私とは何かは哲学永遠不変のテーマだが、日本人の二人の哲学者がこの命題を全く違った形で示している。中島義道氏と永井均氏は共に私がある時期出会った哲学者である。出会うとは僭越だが、出会いは師弟という形式的レヴェルを遥かに超え得る。何故他にも大勢哲学者はいるのに、この二人に私が啓発されたか?それをこのブログで究明しつつ来場者と共に私や私であること、私の感性について考えたい。このブログは二人の哲学者に共鳴する全ての人たちによる創造の場である。

Sunday, January 3, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑥

 今回は少し哲学専門的(とは言っても難解であるということよりは寧ろ本質論的であると言ってもよいが)に立ち入って考えたいのだが、本論へと行く前に少し押さえておきたいことがあるので少し私的なことも述べよう。
 私は自分自身の努力不足もあるだろうし、運命的なこともあるのだろうが、殆ど全ての努力が報われないままに五十歳を迎えてしまったという観が人生に対してあるのだ。そしてこれから先徐々に老いていき、いずれ死を迎えるのだ、ということを自覚する時ある決意というか、ある心がけをしていきたい、と考えているのである。それは寧ろ死というものをあまり必要以上に否定的なニュアンスで捉えるのではなく、どんなに努力しても報われない人の方がずっと大勢いるこの世の中で唯一挫折や苦痛から開放させてくるものであると捉えるべきではないか、ということだ。 
 この考えは哲学者であるトーマス・ネーゲルも苦悩して考えていたことだが、全ての哲学的行為をこの死の恐怖、つまりそれは死自体が否定的に価値的に捉えられているということに起因しているのであるが、それを問い詰めること自体が哲学であるとしても、最初から前提として生だけを肯定的に捉える仕方自体を改めていくことも必要ではないかということだ。
 これはロボット工学者で脳科学の研究をされる前野隆司氏による幾つかの著作において繰り返し述べられていることとして記憶力だけを積極的に肯定的価値として捉えてきたこと自体を反省へと送り込むような考え、つまり忘却力、つまり物忘れをすること自体への価値的見直しとも共通した考えがあるように私には思われる。
 それは私自身が五十歳を超えて最近老いを肉体的に感じざるを得ないようになってきた時に、老い自体も否定的なだけでなく肯定的に捉える視点があってもいい、と考えられるようになったからである。
 だからあくまでこのスタンスは死自体を美化しようということでは決してない。基本的に生は素晴らしいこととは認めつつも、生自体ではあまりにも報われないようなことも多くあるという現実の前では哲学的にあたら死だけを遣り込めるようなスタンスだけが正しいとまでは言い切れないという視点も残しておくべきだ、という見解に拠るものなのである。この点において恐らく私自身の哲学的見解はいささか中島とは対立していくものと思われるので、敢えて最初に示したのである。
 
 さて哲学自体のかなり立ち入った考えとは本ブログにおいて取り上げてきている二人の哲学者のスタンスを見るだけでも十分理解することが出来る。
 例えば永井均は端的にかなり平明な文体において実はかなり難しい哲学命題を問い掛けているが、実際中島義道のように私生活に対する告白とか私小説的文章は一切発表していない。自分の子どもはやはり可愛いというようなことを僅かに述べているに過ぎない。
 それに対して中島は最近本格的小説も発表し既に刊行されている(「ウィーン家族」)。
 中島義道という著作家とは、第四章において詳しく取り上げるが、ある意味ではかなり出版界的現実に即応した社会的ロールを担っているということから、例えば彼自身の時間論を主軸に捉えるべきか、それとも差別論一般によって捉えるべきか、それともマイナスのナルシスと本人が命名しているようなある種のエゴイスティックな自我論的立場、あるいは感性のエゴイストと自らを位置づける固有の文化騒音問題の活動家としてのスタンスを貫く作家的立場から捉えるべきかという幾つかの方法的切り口が戦略的に用意されているように思われる。
 しかしそのことは同じようには永井均には通用しない。であるが故に逆に永井には中島ほど多く著作物を刊行してはいない(15冊)ので、その事実から、逆に些細な記述においてさらりとかわしているのにもかかわらず、よく考えてみるとかなりアナーキーなことも主張しているという部分を読み取る必要があるのだ。そしてそうすることによって逆に中島のかなり反社会的立場を鮮明にマニフェストしている部分の本質的性格とは「本当にそのような反社会性を中島義道は主張しているのだろうか」という懐疑論を招聘することにもなるのだ。つまりそのような認識再考にこそ本論の本質的意味があるのである。
 第十一章において二人の時間論に関しては詳細に分析する予定であるが、時間論に関してカントを多く取り上げている中島によるカントがかなりある部分ではヒューム的懐疑論に裏打ちされている、ということを私は本論で分析していってみたい(詳しくは次回以降に持ち越すことにしよう。)のであるが、一方哲学において「序の前のこの論文を書くこととなったきっかけについて」でも少し述べたが、本来哲学行為とはその論文などで述べられている記述における真理命題的な論理とか論理的主張における意味内容、論旨のおいてのみ示されるものではない。それらはあくまで一つの仕事としての成果であり結果ではあるものの、それらの真理命題へと誘引していった人生的な経路とか論文執筆者自身の人間的性格とか、資質、あるいは執筆背景といったことを全て無視してよいかと問われればそれはノーである、ということである。
 だからカントから多くを負っている中島の時間論にしても、実際にはその本質において彼自身に固有の哲学動機ということが介在している、という切り口で考えることも又一つの正当な考えである。
 
