最初から前提として生だけを肯定的に捉える仕方自体を改めていくことも必要ではないかということだ。
 これはロボット工学者で脳科学の研究をされる前野隆司氏による幾つかの著作において繰り返し述べられていることとして記憶力だけを積極的に肯定的価値として捉えてきたこと自体を反省へと送り込むような考え、つまり忘却力、つまり物忘れをすること自体への価値的見直しとも共通した考えがあるように私には思われる。
 それは私自身が五十歳を超えて最近老いを肉体的に感じざるを得ないようになってきた時に、老い自体も否定的なだけでなく肯定的に捉える視点があってもいい、と考えられるようになったからである。
 だからあくまでこのスタンスは死自体を美化しようということでは決してない。基本的に生は素晴らしいこととは認めつつも、生自体ではあまりにも報われないようなことも多くあるという現実の前では哲学的にあたら死だけを遣り込めるようなスタンスだけが正しいとまでは言い切れないという視点も残しておくべきだ、という見解に拠るものなのである。この点において恐らく私自身の哲学的見解はいささか中島とは対立していくものと思われるので、敢えて最初に示したのである。
 
 さて哲学自体のかなり立ち入った考えとは本ブログにおいて取り上げてきている二人の哲学者のスタンスを見るだけでも十分理解することが出来る。
 例えば永井均は端的にかなり平明な文体において実はかなり難しい哲学命題を問い掛けているが、実際中島義道のように私生活に対する告白とか私小説的文章は一切発表していない。自分の子どもはやはり可愛いというようなことを僅かに述べているに過ぎない。
 それに対して中島は最近本格的小説も発表し既に刊行されている(「ウィーン家族」)。
 中島義道という著作家とは、第四章において詳しく取り上げるが、ある意味ではかなり出版界的現実に即応した社会的ロールを担っているということから、例えば彼自身の時間論を主軸に捉えるべきか、それとも差別論一般によって捉えるべきか、それともマイナスのナルシスと本人が命名しているようなある種のエゴイスティックな自我論的立場、あるいは感性のエゴイストと自らを位置づける固有の文化騒音問題の活動家としてのスタンスを貫く作家的立場から捉えるべきかという幾つかの方法的切り口が戦略的に用意されているように思われる。
 しかしそのことは同じようには永井均には通用しない。であるが故に逆に永井には中島ほど多く著作物を刊行してはいない(15冊)ので、その事実から、逆に些細な記述においてさらりとかわしているのにもかかわらず、よく考えてみるとかなりアナーキーなことも主張しているという部分を読み取る必要があるのだ。そしてそうすることによって逆に中島のかなり反社会的立場を鮮明にマニフェストしている部分の本質的性格とは「本当にそのような反社会性を中島義道は主張しているのだろうか」という懐疑論を招聘することにもなるのだ。つまりそのような認識再考にこそ本論の本質的意味があるのである。
 第十一章において二人の時間論に関しては詳細に分析する予定であるが、時間論に関してカントを多く取り上げている中島によるカントがかなりある部分ではヒューム的懐疑論に裏打ちされている、ということを私は本論で分析していってみたい(詳しくは次回以降に持ち越すことにしよう。)のであるが、一方哲学において「序の前のこの論文を書くこととなったきっかけについて」でも少し述べたが、本来哲学行為とはその論文などで述べられている記述における真理命題的な論理とか論理的主張における意味内容、論旨のおいてのみ示されるものではない。それらはあくまで一つの仕事としての成果であり結果ではあるものの、それらの真理命題へと誘引していった人生的な経路とか論文執筆者自身の人間的性格とか、資質、あるいは執筆背景といったことを全て無視してよいかと問われればそれはノーである、ということである。
 だからカントから多くを負っている中島の時間論にしても、実際にはその本質において彼自身に固有の哲学動機ということが介在している、という切り口で考えることも又一つの正当な考えである。
 
 さて具体的な記述に即していこう。
 永井の「翔太と猫」は端的にかなり哲学命題が濃縮されて鏤められている名作である。事実著者自身もそのことを認めていて、文庫版あとがき では自画自賛するようなことを述べているし、ちょっと場所は忘れてしまった(思い出したり発見したりしたら後で記述することとする)が、この本を哲学命題的水準においては他の専門的書以上であるということを述べている。前回の続きをまずここに再び掲載しておこう(前回の引用文を参考にして頂きたい)。

