私とは何かは哲学永遠不変のテーマだが、日本人の二人の哲学者がこの命題を全く違った形で示している。中島義道氏と永井均氏は共に私がある時期出会った哲学者である。出会うとは僭越だが、出会いは師弟という形式的レヴェルを遥かに超え得る。何故他にも大勢哲学者はいるのに、この二人に私が啓発されたか?それをこのブログで究明しつつ来場者と共に私や私であること、私の感性について考えたい。このブログは二人の哲学者に共鳴する全ての人たちによる創造の場である。

Thursday, January 7, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑦

 今回を含め三回ほどで一度この第一章の遠大な命題の区切りを一旦つけておき、その他のこの二人の哲学者とその哲学思想、哲学的感性、社会的ロールといったことを詳細に分析し私自身の主観に沿って位置づけることをするプロセスを経て後半で再び同じタイトルの章を何度かに分けて道徳と倫理の問題に取り掛かることにする。
 従って今回を含め三回ほどは触り程度の二人の哲学者の思想的傾向と資質に対する取り敢えず今後論議を進めていくために必要なこととしての暫定的結論と見做して頂きたい。
 また分量の関係から今回から次回前半は主に中島を、そして次回後半から次々回前半は永井を中心に論を進めていくこととする。

 前回の後半で述べた中島の「後悔と自責の哲学」中導入部における基本的論理矛盾について少しだけおさらいをしておこう。
 私自身の時間論的考えでは過去は決して中島による件のテクストで示されているような意味で後悔によって形成されているのではない。その証拠にもしロボットにせよ、ゾンビにせよ意識が皆無な存在者がいたとしても、彼にとって過去とは実在したこと全般に対する記憶と認識が未来への行動的な意志全般に必要であろう(尤もこの問題は、意識に対する定義の問題と、存在者をゾンビやロボットにまで拡張してもよいかという価値規範的、倫理的命題をも含むこととなるので、私の別のブログにおいて先に示すことになるだろうし、又本ブログではかなり終盤に近づいてきた時点で取り扱おうと思っている)。そして私たち自身もまた、ある過去事実や過去のデータ全般において別段感情的意味づけがなくても、何ら差し障りのない多くのデータが未来行動における指針として役立つということはあり得る。
 例えば私は京都が好きでしばしば訪れるが、以前の旅行で行く予定を立てていたが、いけなかった場所には今度必ず行こうと決意することが出来る。
 これは端的にもし必ずその時に行く決意があったならば、確かに中島の言うように後悔によって次回行くことにしようと決意することを誘引しよう。しかし必ず行くつもりでいた場所は一応踏襲出来たとして、尚時間的、体力的に余裕さえあれば行こうと思っていたが、現地に行ってみて物理的にも精神的にも行くことが不可能であった場所へ訪れられなかったことまで私はそれを後悔の中に組み込むことは出来ない。
 従って私たちにとって過去は後悔を持って解釈することによって未来へと橋渡しする部分があったとしても、それはあくまで部分であり、全体ではないということだけをここで強調しておきたい(それだけでなく仮に一切の後悔がなかったとしても尚、我々には未来においてある場所へ移動するために必要な土地に対する知識とかもっと単純な知覚判断的な意味合いからも、それ以外の多くの知識にも記憶すべき過去事実、過去の経験的記憶が必要である)。
 また過去論における過去を実体とするか、只単なる表象とするかということにおいては、恐らく次のような反論が用意されるものと思われるので考えてみたい。
 それは表象もまた一つの実体であり実在であると捉えられないかということである。それは確かに一理ある。しかし少なくとも前回私は一応実在を物体として存在するもののことに限定し、表象を脳内の思念においてのみ実在することと区分けしておいたのだ。しかしこの表象を実在と等価に扱うか否かという問題は、意味や感情、あるいは言語などを実在的に扱うかという問題をも誘引する命題なので、そう簡単に結論づけることが出来ない。従って一応実在を物質的に外在的に存在するものとして、表象を精神的、心理的、脳内思念的なものという単純な区分けをここで採ることを宣言しておく。しかしいずれ意味、感情、言語などを実在レヴェルで捉えることも可能であるというレヴェルでも考えていくつもりなので、その時までは暫くは単純な論理で考えて頂きたい。