 さて具体的な記述に即していこう。
 永井の「翔太と猫」は端的にかなり哲学命題が濃縮されて鏤められている名作である。事実著者自身もそのことを認めていて、文庫版あとがき では自画自賛するようなことを述べているし、ちょっと場所は忘れてしまった(思い出したり発見したりしたら後で記述することとする)が、この本を哲学命題的水準においては他の専門的書以上であるということを述べている。前回の続きをまずここに再び掲載しておこう(前回の引用文を参考にして頂きたい)。

「他人の言っていることを理解しようとするときも、それと同じこと?」
「言っていることだけじゃなくて、やっていることの理解だってそうだよ。理解するためには、相手の中に理や真を見つけることが要求されるんだよ。」
「だんだんつながりがわかってきたよ。だから、たとえば、ぜんぜん違う言語をしゃべっている人たちも『ゴミや糞尿はきれいだけれど花や夕焼けは汚い』って意味のことを言うことはありえないってことになるんだね?それが意味の理解の前提だから、ひょっとしたらほんとうはそう思っているかもしれないってことさえもないんだ!」
「そうさ、相手が自分を真実だとみなすものを真実だとみなす、と前提するんじゃなくちゃ、意味の理解は始まらないんだ。相手のまちがいを指摘したり、相手の意見に反対したりできるためにも、それが前提になるんだよ。一致して受け入れたり、一致して拒否したりすることがらが多くなればなるほど、ぼくらは相手の言うことがよく理解できるようになるからね。同じ言葉をしゃべるときだって、いつもそうしているよ。だから、『わかる』って言い方で『賛成する』ってことをあらわせるんだよ。こういうふうにね、相手の言っていることがほとんど正しくて理にかなってるって前提する態度は、相手に同情心をもって接することだから『チャリティ原則』って言われてるんだ。この原則はね、ひょっとしたらまちがっているかもしれないような原則なんじゃないんだよ。そうでしかありえない原理なんだ。たとえば動物の言語の場合だってそうだよ。蟻や蜂蜜がぼくらの基準で合理的に行動しているって解釈する場合にしか、彼らが言語を持っているとか、何か考えているとか、みなすことはできないだろう?」
「だから、言葉は持っていて、ぼくらにはその意味もわかるけど、でもぼくらとはまったく違う考え方をしている者、なんていないんだ。」
「そう。いないんだよ。いるかもしれないけど僕らにはわかない、なんてことに意味が与えられていないんだからね。」
「でもさ、子どもと大人の違いと同じで、意味が理解できるよになってからは、相手のまちがいやこちらの誤解がわかるようになるんでしょう?」
「うん。かんたんに言えばね、相手がほとんどまちがったことを言わない、って前提のもとではじめて、言葉の意味が理解できるんだ。そして、いったん意味が理解されたら、その意味体系を前提として、今後は相手がほとんど意味をまちがえないって前提のもとではじめて、考えや理解の違う点を確認することもできるってわけさ。」
「じゃあ、こう言えるね?相手がまともで言葉が違うだけなら、言葉の意味はわかるようになる。逆に、相手が気が狂ってるけど正しく日本語を使っているなら、考えていることや信じていることを理解することができるようになる。でも、もしだよ、相手が気が狂っていて、しかもまちがった日本語を使っているか、ぼくたちの知らない言葉を使っていたら、その人のしゃべってる言葉の意味も、その人が何を信じているかも、どちらも絶対にわかるようにならないってことになる?」
「そうなるね。いま翔太は「気が狂っている」って言ったけど、たとえば精神病患者で妄想を持ってる人に対して、精神科医はふつう、患者の言葉の意味を理解してはいないって前提で接するみたいだね。たとえば、患者が「私は地球防衛軍司令官だ」って発言したら、そいつはそういう妄想を持ってるって考えるんだ。その患者が『地球』とか『防衛』とか『軍』とか『司令官』とかいろんな言葉の意味は正しく使ってるって前提してることになるね。」
「ぼくが見た夢もそうだったなあ。」
「そうじゃなく解釈することもできるよ。道を聞かれて『日が沈むまで待てば、・・・・・・』って答えた警官は、その他の点ではまったく正常なんだけど、『日が沈む』とか、自分が使ってる言葉の意味をぜんぶ理解してた、っていうふうにね。どういう場合のどの段階でも、どこまでを意味に割り振ってどこまでを信念に割り振ったらいいかは、決められないんだ。たとえば、古代人とぼくらでは、むしろ言葉の意味の方が違うって考えられないかな?彼らが平らだと信じていたとぼくらが言ってる地球って、ほんとうにぼくらの言ってるこの地球なのかな?ぼくらは、地球は太陽系の一部で、太陽系は大きな恒星のまわりを回る惑星の集まりだと信じているね。もしある人がね、地球に関して、こういうことをひとつとして信じていないとしたら、その人とぼくらの間では、地球というひとつの同じものについて、それが丸いとか平らだとかいう点で信念が食い違っているってことすら言えないんじゃないかなあ?」(171~174ページより)