「他人の言っていることを理解しようとするときも、それと同じこと?」
「言っていることだけじゃなくて、やっていることの理解だってそうだよ。理解するためには、相手の中に理や真を見つけることが要求されるんだよ。」
「だんだんつながりがわかってきたよ。だから、たとえば、ぜんぜん違う言語をしゃべっている人たちも『ゴミや糞尿はきれいだけれど花や夕焼けは汚い』って意味のことを言うことはありえないってことになるんだね?それが意味の理解の前提だから、ひょっとしたらほんとうはそう思っているかもしれないってことさえもないんだ!」
「そうさ、相手が自分を真実だとみなすものを真実だとみなす、と前提するんじゃなくちゃ、意味の理解は始まらないんだ。相手のまちがいを指摘したり、相手の意見に反対したりできるためにも、それが前提になるんだよ。一致して受け入れたり、一致して拒否したりすることがらが多くなればなるほど、ぼくらは相手の言うことがよく理解できるようになるからね。同じ言葉をしゃべるときだって、いつもそうしているよ。だから、『わかる』って言い方で『賛成する』ってことをあらわせるんだよ。こういうふうにね、相手の言っていることがほとんど正しくて理にかなってるって前提する態度は、相手に同情心をもって接することだから『チャリティ原則』って言われてるんだ。この原則はね、ひょっとしたらまちがっているかもしれないような原則なんじゃないんだよ。そうでしかありえない原理なんだ。たとえば動物の言語の場合だってそうだよ。蟻や蜂蜜がぼくらの基準で合理的に行動しているって解釈する場合にしか、彼らが言語を持っているとか、何か考えているとか、みなすことはできないだろう?」
「だから、言葉は持っていて、ぼくらにはその意味もわかるけど、でもぼくらとはまったく違う考え方をしている者、なんていないんだ。」
「そう。いないんだよ。いるかもしれないけど僕らにはわかない、なんてことに意味が与えられていないんだからね。」
「でもさ、子どもと大人の違いと同じで、意味が理解できるよになってからは、相手のまちがいやこちらの誤解がわかるようになるんでしょう?」
「うん。かんたんに言えばね、相手がほとんどまちがったことを言わない、って前提のもとではじめて、言葉の意味が理解できるんだ。そして、いったん意味が理解されたら、その意味体系を前提として、今後は相手がほとんど意味をまちがえないって前提のもとではじめて、考えや理解の違う点を確認することもできるってわけさ。」
「じゃあ、こう言えるね?相手がまともで言葉が違うだけなら、言葉の意味はわかるようになる。逆に、相手が気が狂ってるけど正しく日本語を使っているなら、考えていることや信じていることを理解することができるようになる。でも、もしだよ、相手が気が狂っていて、しかもまちがった日本語を使っているか、ぼくたちの知らない言葉を使っていたら、その人のしゃべってる言葉の意味も、その人が何を信じているかも、どちらも絶対にわかるようにならないってことになる?」
「そうなるね。いま翔太は「気が狂っている」って言ったけど、たとえば精神病患者で妄想を持ってる人に対して、精神科医はふつう、患者の言葉の意味を理解してはいないって前提で接するみたいだね。たとえば、患者が「私は地球防衛軍司令官だ」って発言したら、そいつはそういう妄想を持ってるって考えるんだ。その患者が『地球』とか『防衛』とか『軍』とか『司令官』とかいろんな言葉の意味は正しく使ってるって前提してることになるね。」
「ぼくが見た夢もそうだったなあ。」
「そうじゃなく解釈することもできるよ。道を聞かれて『日が沈むまで待てば、・・・・・・』って答えた警官は、その他の点ではまったく正常なんだけど、『日が沈む』とか、自分が使ってる言葉の意味をぜんぶ理解してた、っていうふうにね。どういう場合のどの段階でも、どこまでを意味に割り振ってどこまでを信念に割り振ったらいいかは、決められないんだ。たとえば、古代人とぼくらでは、むしろ言葉の意味の方が違うって考えられないかな?彼らが平らだと信じていたとぼくらが言ってる地球って、ほんとうにぼくらの言ってるこの地球なのかな?ぼくらは、地球は太陽系の一部で、太陽系は大きな恒星のまわりを回る惑星の集まりだと信じているね。もしある人がね、地球に関して、こういうことをひとつとして信じていないとしたら、その人とぼくらの間では、地球というひとつの同じものについて、それが丸いとか平らだとかいう点で信念が食い違っているってことすら言えないんじゃないかなあ?」(171~174ページより)

