私とは何かは哲学永遠不変のテーマだが、日本人の二人の哲学者がこの命題を全く違った形で示している。中島義道氏と永井均氏は共に私がある時期出会った哲学者である。出会うとは僭越だが、出会いは師弟という形式的レヴェルを遥かに超え得る。何故他にも大勢哲学者はいるのに、この二人に私が啓発されたか?それをこのブログで究明しつつ来場者と共に私や私であること、私の感性について考えたい。このブログは二人の哲学者に共鳴する全ての人たちによる創造の場である。

Sunday, January 24, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑩

 今回からは中島義道の「差別感情の哲学」と「ウィーン家族」という最新作二作から考えていこうと思う。当初本章のまとめということでより簡潔に中島の最新作から考えていこうと思っていたのだが、最近私が関心のあることとオーヴァーラップする部分がかなり多かったので、一回で終わらせず更にあと二回くらい延長して本章を書いていくことにした。従って今回は「差別感情の哲学」のみを扱う。詳細を見ていく前にまずこの二冊を出版した最近の中島に関する概観について考察してみよう。
 率直に言ってこの二冊は中島義道という文筆家、あるいは著述家としてのアイデンティティーがいささか分裂しているのではないか、という以前から私が氏に抱いていた感慨をより深める結果となったことは言うまでもない。
 つまり後者は明かに文学であり小説であるが、前者は完全に哲学者としての使命感によって書かれている。そういう意味では中島という著作家は常に二本の柱が必要である、ということだ。だから前者の「差別感情(以後省略してそう呼ぶ)」(講談社刊)と「ウィーン家族」(角川書店刊)とは相補的でもあると同時にある部分では同じ自身の著作であるにもかかわらず、個々において対立項自体への批判とさえなっている。
 何故なら私はこの二冊を読んだ後感じた事が、小説では読後感が爽快であるにもかかわらず論文の方はいささか食傷気味になってしまったからである。だが論文には今後の中島の考えの方向性が示唆されているようで続編を期待したいという気分も持てたのである。
 中島義道は「人生に生きる価値はない」において「権力や社会や歴史に興味がない」(58ページより)と述べているが、彼自身は明かに哲学専門家であろうとする意志によってそう語られてはいるものの、その実彼は今回取り扱う「差別感情」をはじめ、古くは「たまたま地上にぼくは生まれた」やその後「英語コンプレックス脱出」等において日本人にとっての国際問題である所の精神的コンプレックスや欧米人からの日本人への態度や言動における傲慢について差別について積極的に語り続けてきている。ある部分では哲学者としての中島よりも、本人は自分ではそうではないという意味で否定している社会学という学問からの文明批評家という側面の方が出版界的な存在理由としては大きいとさえ言える。本人はあくまで哲学命題論的にそれらのテーマに取り組んできているのだろうが、社会、歴史、権力といった事に対して専門の学者のように関心がないというだけであり、現実の社会やその無意識の権力については大いに雄弁なる論者である。それは哲学者としての素朴な疑問と学究使命が齎すものであろう。又昨今の「差別感情」やそれより少し前に出版された「人生に生きる価値はない」ではカナダ人の社会学者であるゴフマンの理論、儀礼的無関心を積極的に取り上げている。
 中島の記述には哲学専門家としての自己とそれにとどまらない欲求の自己との間に絶えず分裂傾向があり、それは著作の数を重ねる度に大きくなっている。それが最も顕在化したのがこの「差別感情」であり、「時間論」「カントの自我論」等とは全く様相の異なる論理展開だし、後で述べる作家として作品である「ウィーン家族」との間で最大となる。
 つまり中島義道という著作家には明らかにこのような自己矛盾を自己矛盾のまま提示するというスタンスもある。それはある意味では彼の資質に因るものであるし、ある意味では哲学者としての理念に因るものであり、その二つを切り離すことも出来ない。
 その事は差別論における悲観論的傾向と、それを軽くエッセイタッチで書いていくエンターテインメント性という矛盾においても示されている。悲観論的傾向はこの「差別感情」において全開となっている。何故ならこの本の最後は明らかに哲学者としての倫理的苦悩が示されているからである。私がこの本に対していささか食傷気味であると述べたのは 終章 どうすればいいのか 以前の幾つかの解説によってである。
 彼は哲学者としての苦悩の告白へと至る道筋において重要なことを中島は述べている(136~137ページより、第二章 自分に対する肯定的感情 より)

 哲学者は_社会学者や教育学者あるいは精神病理学者とは異なって_こうした「解決できない問題」に視線を注がなければならない。その巨大な理不尽を押しやって、障害者差別とか人種差別という定型的問題だけを取り扱っている限り、それいかに情熱を燃やそうとも、繊細な精神をもっているとは到底思えない。

 こう述べ如何にそれらの哲学の周辺に位置する学問とは違うかを強調しているが、それは同時にそれらの学問への情熱的なまでの関心をも彼が持っているという事の表明ともなっているのである。ここら辺の告白は永井均には一切見られない。勿論永井もまた社会や教育にも多大な関心を持っていて、それが自らの哲学理論の醸成にも役立っていると言える(その事については別の章で詳述する)が、それはあくまで彼自身の哲学的認識を確認する意味に留まっているが、こと中島に関する限りその関心はそういうレヴェルを超えていると私には思えるのである。つまり哲学者であろうとする意志と、その哲学者という一個人として社会に対峙していこうとする時に感じる矛盾がそのまま中島においては多数の著作活動という形を取って顕在化している、と言うことが出来る。そしてそうする中で彼は恐らく哲学者としての使命から幾分逸脱してさえ反社会的であろうとする感性の哲学者当人の側から出された自己矛盾が哲学的理念から提出されたものであるが故に結果的には社会正義論(本人は断じて自分の著作はそうではないと言い張るかも知れないが、これらの著作を読んで社会正義論ではないと感じる読者の方が遥かに少数であろう)となって立ち現れているという所こそ自己矛盾が自己矛盾のまま分裂傾向を助長するという風に私に感じさせることとなっているのだろうと思う。
 例えば中島義道はしばしばエッセイ等で哲学を役に立たない学問だと言う。だがこれは出版界的に知名度のある成功者がよく使う言葉である。又中島の「差別感情」の理論に基づけば高邁ということになろう。そもそもある学問が役に立つか否かとか、どの学問が一番社会にとって有益で必要とされているかというような問いは哲学的命題以前にそれほど上等な問いではない。
 つまり現代社会に医師や弁護士が不足しているというようなことを除けば、どんな職業でもそのものを必要としている人にとってはそれらの職業は全て必要なのである。例えば芸術家はもし世の中から一人もいなくなっても、恐らく社会自体が直ちに機能不全に陥るというようなことなどないに違いない。しかしアートや音楽を愛する人にとってそういう社会は耐えられないと感じるだろう。そういう意味においてなら中島の言うように哲学以外にも科学でも人文科学系の大半のものは社会機能維持的視点から見れば役に立たないものばかりではないだろうか。あるいは自然科学でも日常生活には役に立たないという意味では理論物理学もそうだし、天文学等もそうであろう。それ等は総じて実用性には程遠い。
 そもそも学問や芸術等というものはそのものがある状況下で要求されるという時代的要請を離れれば医師や弁護士のような意味では一切役に立たないものなのである。
 しかしそういう風に我々に職業的存在理由を問うことの内には、それ自体が即座に哲学的命題となり得るか否かは別として十分問うに値する問いであろう。そしてそのことを問う事の内に人間における他者に対する意識と差別意識という事も必ず介在してくる。そのことを例えば中島は誇りとか自尊心とか帰属意識とか向上心という心の作用を通して考えている。
 その意味では哲学者としての中島がその問題に真摯に取り組んだという事は、その試みが成功しているか否かは別としてもそれ自体評価すべき事である。しかし私にとっての最大の関心とは、中島という一個人の中に介在する一個の矛盾である。中島は対話論者であることを物語る「<対話>のない社会」や「うるさい日本の私」などの著作では完全に日本を暗黙の了解とか暗黙の差別をする国民性として哲学者個人の命題的態度において描出されている。だからこそ中島は「言葉を尽くして語り合おう」と主張する。その分では彼は完全に合理論的、理性論的コミュニケーション信仰者である。だからそれは責任倫理的である。
 しかし同時に彼は「差別感情」においても再び大きくクローズアップされている一般の善良な人々(この解釈にも多分に哲学者による思考実験のための設定という要素が皆無ではないとも言えるのだが、そのことは深入りせず、ここは現実の日本人の姿と解釈しておこう)の持つ無意識の悪意、傲慢について深く抉ろうとする。
 例えば「差別感情」における結婚していない人に対する結婚をしている人からの傲慢といったことについてである。そしてそこで彼は自分は結婚しているから、そうではない人に対して傲慢になっていることを自省している(尤もこのような告白は結婚をしていない人から見れば極めて「余計なお世話だぜ、ほっといてくれ」と思わせるものでもあるだろう。そのことに関しては次回詳しく触れる)。また本妻が亡くなった時に悲しみを他人に示すことが出来ても、それは愛人に対しては同じように他人に表明出来ないという社会的法的規範とか不文律に対しても怒りの矛先を向ける(このことは後で詳述する)。
 つまりこの段では明かに中島は「悪について」でカントの言う根本悪について言及したこと等に見られる諸著作と同様完全に心情倫理的なのである。
 つまりこのコミュニケーションにおいて責任倫理的であろうとする立場を取る哲学者が、心情においては自らの内部に巣食う差別意識に対して敏感にならなければいけないという思想を持つ時、恐らく中島にとってはその他との対話を成立させるものは哲学を置いて他にはない、という考えがあるのだと私は思う。
 その部分では明らかに永井均と共通している。
 永井は前回に取り上げた「なぜ悪いことをしても<よい>のか」においてこう述べている。

 だから、もしいま、十三歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないのか、そもそもなぜ悪いことをしてはいけないのか」と本気で問われたなら、道徳的に正しい答えは「それについていっしょに哲学しよう」である。それ以外の答えはまやかしである。(60ページより)

 つまり永井は命題論的には他者と意思疎通し合う時理解が必ずずれることを前提していて、その意味では経験論的コミュニケーション懐疑論者であるが、しかし決してその命題論が彼自身において他者と語り合うことの不毛を態度として齎しているわけではない。それどころか積極的に哲学対話をここで呼びかけている。
 つまりこの部分にこそ私が本ブログで取り上げた二人の哲学者の職業としての自己責任と、一個人としての考え方の資質として共鳴し合う部分を発見するのである。
 しかしそういう風に形而上学的に、倫理的に共に語り合うという場を設定することを提唱する意識の前に我々には日本人である、という決定的な現実が横たわっている。つまりそれが中島に只時間論や意識論だけではない、もっと社会的位相から考察する著作へも向かわせる動機となっているのだろう。だからこそと言うか、その必然的展開であると言うべきか、「差別感情」において中島は日本人にとっての穢れという感情について文化論的に考察している(この穢れについては養老孟司が「死の壁」や「無思想の発見」などにおいて詳述しているし、古くは井沢元彦による「穢れと茶碗」といった名作もある。中島がこれらの著作のどれを読みどれを読んでいないかは定かではないが、少なくともこういった一連の言論界からの言及の数々が彼の思考と信念を刺激していったということは容易に想像出来る)。
 例えば中島は「差別感情」において第一章を文化論的前提として不快、嫌悪、軽蔑、恐怖という四つの位相から分析している。この中では特に後者二つ、つまり 3軽蔑 と4恐怖 が重要である。広範囲から部分的に重要箇所のみを抜粋してみよう。

「軽蔑」は嫌悪よりさらに価値意識の高いものである。嫌悪の場合は、まだ対等の感情であるが、軽蔑において視線は上から下へ向かう。まさに、見下す態度である。また嫌悪と違って、軽蔑とは他人を切り捨てる態度でもある。軽蔑しているものに対しては、もはやすべては解決済みなのであり、議論の余地はないのであり、いかなる証拠を突きつけられえても逆転は不可能なのである。これは信念であり、相手の劣等を信じようとする態度である。(80ページより)/(前略)軽蔑とは、「他人における意志がわれわれよりきわめて劣っていて、われわれに対しては善も悪もなしえないと判断して、その意志を軽視しようとすること」となる。(81ページより)/デカルトの定義は、他人における劣った意志に対する軽蔑に力点が置かれているが、それは道徳的に劣った意志に対する軽蔑と言い換えてもよい。まさにナチスが大衆の心を操作しえたのは、ユダヤ人における道徳的に劣った意志を誇大宣伝することによってであった。それは同時に(次節で扱うが)ユダヤ人に対する「恐怖」と結びついている。軽蔑の背後には恐怖がある。物質的に強力な、しかし道徳的には劣悪な民族が自分たちのすぐ傍にいて、虎視眈々と世界支配の機会を窺っている。いまのうちに何とかしなければ、全ドイツがユダヤ人の陰謀に呑み込まれてしまうであろう。しかし、彼らがいかに物質面で強力であろうと、道徳的に劣悪なのであるから「自分たちに対しては善も悪もなしえないと判断して、その意志を軽視」していいのだ。(改行)ここに重要なことは、(とくに強烈な)差別感情における軽蔑は恐怖に裏打ちされているのだが、相手(集団)を軽蔑するさまざまな理由の中核には「道徳的軽蔑」が位置するということである(これは後に「リスペクタビリティ」の問題として論じる)。(82ページより)
 
 この後中島は黒人に対する人種差別に関して欧米列強が道徳的に劣悪であると欧米人が決め付けることでアジア・アフリカ支配の理由として有効なものであるとするキリスト教布教や十字軍遠征の理由を位置づけ、更に続ける。