 ここで永井は全て理解と把握についてその照準を合わせるという意思疎通上での前提について語っている。それは何度も出てきたパラメーターセッティングなのである。しかしかなり重要なこととして精神疾患について述べている箇所では言葉の意味そのものではなく言葉の意味を伝達する状況的適切性についてと、言葉の意味が制度上で常識に結びついているということを示唆するように書いている。このことは第二章において私が永井について論じる上で極めて重要な事実であることだけをここでは述べておきたい。
 つまり言葉とは意味的な真理命題としての真偽だけではなく、意味を援用するという意思疎通上での状況的適切性、つまりそれを通して我々は相手の意を汲むということにおいて我々は使用している(それは殆ど自動的であるから一々そういう風には意識されないのだが)し、また信念においてある意味を理解することが信念全体を構成するものを前提にしているのだ。「意味体系を前提として、今後は相手がほとんど意味をまちがえないって前提のもとではじめて、考えや理解の違う点を確認することもできる」ということ自体が意味することが、意味を援用する意思疎通を可能とすることがそれ以前の信念の体系に依拠しているという制度上の言語命題について語っているのである。
 このような意思疎通上での言語命題を信念体系とか意味体系から考え直すという哲学的スタンスは言語哲学や分析哲学では別にそれほど奇異なことではないのだが、その心の経路を徹底的に再検証しようという意図において永井理論には極めて注目すべき態度がある、と言っていいだろう。
 まさにここに、私が永井のことを発生論としての言語構造に着目している、つまり意思疎通を前提とした哲学ではなく経験論的コミュニケーション懐疑論と私が名づけたように構造自体を問うスタンスを携えていると捉えたことの根拠があるのである。
 
 しかし中島はその部分で永井と決定的に異なっている。何故なら一つには言語行為発生論的な視座から中島は哲学命題を進展させるという手法を全く採っていないからである。
 再び長くなるが、永井との論理命題的志向性の違いを鮮明化するためにも、同時に中島の「人生、しょせん気晴らし」<「統覚」と「私」の間>中の 構成主義の語り方と残された問題 をここに記載しておく必要があるだろう。

 カントは、たしかに「統覚」を「根源的(ursprunglich)」とか「純粋(rein)」と呼んでいる。だが、ここで注意しなければならないが、このことはそのような「根源的かつ純粋な自我」が個々の「経験的自我(具体的な私)」に存在論的に先行して「ある」という意味ではない。私を探求していけば、この根源的自我に行き着くという意味ではない。少し前に自分の意志でもないのに地上に産み落とされ、もうじき何もわからないまま死んでいかねばならず、そのあいだも日々足を引きずるように生きている虚しいこの私の「うち」に「統覚」という名の「ほんとうの私」がいる、というわけではない。
 統覚が根源的であり純粋であるのは、ただ説明の順序として第一に来るというだけのことである。説明において先行することは、けっして存在論的に先行することではない。むしろ、説明において先のものは、説明において後のものから、はじめてその存在を獲得するのだ。これが、カントがすっぽり捕らえ込まれている「構成主義(Konstruktionisumusu)」の基本構図である。
 構成主義においては、まず抽象的な原点(統覚)を定め、その乏しい原点がしだいに具体性の衣をまとって「受肉化していく」という一種の擬似発生論的説明をとる。そのさい「より先のもの」が「より後のもの」より論理的に先行するという論法を採るが、「論理的」とは「説明の順序として」という意味にほかならない。はじめから、「私のあり方」には、自己触発による内的経験の構成能力がなければならないことをカントは知っていたが、構成主義の枠内に留まったがゆえに、説明の順序として、まず統覚を立て、次にそれが内省を触発する、という説明方式をとらざるをえなかっただけなのである。
 だが、これで話が終わったわけではない。ここでわれわれは、ふたたびヒュームの「開かれた問題」にぶち当たる。じつは、このすべてを認めても、統覚が内官を触発するという構造ことが「私である(sun)」と論理的必然的に言えるわけではないのだ。言いかえれば、「現に体験したこと」を抉り出し、それを機軸に内的経験を構成する能力こそが、「私」というあり方にとって根本的であるという判断は、デカルトのように、明晰かつ判明な精神の直覚によるものではない。
 このすべては、何の前提もなく、ただわれわれが明晰かつ判明に思考することから出て来るわけではなく、いわば一つの人間観から出てくる。それは、人間とはみずからの自由意志によって現になしたことについて責任を引き受けなければならない、その責任の主体としての「人格(Person)」でなければならない、という人間観である。私が責任の主体であるためには、まずもってみずから現になしたことをほかの事柄から区別して抉り出す能力、すなわち自己触発の能力がなければならないのだ。こうして、カントの場合、自己触発をめぐる認識論的自我論はそれだけでは完成しえず、責任主体としての「私=人格」という実践的自我論に支えられてはじめて完結するものなのである。(文藝春秋刊、125~127ページより)