 ここで永井は全て理解と把握についてその照準を合わせるという意思疎通上での前提について語っている。それは何度も出てきたパラメーターセッティングなのである。しかしかなり重要なこととして精神疾患について述べている箇所では言葉の意味そのものではなく言葉の意味を伝達する状況的適切性についてと、言葉の意味が制度上で常識に結びついているということを示唆するように書いている。このことは第二章において私が永井について論じる上で極めて重要な事実であることだけをここでは述べておきたい。
 つまり言葉とは意味的な真理命題としての真偽だけではなく、意味を援用するという意思疎通上での状況的適切性、つまりそれを通して我々は相手の意を汲むということにおいて我々は使用している(それは殆ど自動的であるから一々そういう風には意識されないのだが)し、また信念においてある意味を理解することが信念全体を構成するものを前提にしているのだ。「意味体系を前提として、今後は相手がほとんど意味をまちがえないって前提のもとではじめて、考えや理解の違う点を確認することもできる」ということ自体が意味することが、意味を援用する意思疎通を可能とすることがそれ以前の信念の体系に依拠しているという制度上の言語命題について語っているのである。
 このような意思疎通上での言語命題を信念体系とか意味体系から考え直すという哲学的スタンスは言語哲学や分析哲学では別にそれほど奇異なことではないのだが、その心の経路を徹底的に再検証しようという意図において永井理論には極めて注目すべき態度がある、と言っていいだろう。
 まさにここに、私が永井のことを発生論としての言語構造に着目している、つまり意思疎通を前提とした哲学ではなく経験論的コミュニケーション懐疑論と私が名づけたように構造自体を問うスタンスを携えていると捉えたことの根拠があるのである。
 
 しかし中島はその部分で永井と決定的に異なっている。何故なら一つには言語行為発生論的な視座から中島は哲学命題を進展させるという手法を全く採っていないからである。
 再び長くなるが、永井との論理命題的志向性の違いを鮮明化するためにも、同時に中島の「人生、しょせん気晴らし」<「統覚」と「私」の間>中の 構成主義の語り方と残された問題 をここに記載しておく必要があるだろう。

 カントは、たしかに「統覚」を「根源的(ursprunglich)」とか「純粋(rein)」と呼んでいる。だが、ここで注意しなければならないが、このことはそのような「根源的かつ純粋な自我」が個々の「経験的自我(具体的な私)」に存在論的に先行して「ある」という意味ではない。私を探求していけば、この根源的自我に行き着くという意味ではない。少し前に自分の意志でもないのに地上に産み落とされ、もうじき何もわからないまま死んでいかねばならず、そのあいだも日々足を引きずるように生きている虚しいこの私の「うち」に「統覚」という名の「ほんとうの私」がいる、というわけではない。
 統覚が根源的であり純粋であるのは、ただ説明の順序として第一に来るというだけのことである。説明において先行することは、けっして存在論的に先行することではない。むしろ、説明において先のものは、説明において後のものから、はじめてその存在を獲得するのだ。これが、カントがすっぽり捕らえ込まれている「構成主義(Konstruktionisumusu)」の基本構図である。
 構成主義においては、まず抽象的な原点(統覚)を定め、その乏しい原点がしだいに具体性の衣をまとって「受肉化していく」という一種の擬似発生論的説明をとる。そのさい「より先のもの」が「より後のもの」より論理的に先行するという論法を採るが、「論理的」とは「説明の順序として」という意味にほかならない。はじめから、「私のあり方」には、自己触発による内的経験の構成能力がなければならないことをカントは知っていたが、構成主義の枠内に留まったがゆえに、説明の順序として、まず統覚を立て、次にそれが内省を触発する、という説明方式をとらざるをえなかっただけなのである。
 だが、これで話が終わったわけではない。ここでわれわれは、ふたたびヒュームの「開かれた問題」にぶち当たる。じつは、このすべてを認めても、統覚が内官を触発するという構造ことが「私である(sun)」と論理的必然的に言えるわけではないのだ。言いかえれば、「現に体験したこと」を抉り出し、それを機軸に内的経験を構成する能力こそが、「私」というあり方にとって根本的であるという判断は、デカルトのように、明晰かつ判明な精神の直覚によるものではない。
 このすべては、何の前提もなく、ただわれわれが明晰かつ判明に思考することから出て来るわけではなく、いわば一つの人間観から出てくる。それは、人間とはみずからの自由意志によって現になしたことについて責任を引き受けなければならない、その責任の主体としての「人格(Person)」でなければならない、という人間観である。私が責任の主体であるためには、まずもってみずから現になしたことをほかの事柄から区別して抉り出す能力、すなわち自己触発の能力がなければならないのだ。こうして、カントの場合、自己触発をめぐる認識論的自我論はそれだけでは完成しえず、責任主体としての「私=人格」という実践的自我論に支えられてはじめて完結するものなのである。(文藝春秋刊、125~127ページより)