(前略)ここで、あらためて問うてみよう。なぜ欧米列強は他民族支配の理由の中心に道徳的理由を据えたのであろうか?鑑みるに、それが自分たちの行為が「正当である」最も強力な根拠になりえるからである。いかに未開民族でも未開だからといって彼らを殺戮しその土地から追い払うことは直ちに正当化されない。罪悪感は残るのである。しかし文明の光(啓蒙)を授けてやるという理由なら、正当性は確保されるのだ。だから、「解放、平等、寛容、自然権、および人間の尊厳の尊重といった民主的な諸原理を促進」する啓蒙主義と過酷なアジア・アフリカ支配と両立するのである。
 ここで、少なからぬ人(とくに差別撤廃論者)が混乱している事柄を指摘しておく必要がある。黒人は白人より、女性は男性より平均して知能指数が低いという結果が出たとしても、直ちには「黒人や女性を差別すべきだ」という結論を導くことはできない。前者は事実判断であり、後者は価値判断なのであるから。黒人は白人より、女性は男性より平均して知能指数が低いという事実を認めたとしても、この事実にまったく依存せずに「黒人や女性を差別すべきではない」と主張することもできる。
 これは表面的な検査結果であり、黒人や女性に対する偏見の産物である・・・・とムキになって反論する者は、かえって「知能指数の低い者は差別されて当然だ」という論理を前提している。そう反論する熱意にうちに、暗黙の差別意識が前提されている。
(中略)
(前略)「黒人は白人より、女性は男性より平均して知能指数が低い」という事実が「知能の低い者を差別すべきだ」という風潮を呼び起こしやすいがゆえに警告を発するというのならわかる。しかし_私の知る限り_こういう冷静な判断を示す人種差別廃止論者やウーマンリブ推進者はいない。まさに「繊細な精神」が要求されるところであろう。
(84~86ページより)

 ここでも中島は繊細という語彙を使用する。この繊細という語彙の意味するところが中島にとって読者に最も言いたいことであるように少なくとも論文全体の主旨からは読み取れる。しかしそこで恐らくこの論文の読者は二手に分かれることを恐らく中島自身も予想してそう書いている。例えば今挙げた引用箇所の最後に記述において知的障害者に対する差別意識を述べている下りなどがその顕著なものであろう。
 つまり知的障害者を差別してはいけない、という倫理査定が中島にはまずある。そしてそれは裏返せば知的障害者に対して少なくとも自分は障害者ではないと思っている人であるなら、少なからぬ違和感を抱くということを前提にしているということだ。
 
 そのことは後で詳述することとして、まず中島による語彙「繊細さ」について少し考えてみよう。
 最近出版された「やっぱり、人はわかりあえない」において思想家の小浜逸郎と往復書簡形式で中島が自分にとって哲学について考えていることを忌憚なく小浜に告げている部分からも読み取れるが、彼は端的に哲学を思想と分けている。それは「哲学の教科書」等でも既に書かれてきたことであるが、端的に中島は全ての人に哲学を勧めているわけではないのだ。あるいは全ての人が哲学という学問に適性を持っているとも思っていない。これが第一に中島哲学を理解する上で重要な事実である。このことは例えば「人生に生きる価値はない」でもはっきりと述べられている。
 この態度を小浜は中島の態度を哲学聖化主義として批判しているが、実際小浜の考える哲学と中島のそれが最初から食い違っている以上、この往復書簡が結局相互の理念と感覚の違いを示すだけで終わっているということは件の本を読んだ読者なら誰しも気づいていたことだろう。
 中島は更に別の著作において「人々は哲学に多くを求め過ぎる」と述べているが、彼にとって哲学とは自分自身において理解出来る範囲のことを自分の頭でうんうんと唸って考え、それを語り合うべきことであり、広く一般の人々にとって開放された学問ではない、という信念がまず第二に挙げられる。つまり中島自身が自分自身を神でも仏でもないちっぽけな実存者であると認識しているのだから、彼自身の感性にそぐわないことに自分自身感けることなど出来ないという意味では全ての大人が子供に対するような啓蒙的態度を、こと哲学を語り合う前では排除しているのだ。
 実はこの部分では永井均が考える哲学的態度と全く同じである。この二人の哲学者は色々な面において異なった感性であり、理念である。しかしこの部分では例えば今挙げた小浜逸郎や養老孟司、あるいは勝間和代、香山リカや茂木健一郎といった論客、あるいは思想家、知のオピニオンリーダーたち全員と一線を分かつ所のスタンスなのである。この事実は強調し過ぎてし過ぎるということなない。

 さて話を論文の方に戻そう。
 中島はある意味では通常なら忌避するような差別感情自体を解析するために敢えて命題論的に持ち出してきているが、実は今述べたことを理解すればよく論文の主旨を理解することが出来るのではないだろうか?
 つまり端的に中島はこの「差別感情」を実際に差別されている、と意識しているようなタイプの市民に向けてなど端から考慮に入れて書いてはいないのだ。またそういう風にどんなタイプの読者をも読んで納得させることが可能なようなタイプの本を書くということ自体が中島にとっては欺瞞以外の何物でもない、という信念があるのである。
 中島義道という著作家は全ての著作物に一貫して言えることとして、最初から読者の層を絞ってターゲットとしているのである。それは「カイン」のようなタイプの悩める青年層に向けて書いたエッセイであれ、専門的哲学的イデーを書いている「カントの時間論」などにおいても全く共通している。
 中島は妻となった女性と巡り合い息子も儲けているという事実においては、少なくとも彼が自らの生い立ちから語って自分自身の家庭にまで衝撃を与えた「孤独について」において書かれている幼少期の苦悩ということを除いて考えてみれば、恐らく一般社会人の中においてそれほど不幸な人間ではない。例えば「ウィーン愛憎」や「続・ウィーン愛憎」において示されている欧米人からの日本人への差別意識も、本当にそういった生活の渦中にいる人間であるならまず著作化することすら不可能であろう。このことは 第四章 二人の哲学者にとっての著作者としての性格 において詳述するので、触り程度にしておくが、端的に中島は他人から見た場合(だからこれは中島自身の立場に我々が立てない以上永井哲学的意味論からも理解不能なことを承知で敢えて言及すれば)「不幸論」などで人間の不幸について正面切って真摯に言及することが可能なくらいには恵まれている、とさえ言えるのだ。
 本当に不幸な人間なら自らの不幸についてなど直面することを避ける筈だからである。あるいは他者に対してならそういう人間は(それはタイプとしての人間ではなく例えば私自身の中に不幸であるという部分を発見した場合、それを他者に語るという風に置き換えてもよい)その不幸な部分をあまり見せないようにして、幸福そうに振舞うということが一般的傾向だとは言えないだろうか?
 あるいは例えば中島はある著作において自分の息子が何処に住んでいるかも知らないということを書いているのだが、それくらいのことははっきり言って決して珍しいことではない。この世の中には自分の息子や娘がいるということを知っていてさえも決して様々な事情から会えないまま生涯を終える人も大勢いる。
 いや、そういった一般論を一切除外して考えることに実は最大の意味がある。つまり重要なことは中島自身が幸福か不幸かということではないということだ。中島が「たまたま地上にぼくは生まれた」で自己について理不尽に成功している、と述べているが、つまりそういった自己に対する不当な幸運という事実自体が自分より優れている大勢の人々が不遇に生活していることを知っているが故に、その事実認識に対して自責の念を禁じえないのだ、と中島自身が考えていることの方により、本論で考えてみたいことの本質がある。

 それはこの論文の最終部に近いある箇所(第三章 差別感情と誠実性 3誠実性(1)中、198ページより)を読むと更に理解が深まる。少し長いがそのまま掲載しておこう。

 障害者に対する差別

 これまで、差別についてさまざまな考察を重ねてきたが、その独特の見えにくさは、差別が人間社会にとって価値ある部分と微妙に接していることである。このことは「誠実性」という価値において極限に達する。私は自分の感受性と信念に忠実でありたいと願うが、まさにこの欲求自体が差別感情と独特な親和性をもつのである。
 私が体験した具体例を挙げよう。
 成田空港でのこと。広大な空港を歩いていると、前方十メートルのところに、ちょっと気になる歩き方をしている白人の小柄な少年がいる。ふっと見ると両手の腕のところから直接数本の短い指が出ている、いわゆるサリドマイド児であった。それを認めた一瞬、私はそちらの方向に行くことを躊躇した。彼にはやがて追いつき追い越すことに抵抗を覚えた。そのときの自分の「何気なく」振舞うであろうしぐさに嫌悪感をもったのである。自然なかたちで「彼」に対することができない自分の小ささに苛立ちを覚え、私は一瞬の自分の狡さに嫌悪を覚えた。たとえ追い越したとしても、私は一瞬の「自責の念」を体験するとやがて忘れるだろう。忘れないまでも、そのことにひっかかりつつも「仕方ない」と呟くであろう。
 この場合、誠実を求める私にどんな選択肢があるのであろうか?私のそのままの感受性に忠実に、嫌悪感と不快感にわずかな戸惑いの籠もったまなざしで彼を見据えることが誠実なのか?それとも、あたかも知らない振りを装って急ぎ足で彼を追い越すことが誠実なのか?
 直感的に、どちらも「違う!」という叫び声が聞こえてくる。 
 とりわけ前者は、少なくとも私の感受性に忠実なのだから誠実であるかのように見える。その点、少なくとも後者より欺瞞性は少ないかのように見える。しかし、事態をどこまでも繊細に見ることが必要なのだ。
 あたかも気がつかなかったかのような振りをして彼を追い越す自分を「正しい」と信じている人は、限りなく欺瞞的であると思う。
 少なくとも、その自分の欺瞞性に気づくべきであると思う。この「べき」はどこから出てくるのか?障害者を差別すべきではないという私の(個人的)信念からである。しかも、私はそのことをすべての人に要求する。そうでない信念とは、一体何であろうか?
 だからといって、もちろん彼に捻じ曲がったまなざしを向けることが正しいわけではない。また、そのときの私のように、彼を目撃して怖気づきその場を避ける人が「正しい」わけではない。そのときの私のように、自分の狡さをいかに責めたてても、そのことによって私の狡さが消えるわけではない。
 ここで、もう一度よく考えなおしてみよう。私が_これは事実であるが_、ある種の障害者に対して不快感とも嫌悪感とも言えないどうしようもない違和感を抱いてしまう。そういう違和感を抱いた瞬間に、私はそういう感情を抱いている自分を激しく責める。そして相手の「過酷な人生」を評価しようとする。つまり、そういうふうにして、私は彼の人生を勝手に「過酷なもの」とみなし、それを尊敬しようと努力し始めるのだ。
 しかも、そういう自分の「嫌悪から尊敬への屈折」の狡さをも見通している。これには、さまざまな感情がまといついている。彼の人生を一概に「過酷な人生」と決めつけることはできないかもしれない、そう決めつけることこそが差別感情なのだ、だから過酷な人生を「尊敬する」という感情もじつは差別感情なのだ・・・・・という判断が脳髄でざわざわ音と立てている。
 実際にお前は彼を「尊敬している」のか、その尊厳は単なる哀れみではないか、という声も聞こえてくる。そうなら、お前は彼(女)に向かって「障害者として生きていて尊敬します」と言えるか?言えないなら、なぜ言えないのか?自分の中にすっきりしない定型的なラベルが貼って誤魔化し、その場を回避しようとする心の動きを察知しているからではないのか?
 普通、生き方において尊敬する人には近づきがたいものである。その人の話を聞き、その人を近くで感じていたいものである。だが、お前は彼に「尊敬」という言葉を個々にもち出した自分を恥じているではないか?そう語ったら、彼は微笑みつつも、全身で「それは嘘です」とはっきり拒否するであろうことを、お前は恐れているではないか?
 こういう言葉が私の脳裏に駆け巡り、私は多くの場合、行き詰まり「どうしていいのかわからない」と呟いて思考を停止するのだ。
 そういうときに、別の側面から問いが私に迫ってくる。はたして、私は本当に「障害者を差別してはならない」という信念を抱いているのであろうか?それを本当に抱いているなら、こんなブザマな態度はとらないであろう。こんな混乱に陥ることはないであろう。私は、ただ自分を守るために、そう信じ込もうとしているだけではないのか?障害者に冷たい視線を注ぐ自分に嫌悪感を覚えるから、「障害者を差別してはならない」という信念を抱いていると思い込もうとしているだけではないのか?
 もっと言えば、お前はじつは何も悩んでいないのではないか?一瞬、悩む振りをして、自分自身に免罪符を発行して、こうした事態に直面して悩み苦しむ自分は棄てたものではないと思い込みたいだけではないか?そういう複雑そうでいて、すべては自己防衛に基づくゲームを一心不乱に続けているだけではないのか?お前は、俺はダメだダメだと自分に言い聞かせながら、そういう自分は簡単に障害者を切り捨ててしまう多くの男女より高級な人間だと思っているのではないか?そう思って安心し、自分を慰めているのではないか?(198~202ページより)

 この文章はさながら教会で神父を前に懺悔するカトリック信者の趣きがある。
 端的にこの文章を実際にサリドマイドである人が読んだらどう思うだろうか?恐らくそういった立場の人はこのようなタイトルの本自体を購入して読むということなどないに違いない。あるいは敢えてある部分では障害を抱えている人の気持ちを本当の所はちっとも理解していない健常者の立場を知りたいと考えて買う人もいるかも知れない。
 しかし中島にとって重要なこととは、そういった人たちのことを慮って一切の自己真意を述べることを差し控えるという態度が、では実際に正しいことなのか、という問掛けを読者に共有させることを憚らないという誠実性に哲学の存在理由があるということであり、それこそが、中島が訴えていることではないだろうか?
 つまりサリドマイドの人を見た時に一瞬違和感を覚える多くの人たちに向けて何かを語るという機会をそういった実際の障害者の立場だけを慮って差し控えるという態度が持つ欺瞞性について語ることは許されないのか、という問掛けが中島にはあるのだ。
  
 中島は感性においてはエゴイズムを徹底化されたい、と望む一方、哲学的には自らの内部に潜む悪の正体を見据えて、その事実と真摯に共存していかねばならないと理念的にそう意志するわけだ。この事を中島が自らの悪に自覚的であり、それを理念において統制しようと欲するモラル論者、理性論者と解釈するか、そういったスタンスを利用してエッセイスト、作家として成功している文化人と解釈するかによって、解釈の仕方の違いに応じた評価内容は著しく変わってくることだろう。
 中島は少なくとも経済的、あるいは教養的レヴェルから言えば家庭は然程貧しくもなく、中流以上であり、自ら理不尽に成功していると幾分自虐的にも語る。そして自分より恵まれない立場の人たちを助けたいという気持ちが全くないことを負い目もなく「生きてるだけでなぜ悪い?」において対談相手である精神科医の香山リカに告白している。その部分が面白いので抜粋掲載してみよう。