 しかし私にはこの中島の後悔と自責を絡めた過去論はそういった矛盾にもかかわらず、極めて魅力的である。何故なら確かに過去性そのものは、単純な行動を誘引するために把握され、解釈されるというゾンビにおいてもロボットにおいても必要なデータであるに過ぎない部分を持っていても尚、精神的には我々にとって極めて未来意志へと直結する決意、決心を誘引するような、要するに過去全体を理想値とか価値判断的査定において、それを上回っているか(幸運であったし、自らも努力した)、それとも下回っているか(不運であったし、自らも後悔と自責の念を禁じ得ない)ということにおいて判断していくことが極めて日常的には多いからである。つまり中島の 過去=後悔による要請 という考え方はある意味では語彙規定的に不完全であることを承知で捉えれば、明らかに本意的には過去という語彙を 過去解釈 と捉えてもいいものだからである。
 後悔とは一つの願望である。人間が知性が進化してきたのは、自然が付与した偶然であるという唯物論的生物学的常識的観点を採用すると、それは決して我々による願望が進化させてきた、ということにはならない。この考えは哲学者の多くの賛同してくれる考えであろう。何故なら我々はいつかは必ず死ぬ(尤もこれも哲学的に言えば決して正である、とも言えない部分があるのだが、取り敢えず現実的にはそうである)ということ、そしてその時期は常に理不尽に我々の願望とは無縁に訪れる、ということを考えれば説得力があるだろう。拠って前回取り上げた中島による「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう」という言説を、私なら次のように書き換えるであろう。
 「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去全体の解釈を全く違ったものとしてしか認識し得なかっただろう」
 ところでこの「後悔と自責の哲学」という著作物について一言述べておくこととする。
 中島の「孤独について」「うるさい日本の私」「醜い日本の私」「孤独な少年の部屋」等の諸著作に見られる一般的標準値的感性と著しく乖離した自己の感性への覚醒から、少年期から大人になって以降も含めて継続して受け、あるいは感じ続けてきた社会の矛盾の告発、あるいはそういった矛盾の中を生きることの哲学的洞察を示した諸著作全体の基本的なスタンスと、それをより哲学命題論的に客観的に分析した、という意味で「後悔と自責の哲学」は、中島の著作物中での代表作であるとか傑作であるとかいう評価とは別箇に中島義道という哲学者、エッセイスト、評論家、作家の考えを知る上で最適のテクストである(これ以外では第一回で取り上げた「悪について」である)。
 本章においてはこの「後悔と自責(今後省略してそう呼ぶこととする)」はA後悔 の2 までに留めて、残りの内容に関しては先述した後半の同一タイトルの別章において詳述していくこととする。

 さて細かく見ていこう。
 この本の中では、とりわけ 2  非意図的行為に対する後悔 中 後悔と過失 は重要である。後悔があるテレビ番組で紹介された車の中に排気ガスをホースで引き込んで自殺した父親に対して、息子が「自殺直前の朝、学校に行くときそのすぐ傍を通ったのに気がつかなかった。気がついていれば救えたかもしれない」と涙なららに訴える場面を見たことなどを持ち出して、自らの過失以外に多く後悔を生むことを先に示してから中島は

(前略)こうした後悔は、近代法(民法や刑法や商法)における(「故意」ではなく)「過去」に対する責任追及に対応します。
 近代法は、ほとんど瞬間的に発生する自動車事故や大企業の吐き散らす公害などを通じて、行為と結果のあいだに因果関係が明確に立証されない場合でも行為者の責任を認めるという無過失責任へと進んでいきますが、こうした流れは責任追及の終止点の性格をよく示している。つまり因果関係の始点としての心の状態がたとえ確定できなくても、依然として責任追及の態度は変わらないのです。このことからも、心の状態より責任追及のほうがより根源的であることがわかる。
 過去の段階に留めますと、責任追及の終止点をさすがに「自由意志=故意」と名づけることはないにしても、何らかの心の状態として認定しようとする。過失という心の状態は、先の少年の後悔に正確に呼応している。何らかの事故あるいは事件が起こったときに、それに「気がつかなかったこと」が過失とみなされるのですから。先にも挙げましたが、自動車の運転手が、道路の脇を歩く小学生の集団に突っ込んで数人を殺した(ないし怪我を負わせた)としたら、彼らに気がつくべきなのに気がつかなかったことが責められる。しかし、つい路上の野良猫をひき殺しただけなら、それに気がつかなかったことは責められない。
 また彼に生まれつき注意力が病的に欠如していても、それは彼が「気がつかなかったこと」を免責しない、「気がつくべき」こととは、個々の人間の注意力(それは恐ろしく異なっている)という事実とは別に、平均的人間として気がつくべきこと、つまりある人にとっては不可能に近いことでも、やはり気がつくべきことなのです。
 この事例からもわかるとおり、過失とはじつは心の状態ではなく、あらかじめ気がつくべき法益(歩行者)が決まっており、その法益侵害をしたときに(故意でなければ)自動的に「気がつかなかった」にみなされる社会制度にすぎないのです。
 この社会が、こういう論理を合理的なものとして容認しているかぎり、父親の自殺に「気がつかなかった」を責めつづける少年の心情もまた合理的なものとして容認されている。言いかえれば、この少年に対して「後悔をやめよ」という助言が現実的な力をもつのは、われわれがいかなる過失に対しても人を責めることをやめるときであり、これが実現されることは(少なくとも近い将来)絶対にありえないように思われます。(41~42ページより)

 実はこの部分はまさに第二章で詳述する永井の制度論とまさに通底する哲学命題である。私自身はここら辺を専門的に研究しているわけではないので、恐らく社会学においても文化人類学においても言語学や記号学においても、この制度論的な真理とはかなり重要なことなのではないかとだけは私にも判断出来る。そしてこのことは次回永井の倫理観について述べる時にも再び取り上げることとする。
 尤も中島が東大法学部出身でありそこからドロップアウトして哲学の道に踏み込んだという解釈を自己に対して位置づけている(「孤独について」「生きてるだけでなぜ悪い?」等によって告白されている)こと自体に内在する、しかし法学的知性を全く持ち合わせてはいないどころか、かなりの部分で彼の哲学の骨子を形成することに役立ってさえいることを証明するかのような 人格形成責任 で刑法学者の団藤重光氏のことを取り上げ(ここら辺の披露欲求の正直な誇示こそ中島の著述家としての性格を表わしている。永井なら恐らくこのような叙述は一切省略するだろうから)法学の存在根拠について触れた後、 「可能な」私の範囲 以降再び哲学本質論について触れている。(つづく)

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