 ここに示されているように端的に中島は言語習得された以後の思惟能力を持つ大人から考えた存在者としてのみ全ての哲学へと対峙している。何故そうであるのかと言えば、一つには彼自身の人間的資質によってそうしているとも言えるし、別の観点から言えばそれは彼が哲学を始めた動機にも関わるであろう。またここで強調されている自由意志と責任主体という考え方も極めて哲学者中島を理解する上で重要な概念である。それらのことは第三章において示すつもりである。
 今回から後で触り程度に導入させていく「後悔と自責の哲学」における中島の「自責」とは、極めて彼の哲学を理解する上で常用なキーワードである。それは今挙げた引用文の中では「「現に体験したこと」を抉り出し、それを機軸に内的経験を構成する能力こそが、「私」というあり方にとって根本的である」(デカルト的ではないという意味で)という部分に明瞭に示されている。これはカント的責任論を考究する哲学者としてのスタンスとして明快な主張である、と言っていいだろう。だからこそ中島は倫理学者としてではなく道徳論者であり自我論者足り得るのだ。
 それに対して人間的には自責の念も持ち合わせているのであろう永井においては、少なくともその論理命題的な意味では決して過大にそれを扱わない(「なぜ人を殺してはいけないか」や「ルサンチマンの哲学」においてさえ永井は自責という観点から論じているという風には私には思えないのであるが、そのことについては別の機会に論じようと思っている)。つまりこの部分こそが中島と永井との間での命題上の決定的相違点なのである。
 中島は端的に内的行為動機ということを極めて重要視している哲学者である。それはどんなに常識とか社会倫理に対して懐疑的であれ、とどのつまり人間(中島にとっての人間に子どもは含まれないし、基本的に成人以上の大人である)の意思疎通上でのメッセージ伝達性における信頼が基本にあるということを意味する。
 それに対して永井は基本的に大人による思惟全体に対して一定の懐疑を持っている。そしてその懐疑から全ての哲学(命題)へと対峙しているのである。そのことは彼の「<子ども>のための哲学」における考え方によって示されている(そのことについては別の章において詳述する)。だからこそ永井にとって言語習得を巡る言語発生論というものが重要な論理命題となっていくのである。
 従ってこれまで述べてきたこと全体からそれなりの結論をここで示すとすると、中島が道徳を論じる時に彼にとって必要となることとは、自我を示すためにその事例が相応しいか否かということに尽きるのである。何故なら彼は私とか世界とか以前にまず、自我こそがそれらを構成する、と考えているからである。端的に自我とは極めて言語的思惟と密接である。中島が若き日よりカントを研究主題として学位論文を取ってプロ哲学者としてのキャリアをスタートさせたこともこの彼のスタンスを考えれば極自然であると言えるであろう。
 しかしかなり重要な点において中島は歴然とカントと異なっている。それはカントにとって言語というものは明らかに世界において存在する、と考えていると思われるからである(そのことについても別に章を設けて論じる)。つまりその点を考慮に入れて考えるとカントは中島のように言語習得された以後の大人の認識を通して哲学を考えていたのとは決定的に違うということになるのである。つまりカントは端的に中島がそうであるような意味では決して自我論者ではない。しかしにもかかわらず極めて中島のカント解釈はかなりある部分ではユニークかつ適切である(そのことに関しても新たに章を設けて論じる)。
 しかし永井は全くその点異なる。彼にとって世界とはやはり厳然と私や私の感性(とは言え彼は一切「私の感性」という記述をしていない)以前に世界が存在すると信じているからである。だからこそ彼は<私>というものを世界と切り離して考えることが出来たのである。永井にとって「なぜ意識は実在しないのか」における思考実験の全てもそのことを顕著に示している。彼が現象的と呼ぶものこそ私的言語を可能化する「ある特定の身体に帰属した」私である。しかしそういう思惟が可能であるのは、世界というものがまずア・プリオリに存在し(実在しと言ってもよい)その中に個というものが存在すると捉えることなしには成り立たない。もし仮に永井が、世界や身体が私によって作られていると真剣に考えていた(中島にはそういう部分がある。例えばそれは「孤独な少年の部屋」における中島が中学生から高校生までの間にかなり綿密な体育や技術などに関するメカニズムの図を描くことが得意で、現実の作業や運動よりもそれらに対する観念的なメカニズムの図示自体に関心があったことの告白からも読み取れる。)なら、彼は世界や身体と私を切り離して<私>という概念を提出することなど出来なかったに違いない。永井にとって世界とはあくまでア・プリオリに私以前的に存在し、だからこそ<私>をもって対峙すべきものなのである。つまりその部分において永井哲学は寧ろヘーゲルやハイデッガーと隣接しているのである。そのことを知る上で我々は永井の時間論に着目しなくてはならない。それは第六章において詳述する。
 その意味では「対話のない社会」や「うるさい日本の私」あるいは「人生に生きる価値はない」などの著作で対話の重要性を伝導する中島にとって言語とは媒介であり、一つの有効な武器である(言語の認識論)。しかしそれに対して永井にとって<私>意識を発生させるものとしての言語は不可解な考察対象なのである(言語の存在論)。その双方の哲学動機的理由は第三章において詳述することとして取り敢えずそう結論しておくと、中島はその言語観からすれば確かに現代哲学的視座とは異なった哲学者のように一見見えるが、実際彼はその言語観以外の全ての哲学メソッドは多く分析哲学に負っていて、その事実は逆に論理考究的メソッドの部分が分析哲学的言語観を持っているにも関わらず、生命時間論的な視座で現象学的な永井と丁度反転関係にある、と考えることも理に敵っているのではないだろうか?