 金銭感覚は人それぞれ

香山 2007年、大阪で三〇代の電気工事士が妻と四歳の二人の子供を殺してメールで「もう食べていけません」と送って、自分も飛び降り自殺した事件がありました。ああいう家庭を見ると胸が痛いじゃないですか。
中島 そうですね。でも反発されるのは承知のうえですが、新聞に政治家がわいろをもらったとか、横領したとか、資産を何億円も持っていると書かれた記事が載っていますが、私自身は全然怒りを感じないのです。
香山 そのお金は「自分が働いて納めている税金」ですよ。
中島 そもそも私は税金を払うことが嫌ではないのです。もちろん、たいして払っていませんが。確定申告は妻がやっていてくれて、私は妻に「必要経費でズルするな」と言うくらいです。国立大学に十二年もお世話になっているし、別に税金を払ってもいいのです。
香山 その税金が不正に使われるのは許せない気持ちではないですか。 
中島 それもないですね(笑)。
香山 2007年は年金問題で不正がたくさん問題になりましたけれど、このあたりはどうですか。
中島 この前、とうとう六〇歳を過ぎて、年金案内が来ていましたけれど、別にいらないのです。
香山 それでは、年金が「消えた年金」になってもいい?
中島 全然構わない。先ほどお話ししましたように、私の場合、周りの人がいろいろ私を援助したおかげで、結果として生き延びてきました。もともと私が浮浪者みたいな存在ですから、別に損をしてもいいと思っているのです。
香山 そこで、自分はともかく恵まれないほかの人を助けてあげたいと思いませんか。
中島 思いませんね(笑)自分は恵まれているから、それを今度は他人に還元するという発想もまったく私にはありません。(第三章 金持ちなんかにならなくていい! 中 103~105ページより)

 この中島の一見反社会的とも受け取れる発言は、しかしモラル論的には否定することが決して出来ないことに実は我々自身も気がつく。
 何故なら私自身ホームレスが気の毒だと思っていても、街角で見かけたら咄嗟に避けようとするだろうし、「うちに来て泊まれよ」などとも決して言えないし、第一彼らを救ってあげるだけの一切の力も私にはない。それは経済的にもそうだし精神的にもそうだということだ。にもかかわらず我々は常に口先だけは「気の毒だ」と言って憚る所もない、その偽善的事実に対して中島は徹底的に抗議しているとも言えるし、また我々はホームレスになっている人を見かけても恐らく何か自分の努力が足りなかったのであろう、とそう思うことの方が多いだろう。だから私自身この部分を読むと笑えてしまうのである。例えば「人生、しょせん気晴らし」において中島は 対談という気晴らし において対談相手であるお笑い芸人であるパックンに次のように述べている。

パックン 確かに日本人は世界一嘘つきというデータを見たことがあります。社交辞令を含めて、でしたが。
中島 カントは善意の嘘がいちばんいけない、いちばん自分の精神が腐ると言っています。
パックン とすると、先生ご自身の人生の中で哲学を追究することは難しいのではありませんか?
中島 ええ。嘘をつくのはイヤですが、結局、人間社会から離れることになります。私は十年前から冠婚葬祭の類はいっさい行っていません。「素晴らしい結婚式ですね」などと嘘をつくのがイヤですから。
パックン はははっ!
中島 年賀状も出しません。「ご家族のご多幸をお祈りします」など祈っていないのに書きたくはないのです。
パックン ええっ!ちょっとくらいは祈ればいいじゃないですか!
中島 祈りません。ここで譲歩したら哲学ではなくなりますから。
パックン なるほど。知を渇望する、つまり哲学を追究していくと行動も変化していくわけですね・・・・・・・。
中島 だから、他の人の家に招待されるのもイヤです。「まずい料理ですね」「バカな子どもですね」とは言いたくないですから。
パックン だったら、もう少し趣味のいい人と付き合えばいいのでは?
中島 ですが、目につくのは悪いところばかりなのです。(「対談」という気晴らし 中196~197ページより)

 ところで中島の持つ哲学者としての志向性や資質は別としても少なくとも神社へのお参り一般に対してさえ、建物への物心崇拝に繋がるとして不合理であるとして、一切拒否するような彼の生活態度及び行動決定というスタンスは戦う哲学者の異名に相応しいとも思われる。徹底した無神論的立場表明性は、かの生物学者リチャード・ドーキンス、そして彼の僚友である哲学者にして認知科学者であるダニエル・デネットと全く符号する箇所を我々は中島に発見することが出来る。つまりこの事実が私たちに示唆することとは、端的に哲学者は一体何処まで自分自身が生まれ育った民族共同体とか国家とか文化とか習慣へと拮抗してゆくべきかという事に纏わる倫理査定という命題である。このことを次回は問掛けていくために中島のこのテクストを利用しようと思う。
 つまり自ら信条とする哲学理念の実践家である中島にとって心にもない世辞などを言ったり信じていないことをしたりする(初詣とか年賀状を出す事等も含む)のは哲学者としても一個人としても許し難い事なのである。その事は「差別感情」中ある箇所で示されている論述に対する彼の正当性としての信念をより裏付ける。次回は最後の引用よりも大分前の第一章 他人に対する否定的感情 中 恐怖に書かれているその箇所の引用論述内容へと再び戻ってその検討から入っていくこととしよう。(つづく)

Monday, January 18, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑨

 今回は永井均による論文「なぜ悪いことをしてはいけないのか」中 3なぜ悪いことをしても<よい>のか から考えていきたい。
 この論文は短いものだ(18ページ)が、永井哲学の全てのエッセンスが込められており、主観論的にも客観論的にも永井を論じる上で格好の素材である。そして内容的にも傑作なのである。
 まず永井はサルトルによる言葉 人間は自由の刑に処せられている を冒頭に上げ何故哲学者であるサルトルがこんな当たり前のことを言い出すのだという疑問を若い時に持ったことを述懐する記述の後にこんなことを書いている。

 サルトルの真意はともかく、人間が何をしても「よい」ことは、ある意味では、確かに自明ではなかろうか。たとえどんなに道徳的に悪い、普通の意味でしては「いけない」ことでも、処刑されるかもしれないことでも、白い目で見られるかもしれないことも、後ろ指を指されるかもしれないことも地獄に落ちるかもしれないことも、良心の呵責を感じるかもしれないことも、何もかも覚悟のうえでそれを選んだのなら、その人はそれをする「自由」がある。あらざるをえない。まったくあたりまえではないか。そういう最後の自由を、だれか他人が否定することなど、できるわけがない。
 これは端的な事実であり、世の中はこの端的な事実を最後には承認することによって成り立っているだと、私は思い込んでいた。世の中で普通に生きていくうえでの約束事にすぎない道徳なんぞによって、この種の崇高な人間の自由が制限されるわけがない。私は疑う余地なく、そう信じて、というよりそう感じていた。(44ページより)

 永井はこれに続いて自分のような考えの人間に対して本気で怒る人がいることを最近知ったということを書いて次のように述べている。

(前略)私のような部類に属する者の方も、道徳なんぞというものをそんな風にありがたがってしまう人がいようとは、思いもよらないことであったから、そういう人に向かって自分の感覚の因って来たる由縁を説明することなど思いもよらなかった。
 こういう相互的な理解不可能状況に対して、両者の感覚の違いの因って来たる由縁を説明できそうな論理を、私が考え出すことができたのは、じつを言えばけっこう最近のことである。(45ページより)

 そこで永井は はじめに と題された件の文章の後で初めて表題がついた 2 道徳的に「してはいけない」ことがある!? で「道徳的に「してはいけない」ことがある、と感じる人は、こう言いたいにちがいない。多くの人が私のように考えて、好き勝手に行動したら、世の中は滅茶苦茶になってしまうではないか。」と始めて、「どんなに自由に勝手気ままに生きたいと思っている人だって、他人の勝手な行動によって殺されたりひどい目にあったりすることは望まないのが普通だ。だから世の中に、この理屈が分からない人なんかいるはずがない。では、若いころ、私がこの単純明快な理屈を思いつくことさえできなかったのはなぜだろう?」と言い、ここから永井は本格的に自らの考えはなぜ世間一般と違うのかということを問いだすのである。
 大きく分けて二つの理由があるとして、彼は「一つは、多くの道徳的な人が道徳というものの本質の存在意義をひた隠していたこと、あるいは自分でも認識していなかったこと」とし、「神秘のヴェールをはがしてみれば、道徳は全体としての個々人の利己的欲求をよりよく満たすためには、ただそのためにのみ存在しているし、また、そうあるべきものだ」と述べる。そして「ごまかしと無知と無思考が懐疑と不審と反発をひきおこしていた。だが、なぜそうであったのか」と新たに問題提起を迫る。そして「もう一つは、もう少し高度な理由である」としながら、「だが、たぶん、それは存在論的な態度の違いに起因するものだ。私は自由である主体として、もっぱら自分自身のことを考えていた。私が最終的に何をしてもよいことは疑う余地がない。私が何をしようと、決めるのは私だから、私がそれによって害を受けることはないだろう。私は自分の利益になるようなことだけをするだろうから、私が勝手気ままなことをすることによって私が困ることはありえない。
 私はそう考えたい。私は私の自由によって他の人が被害を受けるということに、何のリアリティも感じなかったし、逆に、私のその同じ考えがだれか他の人に適用されたら、その人の自由によって私自身が被害を受けることになるという事実にさえ、まったく感度をもたなかった」とし、それは何故かと再び問いかける。
 その問いかけから 3 道徳の系譜学的考察 (47ページより)へと永井はシフトする。「人間は生き残っていくためには、たがいに協力関係を築かなければならない。みんなが一緒にやっていくためには、いろいろな取り決めを行ない、守るようにすることが必要だろう。それはいかにして可能なのか」と再び問いかけ、「ここで役に立つ能力は」「長い目で見た自分の利益や幸福を考慮できるという人間の能力である」とする。「守るようにする力が、すべてのメンバーにとって有利だからで」あり「なぜこの取り決めを破ってはならないのか、と問われれば」「取り決めだから、というものだ。自分がした取り決めではなく先祖代々伝わってきた取り決めなら、それに対する不満ということも考えられる」し「そう取り決めた方が自分にとっても有利だと判断してあえてそう取り決めたのだから、これを破らないのはあたりまえではないか。」「この取り決めに従うことが自分にとって損になることが判明したときには、即座にこの取り決めに反する行為を行うのが当然なのではあるまいか。」このことの理由を永井は「みんながその取り決めに従った方が、そうではない場合よりも、十人全員(永井によって3の冒頭で十人の人間がいると仮定されている)の長期的自己利益にかなうだろうからである」が「では、なぜその取り決めに従うべきか」と再び問いかける。ここで再びトートロジーとなり、「その取り決めた理由は、それが自分の長適的自己利益にかなうと思われたから」であるとし、「取り決めに従うことが自分の長期的自己利益に反すると確信したときには、即座にこの取り決めを無視するのが当然なのでは」と功利主義的考えを示し、「そうしてはいけないという取り決めがどこかでなされている」可能性について触れ、それに従うべき理由を問う。
 
 道徳の外部にそれを支える道徳はない。この取り決めは、成立の以前にまでさかのぼって考えれば、そういう場合、破られるのが当然なのである。だが、十人がみんなそう考えていたとしたら、取り決めなどというものは、およそ存在する意味がないではないか。それに従うことが自分にとって不利なときにはいつでも破ってよい取り決めなんて、およそ役に立たないことは火を見るよりも明らかだろう。
 ここで二つの方策が考えられる。一つは、人々が取り決めを守っているかを監視し、違反者を罰する権力機構を作ることである。だが、全面的に監視することは不可能で、コストもかかる。その欠点を補うための、もう一つの方策が考えられ、これもまた不可欠である。それはすなわち、道徳空間を内側から閉ざす道徳イデオロギーを成立させて、十人全員に取り決めをした最初の動機を忘れさせるという方策である。この忘却によって、取り決めを行った動機によってではなく、取り決められた内容によって、内から閉ざされた内閉的空間ができあがる。内閉を強化する専門的イデオローグが必要とされ、取り決めは「定言命法」となって、狭い意味で道徳と呼ばれるものがはじめて成立することとなる。(49ページより)

 この前文こそ永井哲学の骨子となる考えの一つである。この考えの前半部分である懲罰制度の必要性は、ダニエル・デネットによっても「自由は進化する」(2003)などで既に示されている(他の著作でも恐らくデネットは言っているだろうが、デネットのこのテクスト自体は永井等によるこのテクスト(2000)より後である)。しかし一番重要なのは、永井哲学によるこの忘却必要論である。この考えは「翔太と猫」(1995)にも「倫理とは何か」(2003)にも反復して登場する考え方である(この部分は次章で詳述する)。
 永井はここでも再び功利主義的反証において「それを守らなくても安全で円滑な道路交通を実現できるときや、安全で円滑な道路交通を実現したくないときには、本来守る必要はない」とし、「しかし、だれもがそんなふうに考えて個別状況ごとに判断していたら、安全で円滑な道路交通など望むべくもない」とし、「人々はその設定の趣旨を忘れて交通信号に従うのでなければならない。設立の趣旨を忘れることが設立を実現するのだ」とし、信号を守ることを絶対的命令とする円滑な機能について触れている。続いて永井は「この忘却は、もちろんだれかの損にもならない」とし、交通信号がよく守られている社会においては「必要に応じて利用されるだけの社会」よりも交通事故死者数が少ないことを述べ、「この取り決めは、それが有効であるためには、少なくとも大多数の人によって、盲目的に従われる必要がある」とする。
 永井は更に十人の取り決めに関して次のように述べる。

(前略)道徳的な態度や思考や感情を内面化し、それを疑うことを知らない人々からなる社会の方が、そうではない社会よりは生き残りがちであり、おそらくは成員の多くにとって快適であろう。だれもが取り決めをした動機を忘却し、取り決められたその内容そのものの中に自らを内閉させることによって、その動機の観点から見てよりよい結果が実現されることになる。つまり道徳的な人とは道徳の存在理由を知らない人のことなのである。(中略)つまり道徳だけが唯一の武器である者は、取り決められた道徳の内容を祭り上げ、崇拝せざるをえない。道徳の根底には、目をこらせば見えてしまうものを見てはいけないとして遮断する隠蔽工作があるから、過度に道徳に依存せざるをえない境遇にある人の人格は、遮断的なものになりがちである。その事実を指摘できる人は、社会にとっても不要とはいえない。道徳についての、それ自体は道徳的でない真理を知っている人_つまり道徳の系譜学者は_道徳的社会にとってときには必要な存在なのである。
 道徳についての道徳的ではない真理を語る仕事が、社会にとってなぜ必要なのだろうか。道徳は、自分たちが今なぜこのように感じ、このような考え方をするのかが隠蔽され忘却されていなければ有効に機能しないが、この忘却によって維持された社会にとってさえ、ときには危険だからである。道徳をそれ自体として内閉的に信じ込んでいる人は、外的状況の変化によって当初に取り決められた内容が不適切になっていても、それに気づくことができない。善人は真実を知らない、というニーチェの命題は、ここでは構造的な必然なのである。
 通俗的な小説やドラマなどでは、これまでとは異なる異常な状況下でもそれまで教え込まれてきた道徳に献身し続ける者の姿を賛美し続ける。もちろんそれは、内閉空間を内側から強化する専門イデオローグの一翼を担う仕事であり、その社会の存立のために不可欠のものではある。だが、他方では、人々がその道徳を信じていることの本当の理由を知っており、道徳はつねに手段にすぎないこと_もしなくてすむのであればそれに越したことのない必要悪にすぎないこと_を状況に応じて説明的に提示できる系譜学的知性が、社会にとって必要なのである。(50~52ページより)