 そのことを理解する上で興味深いことには寧ろカント、カントとカントに拘っている中島とは逆にあまり多くカントについては語らない永井の方こそ、カントの「純粋理性批判」において幾つか永井哲学とのスタンス上での共通点を見出すことが可能であると私には思われる。
 それは「純・理」の 第二版 序 Ⅹにおける次の箇所である。(世界の大思想10、カント(上)純粋理性批判 高峯一愚訳、河出書房新社刊)

 ところで、これらの学のうちには理性が働いているはずである以上、それらには何らかの先天的認識が行われていなければならない。そしてこの理性の認識は、二つの仕方のいずれかによってその対象に関係せしめられる。すなわち対象とその概念(それが外から与えられねばならない)とを単に限定するだけか、それとも対象をなお現実化するかである。前者は理性の有する理論的認識であり、後者はそれの実践的認識である。これら両認識について、その多少にかかわらず含まれている純粋な部分、すなわちその認識において理性がまったく先天的に自己の客体を限定するような部分が、あらかじめ論ぜられねばならず、他の起源から生ずるようなものをそれと混淆してはならないのである。なぜなら、もしわれわれが盲目的に収入を消費して、後で家計がゆきづまった場合にも、収入のどの部分が支出をきりつめなければならないかを見わけることができないとすれば、それは悪しき家計というほかはないからである。
 数学と物理学とはともに理性の理論的認識であり、両者はその客体を先天的に限定すべきものである。前者はまったく純粋であり、後者は少なくとも部分的には純粋であるが、部分的に純粋であるときには理性の認識起源とは別の認識起源の基準にも、従うのである。