 この後永井はヒューム、ミル、ニーチェ等をそれらの一例である、つまり道徳系譜学者である旨を述べ、道徳の外部に立ち、人々がその内部で信じ込んでいる道徳の存在理由を知っている者として規定している。しかし同時に彼は「だれも道徳の全体像を眺めることができるほどには道徳から遠くの地点に立つことができないから、だれが本当の系譜学者であるかを決定することができない」としており、今挙げた三人の哲学者が特権的に道徳のレゾン・デ・トルを熟知しているという言説からの批判を想定しかわしている。
 確かに現代社会でも中島が「差別感情の哲学」で述べたような上位集団と下位集団というものは存在しよう(この論文について次回詳述することとする)。しかし少なくとも言説的な真理の如何を判断することはネット社会等によって徐々に我々にとっては個による判断を必然的に求められ、自己決裁的な意志判断がしやすくなってきている。勿論行動面において権力保持者とそうではない人との間には依然格差がある。それでも尚信条形成的な面において昔に較べれば永井が述べているようなマインドコントロールはし難くなってきている。それはネット社会自体がそういう事態を招聘したとも言えるし、その逆でそのような社会の要請がネット文化を我々に齎したとも言える。
 その意味では永井のこの部分の論述は、古典的な倫理学規範に則った考えを述べていると受け取ることも可能だろう。つまりヒューム、ミル、ニーチェといった哲学的エリートたちによるマインドコントロール的現実に対する批判的眼差しは今や格段に一流大学出身者とか一流企業経営者といったエリートたちによって独占されている、とは言い難い(昨今の与党政治家に対する検察の介入という事態自体への冷静な分析において政治家本人にも過失責任を認めつつも、検察判断に介在する思惑に対して疑念を抱く判断余地は多くの一般民間人の間でもエリート間のみならず可能である)。その事と社会的権力行使の実践力保持者ということとは勿論別箇であるが、少なくとも自己信条的内心の判断という意味では私たちの社会は既に権力保持者外的一般民間人の方に発言権や世論支持基盤が委譲されている、と見ても誤りではないだろう。
 少なくとも永井はこのやや古典的道徳理論によって「この真理の観点に立つことによって、私は、人間が道徳的に悪いことをしてはいけないとされている理由が、よく理解できるようになった。道徳を金科玉条のごとくに信じ込んでいる人が多い理由と、私自身がそう感じない理由も、分かるようになってきた」と述べ、哲学者としての意識の醸成過程について告白している。続いて永井は「このことはよいことだと思う」として

 よく生きるためには、道徳規範の成立基盤までさかのぼった無道徳性_むしろ道徳外性を保持することは必要なことだと私は思う。そのことによって、あらゆる種類の道徳的要請を究極的な力をもったものとみなす幻想から逃れることができる、と同時に、それに必要性も理解できるからだ。
 しかし、多くの人が私のような人である社会は、社会全体からみれば、多くの人が道徳を内閉的に信じている人である社会よりも、よくない社会かもしれない。その可能性はあるだろう。このような場面では、だから問題は道徳の内部にいることと外部からその真実を知ることとのバランスの取り方にあるのだ、と考えられやすい。だがそうではない。すくなくともそれとはまったく違う。より困難な問題がここからはじまるのである。(52~53ページより)

 この後永井は 4 系譜学的考察を超えて においてより詳細に道徳論を展開していく。しかしこの先は 第二章 永井哲学の社会契約的存在者とヘーゲルとハイデッガー において詳述していくこととするので、本章今回の論議内容をよく覚えておいて頂きたい。
 ちょっとだけ先取りしておくと、4において永井はより道徳的判断の価値論的領域へと踏み込んで考察しているということだ。実は哲学とはここからが本領なのである。それは次の部分に端的に示されている。

 「自分さえよければいい」という考えは最も悪い、不道徳な考えだ、と繰り返し言われてきた。そして、そういう考えはだれにとっても_どの自分にとっても_よくない結果を生む、と説得されつづけてきた。社会を構成する諸個人を等し並みに自分一般とみなす世界像を拒否してしまえば、この主張には説得力がない。(57ページより)

 この文章中「社会を構成する諸個人を等し並みに自分一般とみなす世界像を拒否してしまえば、この主張には説得力がない」が最大の主張となっていることは言うまでもない。つまりこの考えこそ永井哲学の骨子(特に<私>を軸とする考え)となるものなのである。尤も前回において既に幾つかのこの論文の骨子となる部分は引用しておいた。従ってそれと今回のものを綜合して考えれば粗方永井哲学のエッセンスは理解出来る。しかし再び次章において永井の制度論的な倫理学について考察する段にこの論文の結論部を流用することにする。その中の幾つかでは明かに永井哲学の宗教的、しかも神学的部分を垣間見ることとなるだろう。
 次回は中島の近作である「差別感情の哲学」と小説「ウィーン家族」を軸とした中島哲学の動機論について肯定的評価を認めるべき点と批判的論証を交えて考え、本章の取り敢えずの結論を導き出していこうと思う。そしてそのことが本ブログ本論の本章と同一タイトルである最終的結論へと重要な橋渡しとなっていくであろう。

Tuesday, January 12, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑧

 私は現在までのところ中島の本を、後数冊を除く全冊、永井も共著である本二冊ほどを除く全冊を読んできて、一つの明確な個々の像を見出してきた。それは既に二人の哲学者に対して私が中島を理性論的コミュニケーション信仰(言語の認識論)の態度で臨み、永井を経験論的コミュニケーション懐疑論(言語の存在論)の態度で臨んでいるということを述べたが、その考えを絶えず確信するように至らせるもの以外ではなかった、ということである。
 このことに対する解析から今回は始めよう。
 
 中島は本質的に言語に対してある一定の自己内の意思を他者に伝達する道具として媒介として有効な武器であることを信頼していて、その事実自体に対する懐疑を抱いていない。だからこそ彼は「ウィーン愛憎」において日本人に対する侮蔑的態度で臨むように思われるが、それが内実的には自己主張と極端な自己防衛が重なって顕現されているオーストリア人を中心とするヨーロッパ人の態度(中にはミセス・ケレハーのようなイギリス人も含まれるが)が、日本人全般に下されると、少なくとも中島の筆致自体から前提される客観的文明論的批判となって現れる(つまりそういう日本人に対して下されるオーストリア人の態度全般を日本人同胞に告発することによって日本人同士に共感を呼び起こすことが可能であると少なくとも信じている)こと、つまりその批評空間自体の存在意義について信頼を持って臨んでいる。それはどんなに他者が土足で自己内の感性領域に侵入してくることをしようと望もうと断固としてその偽善的良心を打ち砕こうとして極度にその侵入を否定するような態度で感性のエゴイズムを主張しようとする「愛という試練」のようなテクストでも、あるいは一切の学者的アカデミズムへの幻滅によって学者、大学教授間の人間関係的柵から一歩身を置くことを宣言する「人生を「半分」降りる」においても変わりない。
 つまりそこには痛烈なるマイナスのナルシズムが介在している。だから著述家としての中島を想像する時、例えば教室で一人先生に指されて全て教科書通りに模範的回答を示しながら最後にはそうやって他の一切の生徒が出来なかったことを自分自身は模範を示したことから先生から褒め上げられた末に、でもそういう風に着実に点数を稼ぐ自分自身に痛烈なる嫌悪感と、自責の感情を抱かずにはおれない、という風な生徒を私は中島に見るのである。
 この中島の哲学的態度を自虐的ナルシズムと呼ぼう(このことは彼の「たまたま地上にぼくは生まれた」等において中島が自分のことを理不尽に成功しているという風に述べている(対談等で)ことでも了解される)。もっと敷衍して言えば中島は自己内の正当なる自我さえも自責と後悔で彩ることを忘れないし、そのことまでも伝えようとする言語媒介的意志伝達信仰者である。

 それに対して永井は言語が持つ力を信じているという点では何ら中島とは変わりないが、全ての人間間の理解というものが仮に強力なる武器である言語を通してさえ理解し合えることはないという可能性も常に残される、という風に一切を白紙に戻すという観点を捨てていないのである。だから永井の書く文章は今回から取り上げる「なぜ悪いことをしてはいけないのか」(大庭健、安彦一恵共著、ナカニシヤ書店刊)において基調論文の最後に次のように述べている。

 コメントを下さる方のために一言。私は私の問題感覚を提示し、それについて今のところ考えることを述べてきた。私はその都度の自説にまったく愛着を感じないので、批判に対して自説を擁護して弁ずることが嫌いである。もしできれば、単なる質問や批判ではなく、私の問題に関して、私が考えつかなかった何か積極的な議論を提示してくださるようお願いしたい。(61ページより)

 この論説の中では特に「私はその都度の自説にまったく愛着を感じない」という箇所に永井の哲学的態度の一つの典型的例が示されている。つまり永井はその都度の発言とか記述が、確かにその都度の自分からの意志や考えを示すものであると了解していても尚、「書かれたこと」が書いた本人とは既に別箇の存在として独立してしまうということを直観的に理解しているのである。このことは重要である。
 それは彼の教え子で芥川賞作家である川上未映子がNHKの対談番組である「スタジオパークからこんにちは」に出演した時司会のアナウンサーに対して「自分の唾を口の中で飲み込むことは何ていうこともないのに、一旦吐き出した自分の唾をもう一度口の中に戻して飲む込むことは出来ない。唾であるということは同じことなのに」という疑問を語っていたが、実はこれは既に哲学者であるダニエル・デネットが「解明される意識」において述べていることである。
 つまり我々はどんなに愛着のある自分自身の肉体から放出されたものであってさえ、一旦それが自己の身体の外部に放出された瞬間から、それを他としてしか認識し得ようがないという運命を背負わされている(そのことは自分の息子との確執さえ執筆することを辞さないエッセイストとしての中島の姿勢とも関係してくるのであるが、そのことは又改めて第三章から第四章において書こうと思う)のである。その意味では言葉も同様である。
 従って永井にとって言語を対象として捉える視点が常に介在している、ということが言える。永井にとって既にその都度の自己による判断によって提出された自己による言説も言葉も既にその段になってしまえば自分から見ても他(者)なのである。
 このことを先ほどの中島に対して援用した解釈を適用すれば、永井とは大勢の生徒たちが意見を言い先生から褒められているのを聞き、しかし自分自身は「では永井君はどう思う?」と指されて先生の要求に従って「僕はこういう問い一切に関心がないのです」と返答したが、先生からは「永井君は物事を深く考え過ぎです」と一言で断じられ、でも本当に先生の言うことって正しいのだろうか、あるいはそれまで他の生徒たちが先生にとって返答して欲しいと思うようなことを返答してきた全てに対して「それは本当に正しいことなのか?」と疑問に思い、しかも自分自身の返答にもその懐疑の精神を捨て去らない、そういう生徒を想像する。この態度を絶対的自由論と呼ぼう。
 
 中島は初期著作である「時間と自由」の中で次のように書いている。

 知覚における赤とは別の赤を了解するとはいかなることかという問題は、伝統的には「観念」の存在性格に関する問題である。ここで観念史の詳細に立ち入ることはできないが、近代哲学において観念はおおよそ次の二つの方向に枝分かれして意味づけられてきたと言ってよいであろう。すなわち、一方でロック、バークリー、ヒュームなどのように、観念を何らかの心的対象と解する方向であり、他方ではライプニッツやヴィトゲンシュタインに見られるように、観念を心的な対象物と解することを拒否し、それをあくまで何ごとかを理解する能力と解する方向である。両者とも観念という概念は、なお次の共通項をもっている。それは、例えば赤や痛みの意味を了解しているとういうことを、その観念をもつことに帰す点である。(76ページ、講談社学術文庫)

 この論述で示されている内容から鑑みるに、中島はそれを意図的であるとか意識してであるかどうかには関わらず、少なくともあの「うるさい日本の私」などで公共的文化騒音に対する耐え難さを読者に告発することを通して少なくとも自己の意志が言葉によって伝えられるという言語の可能性を信じて疑わないという意味では明かにライプニッツやヴィトゲンシュタインと共通するタイプの著述家であり、永井は逆に完全にロック、バークリー、ヒュームらの系譜に属するということが言えると思う。

 そのことを念頭に置いて二人の論述を見ていくこととしよう。
 その前に前提となる中島の時間論的考えの骨子を捉えておきたい。その論述の前の 1意図的行為に対する後悔 中最終部において中島は次のように述べている。

 すなわち、本来は過去における自由というモデルに由来しながら、「現在中心主義」という思想に寄りかかった自由の素朴な形態が、「私がAをすることもしないこともできる」という無差別均衡の自由なのです。ですから、当然のことながら、これを自由の原型として、過去における自由から独立に理解しようとするとき、われわれは暗礁に乗り上げてしまう。先に見ましたが、私は「Aを選択することもしないこともできる」ということと、それにもかかわらず、私は事実「Aを選択する」ということのギャップを「内的強制」という言葉で飛び越えたつもりでも、実際には飛び越えたことにならない。(30ページより)

 ここで中島によって示されている無差別均衡の自由とか、それ以前に提出されている他行為可能性とは端的に、思惟の上での想定可能性であり、固有の現在は一切考慮されていない。このことは中島の「時間論」において科学における時間論全体が既に常に我々にとっては頭痛の種ではあるものの、真理論的にも前提にされるべき当の今、つまりあらゆる歴史を眺望する時にも忘れてはならない現時点、現在時点ということの固有性(だから通常ジャーナリズムでは新聞にしてもテレビのニュースにしてもそれが報道される期日を明記している)を一切剥奪した上で成立する真理論であるという思想をここでも明確に規定している。ベンヤミンの言葉をもう一度思い出しておこう。

 出来事を前史と後史とに分節化するのが現在である。[N7a,8]

この言説はあくまで現在から見た過去のことを言っている。つまり我々は常にある過去の出来事とかその周辺の時間的推移を現在から遡って捉えようとする時、その時点では一切そういう意識がない(何故なら未来はどうなっていくか分からないからであるが)が、ある出来事が起きてしまった後では必ずと言ってよいほどそういう風に過去から見た過去、過去から見た未来という区分けを利用する。つまりそのことを中島は先の文章中特に「私は事実「Aを選択する」ということのギャップを「内的強制」という言葉で飛び越えたつもりでも、実際には飛び越えたことにならない」で示しているのだ。つまり過去を現在から捉える時そこには必ず「現在から見たある過去の出来事」という操作が介入しているのである。しかしにもかかわらず後悔においてはその操作自体を忘却している、ということを中島は主張しているのだ。だからこそ後悔とは一つの過去へ遡りたいという願望であるとも言える。つまりその過去への遡れなさ自体が後悔を魅力ある願望へと仕立て上げているのである。そのことを考慮に入れてまず中島の「後悔と自責の哲学」における A後悔 1非意図的行為に対する後悔 中 「可能」な私の範囲 から見ていこう。
 ここで中島はまずアクラシアについて考えている。つまり気がつかなかったことだけではなく無意識の内にしたこと、しなかったこと(その中には自分だけがよい人格を形成してしまったがゆえに後悔することを、そういう人格を形成出来ずに失敗したことと同様に悔いることも考えている。つまり犯罪すれすれにまで至っても、なぜかうまくそれに陥らずに生きている自分のずるい人格という善良な市民であること自体への自責の念も含まれる<ここら辺がさも中島的である>)も含めて後悔される内容を考えているのだ。そして重要なのは次の箇所である。

 各人は物心ついてから(あるいはその前から)の膨大な積み重ねによって、現在の自分の人格を形成しているのに、その全体を後悔するとは、現実の自分ではない架空の能力(性格、学力、魅力、体力など)をもった人間を「自分」と見たてていることになります。これは、はなはだ不合理に見えますが、いちがいにそうとも言えない。
 なぜなら、もともと「私」という言葉には「私は日本人です」とか「私は虚栄心が強い」というような現実的な属性ばかりではなく、「私はもっと(人間的に)強くなりたい」とか「私はどんなことがあっても今後のコンクールに入賞したい」というような可能的属性も付与されるからです。人間とは、こういう欲求・願望・希望などを抱く生物なのであり、まさにこれと呼応して過去の事実に関しても「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔する生物なのです。こうしてみますと、まずわれわれは欲求・願望・希望を抱き、次にそれらが未来と過去の両方向に伸びているだけだとも考えられる。(47~48ページより)

 ここでまさに中島はヘーゲルが打ち立てて、再びサルトルによって「存在と無」でクローズアップされた対自の概念を援用している。要するに対自とは「これまでの自分」という過去事実と、その過去事実全体への反省的意識によって固有の人格を自己に対して付与し、更にそれを未来へと適用して、だから逆に「これからの自分」はこれこれこういう風にしていこう、いくべきだという指針を添えて考える。要するに対自自体が一つの時間論となっているのである。今までの自分、これまでの自分という考えはそれ自体記憶と経験とによって得てきたものとそれと引き換えに失ってきたものの総計である。その自己像に対して修正や変更の意図を未来へと向けて抱くということの内に対自の時間論、つまり過去事実とそれら全体への反省的意識による未来への志向性と投企という観念で対自を捉えると、中島流に考えれば確かにそれは後悔による時間論ということになる。
 中島の先の文章の後で示されている限定された可能性という枠、つまりあまりにも大それた自己能力を遥かに超え得ることのない中島の言葉をそのまま借りれば「論理的可能性から実在的可能性へと絞り込んだもの」なのだ。実在的可能性は故にこれまで人生で自分が何をしてきたかによって決まる。そこに中島は未来への実在可能性というものを捉えているし、ここら辺の考えは至極真っ当であると言えるだろう。
 故に次の節 「投げ込まれていること」と「企て」 においてハイデッガーの投企について触れているのも必然的論理展開である。故に私は中島の言うように後悔がなければ過去が成立しないとまでは考えないまでも、中島の述べる「ハイデッガーは「投げ込まれてしまっていること」の自覚から過去が発生すると考えていますが、むしろ「投げ込まれてしまっていることに対して一定の態度をとること」すなわち広い意味で「後悔すること」によって過去は発生します。われわれ人間は自分が投げ込まれてしまっている事実性を何の抵抗もなくすなおに受け入れるわけではないからです。むしろ各人の事実性は彼(女)にとって超えられない枠であって、たえずその枠を超えようとする意図(企て)を認めつつも、そのつどけっして超えられない枠として立ちはだかっている。言いかえれば、われわれ人間は動物とは違って未来へとたえず「企て」を投げかけるからこそ、そしてその「企て」がほとんどかなえられないからこそ、さらにさらに後悔を堆積させるのです。」という2の結語は、ある部分では中島哲学における後悔によって過去が発生させられるという時間論の一つの結論でもあるということになる。
 私自身は過去という時間が認識上付与され、その過去事実内容自体は後悔とは別箇に成立していて、その事実への想起自体が容易であればこそ後悔がその時点で発生する、と考える。だが中島はそう捉えない。ここでも中島哲学の「言語が世界や身体を作る」という発想(言語の認識論)が活かされている。つまり過去があるから後悔が発生するのではなく、後悔という論理的可能性であり且つ実在可能性全体への反省的思惟という言語認識によって過去を通した世界の見え方が決定される、と捉えているのである。
 今私が示した私の考えと中島との相違において何が浮かび上がるかと言うと、それは世界全体への構えの違いである、と言えるだろう。中島にとって恐らく世界とは存在論的に成立する以前にまず自己という存在を成立させる言語的秩序によって認識されるものであるということだ。それは言い換えれば世界そのものが理解されるべき対象として立ちはだかっているのということである。
 それに対して少なくとも私はその面では永井に接近した捉え方だと言えると思うが、私にとって世界は認識したり理解したりする以前に超然と立ちはだかっているわけだ。そう世界に対して構えるということだ。それはある意味では理解出来ないこととか認識出来ないことを沈黙するというヴィトゲンシュタイン的態度(ラッセルが「西洋哲学史」においてヒュームを認識する段で、「さまざまな観念のうちでもとの感覚印象がもつ生々さを少なからぬ程度までは保持している観念は記憶に属していて、他のものは想像に属している」と述べている箇所において中島ならその想像する領域に関しては沈黙を守るという態度で臨むだろうが、私は違うかも知れない)であるよりは決定的にその理解、認識出来なさ自体を体感的に無視することが出来ないという構え方であると言う意味では極めて不器用である、と言えるだろう。そして私は永井もカントもそういったタイプの哲学者である、と捉えている(しかしそれは勿論どちらのタイプが優れているというわけではない)。

 さて永井の方へと移ろう。永井にとって世界が超然と立ちはだかるということはある意味で私ということ、それはその当の実在がたまたま永井均であるという事実を通して理解されることであるが、その事実を自分にとって何故たまたま自分が永井均であるかと言う問いと同一である。それは恐らくデカルトからメルロ・ポンティまで一貫して哲学者が抱いてきた想念であるポンティの「知覚の現象学」中の序文の中にある「デカルトおよび特にカントは、主観ないし意識を〔世界から〕解き放って、もしも私が或る物を捉えるに当たってあらかじめ自分を存在するものとして経験するのでなかったら、私はどんな物をも存在するものとして捉えることはできないであろう、ということをあきらかにした」(1竹内芳郎・小木貞孝訳、みすず書房刊)という行為の系譜に位置づけられる。何故なら中島やヴィトゲンシュタインが言語的認識によって私が作られると考えているような意味で永井は全く違ったアプローチで世界に臨んでいると捉えられるからである(勿論ポンティは世界や私が言語によって作られているとは考えていない)。それは言語によって私を理解する以前に私を永井が認めているということに他ならない。
 永井は「なぜ悪いことをしてはいけないのか」における基調論文である 3 なぜ悪いことをしても<よい>のか において次のように述べている。この文章は道徳論について述べられている全体の中の終盤にさしかかる間にほんの一言添えられているものであるが極めて永井哲学を理解する上で重要である(この論文を冒頭から解析することは次回に重点的にする)ので最初に示しておこう。

 私はまた永井均という一個人の利益のために行為し続けるのでもない。私がなぜかたまたまその個人であった以上、それもまた避けがたいことではあるが、少なくともそれだけではない。そうした結合の偶然を超えた存在の偶然を、私は自分の生の根底におきたい。なぜかこの、私の世界が存在し、それが最初にして最後、そして唯一の世界なのである。そこにはいかなる取り決めもなく、してはいけないことも、すべきこともない。私は何をしてもよく、修辞的に表現すれば、何をしてもよいという義務がある。永井均のいわゆる利益のために、私が奴隷にならなければならない理由は最終的にはない。(57~58ページより)

 この部分に示された永井哲学の考え方の基本は、ある意味でカントの完全義務、不完全義務にさえ酷似している。それは特に「そこにはいかなる取り決めもなく、してはいけないことも、すべきこともない。私は何をしてもよく、修辞的に表現すれば、何をしてもよいという義務がある」によって示され、要するにそれを意志的に善意志によって行うということ、つまり傾向性によってなすのではないことこそカントが「人倫の形而上学の基礎づけ<あるいは「道徳形而上学原論」>」においてカントが最大級に主張したかったことだからである。そして極めて永井哲学を理解する上で重要なこととは、端的に彼による近作である「なぜ意識は実在しないのか」やそれよりもっと以前の「<私>の存在の比類なさ」による<私>ということの意味がまさにこの文章における「そうした結合の偶然を超えた存在の偶然を、私は自分の生の根底におきたい」という部分のまさに「存在の偶然」という箇所にあるということである。
 これは通り一遍の表現をすれば現象的であるということであり、意識とかクオリアということであるが、永井が言いたいのはそういう形式的なことではない。まさにヴィトゲンシュタインであるなら沈黙しなければならない、と語った当の問い、つまりラッセルのヒューム解析によって示されていた想像の領域のことだからである。それは端的に何故永井均という個がこの超越的自分であるかということ自体を事実認識として捉えるのではなく、存在として受け入れることである。つまりそれは「生れて来たという事実自体の受け入れ」ではなく「生れて来たという事実の持つ奇蹟の受け入れ」という意味で捉えられるべきものなのである。
 その証拠に彼は同じ論文の中で次のように述べている。

(前略)この世界の中でそういうことを語る理由を問うているのなら、私は特別な意味で道徳的な理由があるのだ、と答えたい。そう答えるとき私は、2で述べた系譜学の水準を超えて、哲学をすることの意義について考えている。私は、哲学的な語りを含めて、語るという行為が本質的には道徳的行為なのではないかと疑っている。言葉を語ること、少なくともまじめに言葉を語ることは、語られた内容が何であれ、道徳的行為なのではあるまいか(これはきわめて原初的な、言葉によらない取り決めのようなものだろう)。悪の根底には言葉の拒否があり、それは言葉では決して表現することができない端的な事実と呼応している、と私は感じる。どのような語りによっても、それを表現することはできないように思われる。(59ページより)

 ここでも永井は自身の哲学骨子の概要とも受け取れる幾つかの重要な考えを述べている。一つは言葉を語ることが道徳行為であるという倫理的認識である(それは きわめて原初的な、言葉によらない取り決め という表現によって先験的に言葉以前に世界があり、世界と共に私があるという考えの表明ともなっている)し、且つ悪自体を悪という心の存在をも奇蹟として受け入れるということを悪をなす者の立場から考えているということだ。
 つまりだからこそ永井にとって悪をなす者、つまり実際に新聞やテレビでも報道されるような殺人犯などに対して中島のように「哲学の教科書」において殺人犯を差別的態度で接する同僚に対して怒りを表明するような態度を取ることを控えさせているのである。永井にとって恐らくそのような行為へと赴く運命の星の下に生れてきた人間に対して中島のように「ひょっとしたらその殺人犯が自分だったかも知れない」などと想像すること自体が自分はこの世に生れ来た事実自体の奇蹟の前ではとんでもない大それた想像であるに違いないからである。
 つまりこの悪に対する冷厳なる、あらゆる同情心や憐憫をさえ跳ね除ける運命論的な言葉以前に世界が画然と存在者にとって存在しているという事実に対する容認ということからも永井を言葉の存在論者であり、且つ経験論的コミュニケーション懐疑論者である、ということを裏付けている。つまりこの懐疑論は一つの存在論なのである。そして私はヒュームも、そのヒューム的主張を取り入れたカントにもその意味での懐疑論的存在論を感じるのである。(つづく)

 
 

Thursday, January 7, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑦

 今回を含め三回ほどで一度この第一章の遠大な命題の区切りを一旦つけておき、その他のこの二人の哲学者とその哲学思想、哲学的感性、社会的ロールといったことを詳細に分析し私自身の主観に沿って位置づけることをするプロセスを経て後半で再び同じタイトルの章を何度かに分けて道徳と倫理の問題に取り掛かることにする。
 従って今回を含め三回ほどは触り程度の二人の哲学者の思想的傾向と資質に対する取り敢えず今後論議を進めていくために必要なこととしての暫定的結論と見做して頂きたい。
 また分量の関係から今回から次回前半は主に中島を、そして次回後半から次々回前半は永井を中心に論を進めていくこととする。