結論的に言えば、永井の言う<私>とは端的に何故私は他の人間ではなく永井なのかという問いによって成り立っているので、その<私>を言語記述的に、あるいは意思疎通上での言述的には私一般へと収斂させる。つまりその時私はあくまで私自身の現象性とか意識やクオリアといった固有の在り方を一旦棚上げにする必要がある。その場合の棚上げされた後の私という記述は、ここでカントの言う理論的認識による私であるので、「対象を限定する私」である。対象を限定するとは、端的に様々な述語が成立する私を指示する、名指す他の私以外の全ての他者と区別するという指示性にのみ収斂させる私である。学問においてそれを遂行するとカントが考えるものこそ数学であり物理学である、というわけだ。
 それに対して、対象を現実化する認識をカントは実践的認識と呼んでいるのだが、これを私に援用すると、「対象を現実化する私」となるが、まさにこの部分にこそ中島は感性のエゴイズムと呼ぶべきものが該当する。
 しかしこのカントの一節に関する限り、「対象を現実化する私」はあくまで「対象を限定する私」に支えられていると考えてよい。従ってこの一節の主張は永井哲学倫理命題を縮約したものと考えても間違いではないだろう(そのことについては次回以降詳述していくこととしよう)。
 
 ここで中島の自責論に入っていこう。まず基本的に中島の時間論を主軸にした著作から見た経緯について考えておこう。
 中島は次のような流れにおいて時間論を発表している。

 「カント時間論構成の理論」(1987)理想社~岩波現代文庫「カントの時間論」
 「時間と自由 カント解釈の冒険」(1994)晃洋書房~講談社学術文庫
 「「時間」を哲学する 過去はどこへ行ったのか」(1996)講談社現代新書
 「空間と身体 続カント解釈の冒険」晃洋書房(2000)
 「時間論」(2002)筑摩書房~ちくま学芸文庫
 「カントの自我論」(2004)日本評論者~岩波現代文庫
 「悪について」(2005)岩波新書
 「後悔と自責の哲学」(2006)河出書房新書

 この中には必ずしも時間論だけが主軸ではないものも入っている(例えば「悪について」)が、実際中島の論理命題から考える時に、それらの著作が時間論的視座と密接に関わっているので、欠かすことが出来ないので列挙した。
 とりわけ近年の中島の哲学論理命題や、エッセイ、小説と言った多彩且つ多才な活動を顧みる時明らかに「カントの自我論」や「悪について」が「時間論」で一度結論を時間論的に出していた中島自身のその後の時間論とそれ以外の全ての哲学的命題の綜合において展開上の指針となるように作用していったことは否めない。そして最後の「後悔と自責の哲学」こそ、中島の論理命題における時間論そのものを自責において決定付けるという哲学志向性において試みている著作なのである。
 取り敢えず「後悔と自責の哲学」中で要旨を簡潔に叙述している導入部の文章をここに引用してから詳述することとしよう。少し長いが今後このテクストに対して解釈していく上で重要な導入部なのでここに拘って区切ってその都度解釈をしつつ、全文掲載することとする。

「そうしないこともできたはずだ」という根源的思い

「そうしないこともできたはずだ」という私の思いは、そのとき私が「自由であった」という思いとリンクしています。とはいえ、ここで頭の切り替えが必要なのですが、私は自由であるがゆえに、後悔するのではない。あのとき私がAを自由に選んだから、Aを選ばないこともできたはずだ、と後悔するのではない。まったく逆なのです。私はあのとき「Aを選ばないこともできたはずだ」という信念を抱くからこそ、私はAを自由に選んだと了解しているのです。つまり、自由とは、みずから実現したある過去の意図的行為に対して、「そうしないこともできたはずだ」(他行為可能)という信念とともに生じてくる。この信念は根源的であり、ほかの何ものにも由来するのではない。そして、本書では「そうしないこともできたはずだ」という信念を_日常の使い方より広い意味を含んでいることを承知のうえで_「後悔」と呼びたいのです。日常的には、われわれはみずからなしたかなりの意図的行為に対して「そうしないこともできたはずだ」という信念を抱きつつ、ひとりでに忘れていき、あるいは自分で忘れようと努力して、それにこだわることはない。だが、こうした操作をいくらしようとしても、どうしても「そうしないこともできたはずだ」という叫び声がからだから消えないことがある。そのとき、われわれは「後悔にむせぶ」のですが、こういう強度の後悔から、「ああまたやっちゃった」と舌を出して苦笑いする程度の後悔まである。しかも、過去における自分のある意図的行為(H)に対する後悔とは、一度後悔したら固定されるのではなく、われわれが人生の経験を重ねていくにつれて、Hに対する態度もクルクル変わってくる。Hをはじめ激しく後悔したのだが、後に「これでかえってよかったのだ」と思うことにすらあり、逆にはじめはなんともなかったのだが、後の人生の数々の出来事の遭遇によって、Hが次第に大きな意味を担ってきて、激しく後悔するようになることもある。すなわち、Hに対する後悔とは、それが客観的にいかなるものであったかを確定することに留まらない。さらに、Hをどう解釈するか、さらにはこれからどういう人生を渡っていくべきか、という考察にまで及んでおり、その意味で過去に対する態度一般にかかっているのです。したがって、後悔とは過去を解釈することそのことであり、その解釈を通じて未来を形成することでもあるのですから、まさにわれわれの根源的な精神活動というわけです。(11~12ページより、河出書房新社刊)