 前回の後半で述べた中島の「後悔と自責の哲学」中導入部における基本的論理矛盾について少しだけおさらいをしておこう。
 私自身の時間論的考えでは過去は決して中島による件のテクストで示されているような意味で後悔によって形成されているのではない。その証拠にもしロボットにせよ、ゾンビにせよ意識が皆無な存在者がいたとしても、彼にとって過去とは実在したこと全般に対する記憶と認識が未来への行動的な意志全般に必要であろう(尤もこの問題は、意識に対する定義の問題と、存在者をゾンビやロボットにまで拡張してもよいかという価値規範的、倫理的命題をも含むこととなるので、私の別のブログにおいて先に示すことになるだろうし、又本ブログではかなり終盤に近づいてきた時点で取り扱おうと思っている)。そして私たち自身もまた、ある過去事実や過去のデータ全般において別段感情的意味づけがなくても、何ら差し障りのない多くのデータが未来行動における指針として役立つということはあり得る。
 例えば私は京都が好きでしばしば訪れるが、以前の旅行で行く予定を立てていたが、いけなかった場所には今度必ず行こうと決意することが出来る。
 これは端的にもし必ずその時に行く決意があったならば、確かに中島の言うように後悔によって次回行くことにしようと決意することを誘引しよう。しかし必ず行くつもりでいた場所は一応踏襲出来たとして、尚時間的、体力的に余裕さえあれば行こうと思っていたが、現地に行ってみて物理的にも精神的にも行くことが不可能であった場所へ訪れられなかったことまで私はそれを後悔の中に組み込むことは出来ない。
 従って私たちにとって過去は後悔を持って解釈することによって未来へと橋渡しする部分があったとしても、それはあくまで部分であり、全体ではないということだけをここで強調しておきたい(それだけでなく仮に一切の後悔がなかったとしても尚、我々には未来においてある場所へ移動するために必要な土地に対する知識とかもっと単純な知覚判断的な意味合いからも、それ以外の多くの知識にも記憶すべき過去事実、過去の経験的記憶が必要である)。
 また過去論における過去を実体とするか、只単なる表象とするかということにおいては、恐らく次のような反論が用意されるものと思われるので考えてみたい。
 それは表象もまた一つの実体であり実在であると捉えられないかということである。それは確かに一理ある。しかし少なくとも前回私は一応実在を物体として存在するもののことに限定し、表象を脳内の思念においてのみ実在することと区分けしておいたのだ。しかしこの表象を実在と等価に扱うか否かという問題は、意味や感情、あるいは言語などを実在的に扱うかという問題をも誘引する命題なので、そう簡単に結論づけることが出来ない。従って一応実在を物質的に外在的に存在するものとして、表象を精神的、心理的、脳内思念的なものという単純な区分けをここで採ることを宣言しておく。しかしいずれ意味、感情、言語などを実在レヴェルで捉えることも可能であるというレヴェルでも考えていくつもりなので、その時までは暫くは単純な論理で考えて頂きたい。

 しかし私にはこの中島の後悔と自責を絡めた過去論はそういった矛盾にもかかわらず、極めて魅力的である。何故なら確かに過去性そのものは、単純な行動を誘引するために把握され、解釈されるというゾンビにおいてもロボットにおいても必要なデータであるに過ぎない部分を持っていても尚、精神的には我々にとって極めて未来意志へと直結する決意、決心を誘引するような、要するに過去全体を理想値とか価値判断的査定において、それを上回っているか(幸運であったし、自らも努力した)、それとも下回っているか(不運であったし、自らも後悔と自責の念を禁じ得ない)ということにおいて判断していくことが極めて日常的には多いからである。つまり中島の 過去=後悔による要請 という考え方はある意味では語彙規定的に不完全であることを承知で捉えれば、明らかに本意的には過去という語彙を 過去解釈 と捉えてもいいものだからである。
 後悔とは一つの願望である。人間が知性が進化してきたのは、自然が付与した偶然であるという唯物論的生物学的常識的観点を採用すると、それは決して我々による願望が進化させてきた、ということにはならない。この考えは哲学者の多くの賛同してくれる考えであろう。何故なら我々はいつかは必ず死ぬ(尤もこれも哲学的に言えば決して正である、とも言えない部分があるのだが、取り敢えず現実的にはそうである)ということ、そしてその時期は常に理不尽に我々の願望とは無縁に訪れる、ということを考えれば説得力があるだろう。拠って前回取り上げた中島による「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう」という言説を、私なら次のように書き換えるであろう。
 「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去全体の解釈を全く違ったものとしてしか認識し得なかっただろう」
 ところでこの「後悔と自責の哲学」という著作物について一言述べておくこととする。
 中島の「孤独について」「うるさい日本の私」「醜い日本の私」「孤独な少年の部屋」等の諸著作に見られる一般的標準値的感性と著しく乖離した自己の感性への覚醒から、少年期から大人になって以降も含めて継続して受け、あるいは感じ続けてきた社会の矛盾の告発、あるいはそういった矛盾の中を生きることの哲学的洞察を示した諸著作全体の基本的なスタンスと、それをより哲学命題論的に客観的に分析した、という意味で「後悔と自責の哲学」は、中島の著作物中での代表作であるとか傑作であるとかいう評価とは別箇に中島義道という哲学者、エッセイスト、評論家、作家の考えを知る上で最適のテクストである(これ以外では第一回で取り上げた「悪について」である)。
 本章においてはこの「後悔と自責(今後省略してそう呼ぶこととする)」はA後悔 の2 までに留めて、残りの内容に関しては先述した後半の同一タイトルの別章において詳述していくこととする。

 さて細かく見ていこう。
 この本の中では、とりわけ 2  非意図的行為に対する後悔 中 後悔と過失 は重要である。後悔があるテレビ番組で紹介された車の中に排気ガスをホースで引き込んで自殺した父親に対して、息子が「自殺直前の朝、学校に行くときそのすぐ傍を通ったのに気がつかなかった。気がついていれば救えたかもしれない」と涙なららに訴える場面を見たことなどを持ち出して、自らの過失以外に多く後悔を生むことを先に示してから中島は

(前略)こうした後悔は、近代法(民法や刑法や商法)における(「故意」ではなく)「過去」に対する責任追及に対応します。
 近代法は、ほとんど瞬間的に発生する自動車事故や大企業の吐き散らす公害などを通じて、行為と結果のあいだに因果関係が明確に立証されない場合でも行為者の責任を認めるという無過失責任へと進んでいきますが、こうした流れは責任追及の終止点の性格をよく示している。つまり因果関係の始点としての心の状態がたとえ確定できなくても、依然として責任追及の態度は変わらないのです。このことからも、心の状態より責任追及のほうがより根源的であることがわかる。
 過去の段階に留めますと、責任追及の終止点をさすがに「自由意志=故意」と名づけることはないにしても、何らかの心の状態として認定しようとする。過失という心の状態は、先の少年の後悔に正確に呼応している。何らかの事故あるいは事件が起こったときに、それに「気がつかなかったこと」が過失とみなされるのですから。先にも挙げましたが、自動車の運転手が、道路の脇を歩く小学生の集団に突っ込んで数人を殺した(ないし怪我を負わせた)としたら、彼らに気がつくべきなのに気がつかなかったことが責められる。しかし、つい路上の野良猫をひき殺しただけなら、それに気がつかなかったことは責められない。
 また彼に生まれつき注意力が病的に欠如していても、それは彼が「気がつかなかったこと」を免責しない、「気がつくべき」こととは、個々の人間の注意力(それは恐ろしく異なっている)という事実とは別に、平均的人間として気がつくべきこと、つまりある人にとっては不可能に近いことでも、やはり気がつくべきことなのです。
 この事例からもわかるとおり、過失とはじつは心の状態ではなく、あらかじめ気がつくべき法益(歩行者)が決まっており、その法益侵害をしたときに(故意でなければ)自動的に「気がつかなかった」にみなされる社会制度にすぎないのです。
 この社会が、こういう論理を合理的なものとして容認しているかぎり、父親の自殺に「気がつかなかった」を責めつづける少年の心情もまた合理的なものとして容認されている。言いかえれば、この少年に対して「後悔をやめよ」という助言が現実的な力をもつのは、われわれがいかなる過失に対しても人を責めることをやめるときであり、これが実現されることは(少なくとも近い将来)絶対にありえないように思われます。(41~42ページより)

 実はこの部分はまさに第二章で詳述する永井の制度論とまさに通底する哲学命題である。私自身はここら辺を専門的に研究しているわけではないので、恐らく社会学においても文化人類学においても言語学や記号学においても、この制度論的な真理とはかなり重要なことなのではないかとだけは私にも判断出来る。そしてこのことは次回永井の倫理観について述べる時にも再び取り上げることとする。
 尤も中島が東大法学部出身でありそこからドロップアウトして哲学の道に踏み込んだという解釈を自己に対して位置づけている(「孤独について」「生きてるだけでなぜ悪い?」等によって告白されている)こと自体に内在する、しかし法学的知性を全く持ち合わせてはいないどころか、かなりの部分で彼の哲学の骨子を形成することに役立ってさえいることを証明するかのような 人格形成責任 で刑法学者の団藤重光氏のことを取り上げ(ここら辺の披露欲求の正直な誇示こそ中島の著述家としての性格を表わしている。永井なら恐らくこのような叙述は一切省略するだろうから)法学の存在根拠について触れた後、 「可能な」私の範囲 以降再び哲学本質論について触れている。(つづく)

Sunday, January 3, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑥

 今回は少し哲学専門的(とは言っても難解であるということよりは寧ろ本質論的であると言ってもよいが)に立ち入って考えたいのだが、本論へと行く前に少し押さえておきたいことがあるので少し私的なことも述べよう。
 私は自分自身の努力不足もあるだろうし、運命的なこともあるのだろうが、殆ど全ての努力が報われないままに五十歳を迎えてしまったという観が人生に対してあるのだ。そしてこれから先徐々に老いていき、いずれ死を迎えるのだ、ということを自覚する時ある決意というか、ある心がけをしていきたい、と考えているのである。それは寧ろ死というものをあまり必要以上に否定的なニュアンスで捉えるのではなく、どんなに努力しても報われない人の方がずっと大勢いるこの世の中で唯一挫折や苦痛から開放させてくるものであると捉えるべきではないか、ということだ。 
 この考えは哲学者であるトーマス・ネーゲルも苦悩して考えていたことだが、全ての哲学的行為をこの死の恐怖、つまりそれは死自体が否定的に価値的に捉えられているということに起因しているのであるが、それを問い詰めること自体が哲学であるとしても、最初から前提として生だけを肯定的に捉える仕方自体を改めていくことも必要ではないかということだ。
 これはロボット工学者で脳科学の研究をされる前野隆司氏による幾つかの著作において繰り返し述べられていることとして記憶力だけを積極的に肯定的価値として捉えてきたこと自体を反省へと送り込むような考え、つまり忘却力、つまり物忘れをすること自体への価値的見直しとも共通した考えがあるように私には思われる。
 それは私自身が五十歳を超えて最近老いを肉体的に感じざるを得ないようになってきた時に、老い自体も否定的なだけでなく肯定的に捉える視点があってもいい、と考えられるようになったからである。
 だからあくまでこのスタンスは死自体を美化しようということでは決してない。基本的に生は素晴らしいこととは認めつつも、生自体ではあまりにも報われないようなことも多くあるという現実の前では哲学的にあたら死だけを遣り込めるようなスタンスだけが正しいとまでは言い切れないという視点も残しておくべきだ、という見解に拠るものなのである。この点において恐らく私自身の哲学的見解はいささか中島とは対立していくものと思われるので、敢えて最初に示したのである。
 
 さて哲学自体のかなり立ち入った考えとは本ブログにおいて取り上げてきている二人の哲学者のスタンスを見るだけでも十分理解することが出来る。
 例えば永井均は端的にかなり平明な文体において実はかなり難しい哲学命題を問い掛けているが、実際中島義道のように私生活に対する告白とか私小説的文章は一切発表していない。自分の子どもはやはり可愛いというようなことを僅かに述べているに過ぎない。
 それに対して中島は最近本格的小説も発表し既に刊行されている(「ウィーン家族」)。
 中島義道という著作家とは、第四章において詳しく取り上げるが、ある意味ではかなり出版界的現実に即応した社会的ロールを担っているということから、例えば彼自身の時間論を主軸に捉えるべきか、それとも差別論一般によって捉えるべきか、それともマイナスのナルシスと本人が命名しているようなある種のエゴイスティックな自我論的立場、あるいは感性のエゴイストと自らを位置づける固有の文化騒音問題の活動家としてのスタンスを貫く作家的立場から捉えるべきかという幾つかの方法的切り口が戦略的に用意されているように思われる。
 しかしそのことは同じようには永井均には通用しない。であるが故に逆に永井には中島ほど多く著作物を刊行してはいない(15冊)ので、その事実から、逆に些細な記述においてさらりとかわしているのにもかかわらず、よく考えてみるとかなりアナーキーなことも主張しているという部分を読み取る必要があるのだ。そしてそうすることによって逆に中島のかなり反社会的立場を鮮明にマニフェストしている部分の本質的性格とは「本当にそのような反社会性を中島義道は主張しているのだろうか」という懐疑論を招聘することにもなるのだ。つまりそのような認識再考にこそ本論の本質的意味があるのである。
 第十一章において二人の時間論に関しては詳細に分析する予定であるが、時間論に関してカントを多く取り上げている中島によるカントがかなりある部分ではヒューム的懐疑論に裏打ちされている、ということを私は本論で分析していってみたい(詳しくは次回以降に持ち越すことにしよう。)のであるが、一方哲学において「序の前のこの論文を書くこととなったきっかけについて」でも少し述べたが、本来哲学行為とはその論文などで述べられている記述における真理命題的な論理とか論理的主張における意味内容、論旨のおいてのみ示されるものではない。それらはあくまで一つの仕事としての成果であり結果ではあるものの、それらの真理命題へと誘引していった人生的な経路とか論文執筆者自身の人間的性格とか、資質、あるいは執筆背景といったことを全て無視してよいかと問われればそれはノーである、ということである。
 だからカントから多くを負っている中島の時間論にしても、実際にはその本質において彼自身に固有の哲学動機ということが介在している、という切り口で考えることも又一つの正当な考えである。
 
 さて具体的な記述に即していこう。
 永井の「翔太と猫」は端的にかなり哲学命題が濃縮されて鏤められている名作である。事実著者自身もそのことを認めていて、文庫版あとがき では自画自賛するようなことを述べているし、ちょっと場所は忘れてしまった(思い出したり発見したりしたら後で記述することとする)が、この本を哲学命題的水準においては他の専門的書以上であるということを述べている。前回の続きをまずここに再び掲載しておこう(前回の引用文を参考にして頂きたい)。

「他人の言っていることを理解しようとするときも、それと同じこと?」
「言っていることだけじゃなくて、やっていることの理解だってそうだよ。理解するためには、相手の中に理や真を見つけることが要求されるんだよ。」
「だんだんつながりがわかってきたよ。だから、たとえば、ぜんぜん違う言語をしゃべっている人たちも『ゴミや糞尿はきれいだけれど花や夕焼けは汚い』って意味のことを言うことはありえないってことになるんだね?それが意味の理解の前提だから、ひょっとしたらほんとうはそう思っているかもしれないってことさえもないんだ!」
「そうさ、相手が自分を真実だとみなすものを真実だとみなす、と前提するんじゃなくちゃ、意味の理解は始まらないんだ。相手のまちがいを指摘したり、相手の意見に反対したりできるためにも、それが前提になるんだよ。一致して受け入れたり、一致して拒否したりすることがらが多くなればなるほど、ぼくらは相手の言うことがよく理解できるようになるからね。同じ言葉をしゃべるときだって、いつもそうしているよ。だから、『わかる』って言い方で『賛成する』ってことをあらわせるんだよ。こういうふうにね、相手の言っていることがほとんど正しくて理にかなってるって前提する態度は、相手に同情心をもって接することだから『チャリティ原則』って言われてるんだ。この原則はね、ひょっとしたらまちがっているかもしれないような原則なんじゃないんだよ。そうでしかありえない原理なんだ。たとえば動物の言語の場合だってそうだよ。蟻や蜂蜜がぼくらの基準で合理的に行動しているって解釈する場合にしか、彼らが言語を持っているとか、何か考えているとか、みなすことはできないだろう?」
「だから、言葉は持っていて、ぼくらにはその意味もわかるけど、でもぼくらとはまったく違う考え方をしている者、なんていないんだ。」
「そう。いないんだよ。いるかもしれないけど僕らにはわかない、なんてことに意味が与えられていないんだからね。」
「でもさ、子どもと大人の違いと同じで、意味が理解できるよになってからは、相手のまちがいやこちらの誤解がわかるようになるんでしょう?」
「うん。かんたんに言えばね、相手がほとんどまちがったことを言わない、って前提のもとではじめて、言葉の意味が理解できるんだ。そして、いったん意味が理解されたら、その意味体系を前提として、今後は相手がほとんど意味をまちがえないって前提のもとではじめて、考えや理解の違う点を確認することもできるってわけさ。」
「じゃあ、こう言えるね?相手がまともで言葉が違うだけなら、言葉の意味はわかるようになる。逆に、相手が気が狂ってるけど正しく日本語を使っているなら、考えていることや信じていることを理解することができるようになる。でも、もしだよ、相手が気が狂っていて、しかもまちがった日本語を使っているか、ぼくたちの知らない言葉を使っていたら、その人のしゃべってる言葉の意味も、その人が何を信じているかも、どちらも絶対にわかるようにならないってことになる?」
「そうなるね。いま翔太は「気が狂っている」って言ったけど、たとえば精神病患者で妄想を持ってる人に対して、精神科医はふつう、患者の言葉の意味を理解してはいないって前提で接するみたいだね。たとえば、患者が「私は地球防衛軍司令官だ」って発言したら、そいつはそういう妄想を持ってるって考えるんだ。その患者が『地球』とか『防衛』とか『軍』とか『司令官』とかいろんな言葉の意味は正しく使ってるって前提してることになるね。」
「ぼくが見た夢もそうだったなあ。」
「そうじゃなく解釈することもできるよ。道を聞かれて『日が沈むまで待てば、・・・・・・』って答えた警官は、その他の点ではまったく正常なんだけど、『日が沈む』とか、自分が使ってる言葉の意味をぜんぶ理解してた、っていうふうにね。どういう場合のどの段階でも、どこまでを意味に割り振ってどこまでを信念に割り振ったらいいかは、決められないんだ。たとえば、古代人とぼくらでは、むしろ言葉の意味の方が違うって考えられないかな?彼らが平らだと信じていたとぼくらが言ってる地球って、ほんとうにぼくらの言ってるこの地球なのかな?ぼくらは、地球は太陽系の一部で、太陽系は大きな恒星のまわりを回る惑星の集まりだと信じているね。もしある人がね、地球に関して、こういうことをひとつとして信じていないとしたら、その人とぼくらの間では、地球というひとつの同じものについて、それが丸いとか平らだとかいう点で信念が食い違っているってことすら言えないんじゃないかなあ?」(171~174ページより)

 ここで永井は全て理解と把握についてその照準を合わせるという意思疎通上での前提について語っている。それは何度も出てきたパラメーターセッティングなのである。しかしかなり重要なこととして精神疾患について述べている箇所では言葉の意味そのものではなく言葉の意味を伝達する状況的適切性についてと、言葉の意味が制度上で常識に結びついているということを示唆するように書いている。このことは第二章において私が永井について論じる上で極めて重要な事実であることだけをここでは述べておきたい。
 つまり言葉とは意味的な真理命題としての真偽だけではなく、意味を援用するという意思疎通上での状況的適切性、つまりそれを通して我々は相手の意を汲むということにおいて我々は使用している(それは殆ど自動的であるから一々そういう風には意識されないのだが)し、また信念においてある意味を理解することが信念全体を構成するものを前提にしているのだ。「意味体系を前提として、今後は相手がほとんど意味をまちがえないって前提のもとではじめて、考えや理解の違う点を確認することもできる」ということ自体が意味することが、意味を援用する意思疎通を可能とすることがそれ以前の信念の体系に依拠しているという制度上の言語命題について語っているのである。
 このような意思疎通上での言語命題を信念体系とか意味体系から考え直すという哲学的スタンスは言語哲学や分析哲学では別にそれほど奇異なことではないのだが、その心の経路を徹底的に再検証しようという意図において永井理論には極めて注目すべき態度がある、と言っていいだろう。
 まさにここに、私が永井のことを発生論としての言語構造に着目している、つまり意思疎通を前提とした哲学ではなく経験論的コミュニケーション懐疑論と私が名づけたように構造自体を問うスタンスを携えていると捉えたことの根拠があるのである。
 
 しかし中島はその部分で永井と決定的に異なっている。何故なら一つには言語行為発生論的な視座から中島は哲学命題を進展させるという手法を全く採っていないからである。
 再び長くなるが、永井との論理命題的志向性の違いを鮮明化するためにも、同時に中島の「人生、しょせん気晴らし」<「統覚」と「私」の間>中の 構成主義の語り方と残された問題 をここに記載しておく必要があるだろう。

 カントは、たしかに「統覚」を「根源的(ursprunglich)」とか「純粋(rein)」と呼んでいる。だが、ここで注意しなければならないが、このことはそのような「根源的かつ純粋な自我」が個々の「経験的自我(具体的な私)」に存在論的に先行して「ある」という意味ではない。私を探求していけば、この根源的自我に行き着くという意味ではない。少し前に自分の意志でもないのに地上に産み落とされ、もうじき何もわからないまま死んでいかねばならず、そのあいだも日々足を引きずるように生きている虚しいこの私の「うち」に「統覚」という名の「ほんとうの私」がいる、というわけではない。
 統覚が根源的であり純粋であるのは、ただ説明の順序として第一に来るというだけのことである。説明において先行することは、けっして存在論的に先行することではない。むしろ、説明において先のものは、説明において後のものから、はじめてその存在を獲得するのだ。これが、カントがすっぽり捕らえ込まれている「構成主義(Konstruktionisumusu)」の基本構図である。
 構成主義においては、まず抽象的な原点(統覚)を定め、その乏しい原点がしだいに具体性の衣をまとって「受肉化していく」という一種の擬似発生論的説明をとる。そのさい「より先のもの」が「より後のもの」より論理的に先行するという論法を採るが、「論理的」とは「説明の順序として」という意味にほかならない。はじめから、「私のあり方」には、自己触発による内的経験の構成能力がなければならないことをカントは知っていたが、構成主義の枠内に留まったがゆえに、説明の順序として、まず統覚を立て、次にそれが内省を触発する、という説明方式をとらざるをえなかっただけなのである。
 だが、これで話が終わったわけではない。ここでわれわれは、ふたたびヒュームの「開かれた問題」にぶち当たる。じつは、このすべてを認めても、統覚が内官を触発するという構造ことが「私である(sun)」と論理的必然的に言えるわけではないのだ。言いかえれば、「現に体験したこと」を抉り出し、それを機軸に内的経験を構成する能力こそが、「私」というあり方にとって根本的であるという判断は、デカルトのように、明晰かつ判明な精神の直覚によるものではない。
 このすべては、何の前提もなく、ただわれわれが明晰かつ判明に思考することから出て来るわけではなく、いわば一つの人間観から出てくる。それは、人間とはみずからの自由意志によって現になしたことについて責任を引き受けなければならない、その責任の主体としての「人格(Person)」でなければならない、という人間観である。私が責任の主体であるためには、まずもってみずから現になしたことをほかの事柄から区別して抉り出す能力、すなわち自己触発の能力がなければならないのだ。こうして、カントの場合、自己触発をめぐる認識論的自我論はそれだけでは完成しえず、責任主体としての「私=人格」という実践的自我論に支えられてはじめて完結するものなのである。(文藝春秋刊、125~127ページより)

 ここに示されているように端的に中島は言語習得された以後の思惟能力を持つ大人から考えた存在者としてのみ全ての哲学へと対峙している。何故そうであるのかと言えば、一つには彼自身の人間的資質によってそうしているとも言えるし、別の観点から言えばそれは彼が哲学を始めた動機にも関わるであろう。またここで強調されている自由意志と責任主体という考え方も極めて哲学者中島を理解する上で重要な概念である。それらのことは第三章において示すつもりである。
 今回から後で触り程度に導入させていく「後悔と自責の哲学」における中島の「自責」とは、極めて彼の哲学を理解する上で常用なキーワードである。それは今挙げた引用文の中では「「現に体験したこと」を抉り出し、それを機軸に内的経験を構成する能力こそが、「私」というあり方にとって根本的である」(デカルト的ではないという意味で)という部分に明瞭に示されている。これはカント的責任論を考究する哲学者としてのスタンスとして明快な主張である、と言っていいだろう。だからこそ中島は倫理学者としてではなく道徳論者であり自我論者足り得るのだ。
 それに対して人間的には自責の念も持ち合わせているのであろう永井においては、少なくともその論理命題的な意味では決して過大にそれを扱わない(「なぜ人を殺してはいけないか」や「ルサンチマンの哲学」においてさえ永井は自責という観点から論じているという風には私には思えないのであるが、そのことについては別の機会に論じようと思っている)。つまりこの部分こそが中島と永井との間での命題上の決定的相違点なのである。
 中島は端的に内的行為動機ということを極めて重要視している哲学者である。それはどんなに常識とか社会倫理に対して懐疑的であれ、とどのつまり人間(中島にとっての人間に子どもは含まれないし、基本的に成人以上の大人である)の意思疎通上でのメッセージ伝達性における信頼が基本にあるということを意味する。
 それに対して永井は基本的に大人による思惟全体に対して一定の懐疑を持っている。そしてその懐疑から全ての哲学(命題)へと対峙しているのである。そのことは彼の「<子ども>のための哲学」における考え方によって示されている(そのことについては別の章において詳述する)。だからこそ永井にとって言語習得を巡る言語発生論というものが重要な論理命題となっていくのである。
 従ってこれまで述べてきたこと全体からそれなりの結論をここで示すとすると、中島が道徳を論じる時に彼にとって必要となることとは、自我を示すためにその事例が相応しいか否かということに尽きるのである。何故なら彼は私とか世界とか以前にまず、自我こそがそれらを構成する、と考えているからである。端的に自我とは極めて言語的思惟と密接である。中島が若き日よりカントを研究主題として学位論文を取ってプロ哲学者としてのキャリアをスタートさせたこともこの彼のスタンスを考えれば極自然であると言えるであろう。
 しかしかなり重要な点において中島は歴然とカントと異なっている。それはカントにとって言語というものは明らかに世界において存在する、と考えていると思われるからである(そのことについても別に章を設けて論じる)。つまりその点を考慮に入れて考えるとカントは中島のように言語習得された以後の大人の認識を通して哲学を考えていたのとは決定的に違うということになるのである。つまりカントは端的に中島がそうであるような意味では決して自我論者ではない。しかしにもかかわらず極めて中島のカント解釈はかなりある部分ではユニークかつ適切である(そのことに関しても新たに章を設けて論じる)。
 しかし永井は全くその点異なる。彼にとって世界とはやはり厳然と私や私の感性(とは言え彼は一切「私の感性」という記述をしていない)以前に世界が存在すると信じているからである。だからこそ彼は<私>というものを世界と切り離して考えることが出来たのである。永井にとって「なぜ意識は実在しないのか」における思考実験の全てもそのことを顕著に示している。彼が現象的と呼ぶものこそ私的言語を可能化する「ある特定の身体に帰属した」私である。しかしそういう思惟が可能であるのは、世界というものがまずア・プリオリに存在し(実在しと言ってもよい)その中に個というものが存在すると捉えることなしには成り立たない。もし仮に永井が、世界や身体が私によって作られていると真剣に考えていた(中島にはそういう部分がある。例えばそれは「孤独な少年の部屋」における中島が中学生から高校生までの間にかなり綿密な体育や技術などに関するメカニズムの図を描くことが得意で、現実の作業や運動よりもそれらに対する観念的なメカニズムの図示自体に関心があったことの告白からも読み取れる。)なら、彼は世界や身体と私を切り離して<私>という概念を提出することなど出来なかったに違いない。永井にとって世界とはあくまでア・プリオリに私以前的に存在し、だからこそ<私>をもって対峙すべきものなのである。つまりその部分において永井哲学は寧ろヘーゲルやハイデッガーと隣接しているのである。そのことを知る上で我々は永井の時間論に着目しなくてはならない。それは第六章において詳述する。
 その意味では「対話のない社会」や「うるさい日本の私」あるいは「人生に生きる価値はない」などの著作で対話の重要性を伝導する中島にとって言語とは媒介であり、一つの有効な武器である(言語の認識論)。しかしそれに対して永井にとって<私>意識を発生させるものとしての言語は不可解な考察対象なのである(言語の存在論)。その双方の哲学動機的理由は第三章において詳述することとして取り敢えずそう結論しておくと、中島はその言語観からすれば確かに現代哲学的視座とは異なった哲学者のように一見見えるが、実際彼はその言語観以外の全ての哲学メソッドは多く分析哲学に負っていて、その事実は逆に論理考究的メソッドの部分が分析哲学的言語観を持っているにも関わらず、生命時間論的な視座で現象学的な永井と丁度反転関係にある、と考えることも理に敵っているのではないだろうか?