私はこのパラグラフにおける主張に何ら異議はないし、かなり適切に未来への意識の志向性の本質を突いているように思われる。とりわけ「過去における自分のある意図的行為(H)に対する後悔とは、一度後悔したら固定されるのではなく、われわれが人生の経験を重ねていくにつれて、Hに対する態度もクルクル変わってくる」ということと、「Hに対する後悔とは、それが客観的にいかなるものであったかを確定することに留まらない」そしてそれ以後の「Hをどう解釈するか、さらにはこれからどういう人生を渡っていくべきか、という考察にまで及んでおり、その意味で過去に対する態度一般にかかっている」こと、これは端的に未来自体が過去の投影であるとする中島の思想を遺憾なく示すものであるとも言える(このことに関しては次回以降「時間論」を中心に粒さに見ていくこととする)。そして更に「後悔とは過去を解釈することそのことであり、その解釈を通じて未来を形成することでもあるのですから、まさにわれわれの根源的な精神活動というわけです」はまさにその通りであると言えよう。つまり我々にとって想起される過去自体への解釈の一つとして後悔が意味づけられるという主張は説得力を持つように思われる。続きへと行こう。

 こうした根源的な精神活動としての後悔に「自由」という観念が呼応しており、われわれは後悔するがゆえに、自由という概念を精巧にこしらえあげるのです。過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており、その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります。この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎないのです。(12から13ページより、以下同)

 問題はここからである。特に最後の「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」である。 
 その前に記述されている「過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており、その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります。この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。」が重要な方向付けとなっている。
 だがよく考えてみよう。「「過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており」は全く正しい。だが「その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります」とはあくまで現在から過去への思いである。それは端的に過去そのものではない。故に次の件の結論「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」を叙述する「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない」とは論理的に矛盾しないだろうか?つまり過去自体ではない現在から過去への思い自体を糧にここでは結論を導き出しているものの、「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない」を言いたいがために過去自体とそれに対する思いを一緒くたにしていると言われても仕方がない論説をここでは試みているとしか言いようがないからである。
 また最後の結論「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」には甚だ論理的飛躍が含まれていると言わざるを得ない。何故なら過去自体は既に存在していないものの総称であるとすれば、中島は前文である「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。」(仮にこのことを過去に対する感情を度外視しては過去性を論じることが出来ないと好意的に解釈していったとしても尚)と共に、ここで完全に過去自体が存在し得る(実在的に)と捉えていることになるからだ。つまり「単なる「過ぎ去った時」としての過去」以外に何か実在する過去を言いたいがために中島はここでこう述べていることとなる。しかし更に次の論述においては飛躍が見られるのである。続きへと行こう。

 もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう。われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません。動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから。しかし、人間にとって幸か不幸か、過去はほとんどすべて思いどおりではなかった。禍の連続でした。だからこそ、われわれはかつて生じた禍の原因をつきとめ、同じ禍を避けるためにその原因を取り除くかたちで未来を操作するのです。
 未来を操作するのも、つまるところわれわれが「そうしないこともできたはずだ」と後悔するからなのです。しかし、どんなに後悔しても、われわれは過去をさかのぼって変えられないことを知っている。だからこそ、せめて未来に同じ禍を呼ばないように操作するのです。(13~14ページより)