 そのことを理解する上で興味深いことには寧ろカント、カントとカントに拘っている中島とは逆にあまり多くカントについては語らない永井の方こそ、カントの「純粋理性批判」において幾つか永井哲学とのスタンス上での共通点を見出すことが可能であると私には思われる。
 それは「純・理」の 第二版 序 Ⅹにおける次の箇所である。(世界の大思想10、カント(上)純粋理性批判 高峯一愚訳、河出書房新社刊)

 ところで、これらの学のうちには理性が働いているはずである以上、それらには何らかの先天的認識が行われていなければならない。そしてこの理性の認識は、二つの仕方のいずれかによってその対象に関係せしめられる。すなわち対象とその概念(それが外から与えられねばならない)とを単に限定するだけか、それとも対象をなお現実化するかである。前者は理性の有する理論的認識であり、後者はそれの実践的認識である。これら両認識について、その多少にかかわらず含まれている純粋な部分、すなわちその認識において理性がまったく先天的に自己の客体を限定するような部分が、あらかじめ論ぜられねばならず、他の起源から生ずるようなものをそれと混淆してはならないのである。なぜなら、もしわれわれが盲目的に収入を消費して、後で家計がゆきづまった場合にも、収入のどの部分が支出をきりつめなければならないかを見わけることができないとすれば、それは悪しき家計というほかはないからである。
 数学と物理学とはともに理性の理論的認識であり、両者はその客体を先天的に限定すべきものである。前者はまったく純粋であり、後者は少なくとも部分的には純粋であるが、部分的に純粋であるときには理性の認識起源とは別の認識起源の基準にも、従うのである。

結論的に言えば、永井の言う<私>とは端的に何故私は他の人間ではなく永井なのかという問いによって成り立っているので、その<私>を言語記述的に、あるいは意思疎通上での言述的には私一般へと収斂させる。つまりその時私はあくまで私自身の現象性とか意識やクオリアといった固有の在り方を一旦棚上げにする必要がある。その場合の棚上げされた後の私という記述は、ここでカントの言う理論的認識による私であるので、「対象を限定する私」である。対象を限定するとは、端的に様々な述語が成立する私を指示する、名指す他の私以外の全ての他者と区別するという指示性にのみ収斂させる私である。学問においてそれを遂行するとカントが考えるものこそ数学であり物理学である、というわけだ。
 それに対して、対象を現実化する認識をカントは実践的認識と呼んでいるのだが、これを私に援用すると、「対象を現実化する私」となるが、まさにこの部分にこそ中島は感性のエゴイズムと呼ぶべきものが該当する。
 しかしこのカントの一節に関する限り、「対象を現実化する私」はあくまで「対象を限定する私」に支えられていると考えてよい。従ってこの一節の主張は永井哲学倫理命題を縮約したものと考えても間違いではないだろう(そのことについては次回以降詳述していくこととしよう)。
 
 ここで中島の自責論に入っていこう。まず基本的に中島の時間論を主軸にした著作から見た経緯について考えておこう。
 中島は次のような流れにおいて時間論を発表している。

 「カント時間論構成の理論」(1987)理想社~岩波現代文庫「カントの時間論」
 「時間と自由 カント解釈の冒険」(1994)晃洋書房~講談社学術文庫
 「「時間」を哲学する 過去はどこへ行ったのか」(1996)講談社現代新書
 「空間と身体 続カント解釈の冒険」晃洋書房(2000)
 「時間論」(2002)筑摩書房~ちくま学芸文庫
 「カントの自我論」(2004)日本評論者~岩波現代文庫
 「悪について」(2005)岩波新書
 「後悔と自責の哲学」(2006)河出書房新書

 この中には必ずしも時間論だけが主軸ではないものも入っている(例えば「悪について」)が、実際中島の論理命題から考える時に、それらの著作が時間論的視座と密接に関わっているので、欠かすことが出来ないので列挙した。
 とりわけ近年の中島の哲学論理命題や、エッセイ、小説と言った多彩且つ多才な活動を顧みる時明らかに「カントの自我論」や「悪について」が「時間論」で一度結論を時間論的に出していた中島自身のその後の時間論とそれ以外の全ての哲学的命題の綜合において展開上の指針となるように作用していったことは否めない。そして最後の「後悔と自責の哲学」こそ、中島の論理命題における時間論そのものを自責において決定付けるという哲学志向性において試みている著作なのである。
 取り敢えず「後悔と自責の哲学」中で要旨を簡潔に叙述している導入部の文章をここに引用してから詳述することとしよう。少し長いが今後このテクストに対して解釈していく上で重要な導入部なのでここに拘って区切ってその都度解釈をしつつ、全文掲載することとする。

「そうしないこともできたはずだ」という根源的思い

「そうしないこともできたはずだ」という私の思いは、そのとき私が「自由であった」という思いとリンクしています。とはいえ、ここで頭の切り替えが必要なのですが、私は自由であるがゆえに、後悔するのではない。あのとき私がAを自由に選んだから、Aを選ばないこともできたはずだ、と後悔するのではない。まったく逆なのです。私はあのとき「Aを選ばないこともできたはずだ」という信念を抱くからこそ、私はAを自由に選んだと了解しているのです。つまり、自由とは、みずから実現したある過去の意図的行為に対して、「そうしないこともできたはずだ」(他行為可能)という信念とともに生じてくる。この信念は根源的であり、ほかの何ものにも由来するのではない。そして、本書では「そうしないこともできたはずだ」という信念を_日常の使い方より広い意味を含んでいることを承知のうえで_「後悔」と呼びたいのです。日常的には、われわれはみずからなしたかなりの意図的行為に対して「そうしないこともできたはずだ」という信念を抱きつつ、ひとりでに忘れていき、あるいは自分で忘れようと努力して、それにこだわることはない。だが、こうした操作をいくらしようとしても、どうしても「そうしないこともできたはずだ」という叫び声がからだから消えないことがある。そのとき、われわれは「後悔にむせぶ」のですが、こういう強度の後悔から、「ああまたやっちゃった」と舌を出して苦笑いする程度の後悔まである。しかも、過去における自分のある意図的行為(H)に対する後悔とは、一度後悔したら固定されるのではなく、われわれが人生の経験を重ねていくにつれて、Hに対する態度もクルクル変わってくる。Hをはじめ激しく後悔したのだが、後に「これでかえってよかったのだ」と思うことにすらあり、逆にはじめはなんともなかったのだが、後の人生の数々の出来事の遭遇によって、Hが次第に大きな意味を担ってきて、激しく後悔するようになることもある。すなわち、Hに対する後悔とは、それが客観的にいかなるものであったかを確定することに留まらない。さらに、Hをどう解釈するか、さらにはこれからどういう人生を渡っていくべきか、という考察にまで及んでおり、その意味で過去に対する態度一般にかかっているのです。したがって、後悔とは過去を解釈することそのことであり、その解釈を通じて未来を形成することでもあるのですから、まさにわれわれの根源的な精神活動というわけです。(11~12ページより、河出書房新社刊)

私はこのパラグラフにおける主張に何ら異議はないし、かなり適切に未来への意識の志向性の本質を突いているように思われる。とりわけ「過去における自分のある意図的行為(H)に対する後悔とは、一度後悔したら固定されるのではなく、われわれが人生の経験を重ねていくにつれて、Hに対する態度もクルクル変わってくる」ということと、「Hに対する後悔とは、それが客観的にいかなるものであったかを確定することに留まらない」そしてそれ以後の「Hをどう解釈するか、さらにはこれからどういう人生を渡っていくべきか、という考察にまで及んでおり、その意味で過去に対する態度一般にかかっている」こと、これは端的に未来自体が過去の投影であるとする中島の思想を遺憾なく示すものであるとも言える(このことに関しては次回以降「時間論」を中心に粒さに見ていくこととする)。そして更に「後悔とは過去を解釈することそのことであり、その解釈を通じて未来を形成することでもあるのですから、まさにわれわれの根源的な精神活動というわけです」はまさにその通りであると言えよう。つまり我々にとって想起される過去自体への解釈の一つとして後悔が意味づけられるという主張は説得力を持つように思われる。続きへと行こう。

 こうした根源的な精神活動としての後悔に「自由」という観念が呼応しており、われわれは後悔するがゆえに、自由という概念を精巧にこしらえあげるのです。過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており、その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります。この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎないのです。(12から13ページより、以下同)

 問題はここからである。特に最後の「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」である。 
 その前に記述されている「過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており、その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります。この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。」が重要な方向付けとなっている。
 だがよく考えてみよう。「「過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており」は全く正しい。だが「その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります」とはあくまで現在から過去への思いである。それは端的に過去そのものではない。故に次の件の結論「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」を叙述する「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない」とは論理的に矛盾しないだろうか?つまり過去自体ではない現在から過去への思い自体を糧にここでは結論を導き出しているものの、「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない」を言いたいがために過去自体とそれに対する思いを一緒くたにしていると言われても仕方がない論説をここでは試みているとしか言いようがないからである。
 また最後の結論「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」には甚だ論理的飛躍が含まれていると言わざるを得ない。何故なら過去自体は既に存在していないものの総称であるとすれば、中島は前文である「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。」(仮にこのことを過去に対する感情を度外視しては過去性を論じることが出来ないと好意的に解釈していったとしても尚)と共に、ここで完全に過去自体が存在し得る(実在的に)と捉えていることになるからだ。つまり「単なる「過ぎ去った時」としての過去」以外に何か実在する過去を言いたいがために中島はここでこう述べていることとなる。しかし更に次の論述においては飛躍が見られるのである。続きへと行こう。

 もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう。われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません。動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから。しかし、人間にとって幸か不幸か、過去はほとんどすべて思いどおりではなかった。禍の連続でした。だからこそ、われわれはかつて生じた禍の原因をつきとめ、同じ禍を避けるためにその原因を取り除くかたちで未来を操作するのです。
 未来を操作するのも、つまるところわれわれが「そうしないこともできたはずだ」と後悔するからなのです。しかし、どんなに後悔しても、われわれは過去をさかのぼって変えられないことを知っている。だからこそ、せめて未来に同じ禍を呼ばないように操作するのです。(13~14ページより)

この二つの段落における主張においてまず、「しかし、人間にとって幸か不幸か、過去はほとんどすべて思いどおりではなかった」以降の全文は全く哲学的に的を得ているし、正論であると言えよう。例えば未来への意志自体が挫折によって規定を受けているという考えはジョン・デューイなども示していたし、哲学命題論的にも極めて重要であると思われる。
 問題はそれより前の記述である。「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう。われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません。動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから」における最初の文こそがここで問われるべき筋合いのものである。
 後悔がなければ過去もない、という考え自体は極めて魅力的である。それは同じ中島による「私の嫌いな10の人びと」における<嫌いな人びと>において「「わが人生に悔いなし」と思っている人」をより説得力あるものとするために敢えて規定したとも思われる論理である。
 しかしよく考えてみよう。まず基本的に我々にとって過去とは記憶すること(能力)と、その記憶を想起する能力とによって表象として存在する(実在としてではなく)と言える。
 しかし想起は記憶することの出来る全てに対してなされるのではない。例えば我々は実際に経験したことのほんの一部だけを想起する。
 例えば私が友人と伊豆へ旅行へ行くとしよう。そして三日間の旅行の後で私は友人と訪れた観光地とかホテルとか対話内容を想起することが出来る。しかしそれらのエピソード記憶の場面、場面での想起とか内容における概要の想起は完全ではない。従ってもしその旅行で視覚的に確認したことの内でもかなり大半のものを我々は再びその訪れた観光地に行った時に「そうだ、あそこにはあんなものがあった」とか、何か建物の隣にあった別の建物を間違えて記憶していて、後で訪れた時に「そうか銀行の隣がコンビニではなく、レストランがあったのか」と想起し直すこともある(つまり思い出す)し、また友人との対話を一部録音していたとすれば、後でそれを聴く時、それを聴くことなく想起したとおりではなかったこと、つまりそれを聴くまで想起したとおりの話の順序ではなかったことなども必ずあるのである。
 つまり想起自体は過去の確証的実像を確認することが出来る場合には、それを確認して想起される過去の実像と、それ以前の想像において想起している間にある齟齬を含め、要するに概略的なこと(それは概ね間違いはないことが多い)とそうではないことの双方が含まれる。だから過去自体を実在としようが、表象としようが、端的に後悔される意味内容(行為、言語行為)はその全体からすれば一部に過ぎない。
 つまり中島のここでの論述は明らかに後悔するための素材としての行為事実に過去の全てを収斂させ過ぎているのである。だからそれは文学的に、あるいは叙述論的には魅力的ではあっても論理的には矛盾があるのである。
 この中島による論理的飛躍には「どうせ死んでしまうのに何故今死んではいけないのか」という問いをしばしば提出する哲学者に固有の哲学論理命題自体へと誘引する内的な神秘的誘い(Mysterious Guidance<ミステリアス・ガンダンス>と今後呼ぶこととしよう)自体を論文作成上、含ませてしまっていると言ってよい。
 これはある意味では哲学者の陥る陥穽である。過去自体は後悔を含むことも多いものの、やはりそれは過去事実における部分にしか過ぎない。過去自体は後悔という心理以外のものだけによって現在意識が成立していてさえ存在し得るのである。端的に想起した時に想起されること(内容、事実)自体に、後悔やその他全ての感情(素晴らしかったとか、楽しかったとかの)を含まないことも多く含まれるのだ。
 従ってこのパラグラフの前半の文章における「われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません」は、私は知らないが、恐らく過去の何らかの哲学上での論理命題から引用した考えであるということは推察出来るし、その記述内容自体も全く論理的にも哲学論理命題的にも的を得ているし、続く「動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから」も動物に一切感情を認めないタイプの形而上学者(それは脳科学者にしてもその他の生物学者においても一つの捉え方<例えば意識の定義の仕方として>としては認められるものである)としては当然の論理(そのこと自体への疑念をここでは棚上げにしておくとすれば)としても尚、「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう」という部分は論理命題的にも、真理的査定においても直ちに真である、とは決して言い得ない論理であると言えよう。
 次回はこの「後悔と自責の哲学」と「時間論」を中島における解析テクストしつつ、永井に関しては彼固有の<私>論を中心に諸テクストから抜粋などをして彼独自の独在論的見解を、社会契約的視点から考えてみたい(そのことが第二章の命題へと誘引することとなる)。この二人の際立った活躍をする哲学者にとっての道徳の在り方に対するスタンス上での相違点を次回は示していこうと思う。尚本論においては際立った二人の哲学者のスタンス上での相違点をしばしば取り上げるが、こうして二人を並べて論述しているのだから、当然二人には際立った共通点も多くあるのである。そのことに関しては第九章 反抗的資質を巡る二人の哲学者の姿 において詳述する予定である。(つづく)