この二つの段落における主張においてまず、「しかし、人間にとって幸か不幸か、過去はほとんどすべて思いどおりではなかった」以降の全文は全く哲学的に的を得ているし、正論であると言えよう。例えば未来への意志自体が挫折によって規定を受けているという考えはジョン・デューイなども示していたし、哲学命題論的にも極めて重要であると思われる。
 問題はそれより前の記述である。「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう。われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません。動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから」における最初の文こそがここで問われるべき筋合いのものである。
 後悔がなければ過去もない、という考え自体は極めて魅力的である。それは同じ中島による「私の嫌いな10の人びと」における<嫌いな人びと>において「「わが人生に悔いなし」と思っている人」をより説得力あるものとするために敢えて規定したとも思われる論理である。
 しかしよく考えてみよう。まず基本的に我々にとって過去とは記憶すること(能力)と、その記憶を想起する能力とによって表象として存在する(実在としてではなく)と言える。
 しかし想起は記憶することの出来る全てに対してなされるのではない。例えば我々は実際に経験したことのほんの一部だけを想起する。
 例えば私が友人と伊豆へ旅行へ行くとしよう。そして三日間の旅行の後で私は友人と訪れた観光地とかホテルとか対話内容を想起することが出来る。しかしそれらのエピソード記憶の場面、場面での想起とか内容における概要の想起は完全ではない。従ってもしその旅行で視覚的に確認したことの内でもかなり大半のものを我々は再びその訪れた観光地に行った時に「そうだ、あそこにはあんなものがあった」とか、何か建物の隣にあった別の建物を間違えて記憶していて、後で訪れた時に「そうか銀行の隣がコンビニではなく、レストランがあったのか」と想起し直すこともある(つまり思い出す)し、また友人との対話を一部録音していたとすれば、後でそれを聴く時、それを聴くことなく想起したとおりではなかったこと、つまりそれを聴くまで想起したとおりの話の順序ではなかったことなども必ずあるのである。
 つまり想起自体は過去の確証的実像を確認することが出来る場合には、それを確認して想起される過去の実像と、それ以前の想像において想起している間にある齟齬を含め、要するに概略的なこと(それは概ね間違いはないことが多い)とそうではないことの双方が含まれる。だから過去自体を実在としようが、表象としようが、端的に後悔される意味内容(行為、言語行為)はその全体からすれば一部に過ぎない。
 つまり中島のここでの論述は明らかに後悔するための素材としての行為事実に過去の全てを収斂させ過ぎているのである。だからそれは文学的に、あるいは叙述論的には魅力的ではあっても論理的には矛盾があるのである。
 この中島による論理的飛躍には「どうせ死んでしまうのに何故今死んではいけないのか」という問いをしばしば提出する哲学者に固有の哲学論理命題自体へと誘引する内的な神秘的誘い(Mysterious Guidance<ミステリアス・ガンダンス>と今後呼ぶこととしよう)自体を論文作成上、含ませてしまっていると言ってよい。
 これはある意味では哲学者の陥る陥穽である。過去自体は後悔を含むことも多いものの、やはりそれは過去事実における部分にしか過ぎない。過去自体は後悔という心理以外のものだけによって現在意識が成立していてさえ存在し得るのである。端的に想起した時に想起されること(内容、事実)自体に、後悔やその他全ての感情(素晴らしかったとか、楽しかったとかの)を含まないことも多く含まれるのだ。
 従ってこのパラグラフの前半の文章における「われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません」は、私は知らないが、恐らく過去の何らかの哲学上での論理命題から引用した考えであるということは推察出来るし、その記述内容自体も全く論理的にも哲学論理命題的にも的を得ているし、続く「動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから」も動物に一切感情を認めないタイプの形而上学者(それは脳科学者にしてもその他の生物学者においても一つの捉え方<例えば意識の定義の仕方として>としては認められるものである)としては当然の論理(そのこと自体への疑念をここでは棚上げにしておくとすれば)としても尚、「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう」という部分は論理命題的にも、真理的査定においても直ちに真である、とは決して言い得ない論理であると言えよう。
 次回はこの「後悔と自責の哲学」と「時間論」を中島における解析テクストしつつ、永井に関しては彼固有の<私>論を中心に諸テクストから抜粋などをして彼独自の独在論的見解を、社会契約的視点から考えてみたい(そのことが第二章の命題へと誘引することとなる)。この二人の際立った活躍をする哲学者にとっての道徳の在り方に対するスタンス上での相違点を次回は示していこうと思う。尚本論においては際立った二人の哲学者のスタンス上での相違点をしばしば取り上げるが、こうして二人を並べて論述しているのだから、当然二人には際立った共通点も多くあるのである。そのことに関しては第九章 反抗的資質を巡る二人の哲学者の姿 において詳述する予定である。(つづく)