 ここに示されているように端的に中島は言語習得された以後の思惟能力を持つ大人から考えた存在者としてのみ全ての哲学へと対峙している。何故そうであるのかと言えば、一つには彼自身の人間的資質によってそうしているとも言えるし、別の観点から言えばそれは彼が哲学を始めた動機にも関わるであろう。またここで強調されている自由意志と責任主体という考え方も極めて哲学者中島を理解する上で重要な概念である。それらのことは第三章において示すつもりである。
 今回から後で触り程度に導入させていく「後悔と自責の哲学」における中島の「自責」とは、極めて彼の哲学を理解する上で常用なキーワードである。それは今挙げた引用文の中では「「現に体験したこと」を抉り出し、それを機軸に内的経験を構成する能力こそが、「私」というあり方にとって根本的である」(デカルト的ではないという意味で)という部分に明瞭に示されている。これはカント的責任論を考究する哲学者としてのスタンスとして明快な主張である、と言っていいだろう。だからこそ中島は倫理学者としてではなく道徳論者であり自我論者足り得るのだ。
 それに対して人間的には自責の念も持ち合わせているのであろう永井においては、少なくともその論理命題的な意味では決して過大にそれを扱わない(「なぜ人を殺してはいけないか」や「ルサンチマンの哲学」においてさえ永井は自責という観点から論じているという風には私には思えないのであるが、そのことについては別の機会に論じようと思っている)。つまりこの部分こそが中島と永井との間での命題上の決定的相違点なのである。
 中島は端的に内的行為動機ということを極めて重要視している哲学者である。それはどんなに常識とか社会倫理に対して懐疑的であれ、とどのつまり人間(中島にとっての人間に子どもは含まれないし、基本的に成人以上の大人である)の意思疎通上でのメッセージ伝達性における信頼が基本にあるということを意味する。
 それに対して永井は基本的に大人による思惟全体に対して一定の懐疑を持っている。そしてその懐疑から全ての哲学(命題)へと対峙しているのである。そのことは彼の「<子ども>のための哲学」における考え方によって示されている(そのことについては別の章において詳述する)。だからこそ永井にとって言語習得を巡る言語発生論というものが重要な論理命題となっていくのである。
 従ってこれまで述べてきたこと全体からそれなりの結論をここで示すとすると、中島が道徳を論じる時に彼にとって必要となることとは、自我を示すためにその事例が相応しいか否かということに尽きるのである。何故なら彼は私とか世界とか以前にまず、自我こそがそれらを構成する、と考えているからである。端的に自我とは極めて言語的思惟と密接である。中島が若き日よりカントを研究主題として学位論文を取ってプロ哲学者としてのキャリアをスタートさせたこともこの彼のスタンスを考えれば極自然であると言えるであろう。
 しかしかなり重要な点において中島は歴然とカントと異なっている。それはカントにとって言語というものは明らかに世界において存在する、と考えていると思われるからである(そのことについても別に章を設けて論じる)。つまりその点を考慮に入れて考えるとカントは中島のように言語習得された以後の大人の認識を通して哲学を考えていたのとは決定的に違うということになるのである。つまりカントは端的に中島がそうであるような意味では決して自我論者ではない。しかしにもかかわらず極めて中島のカント解釈はかなりある部分ではユニークかつ適切である(そのことに関しても新たに章を設けて論じる)。
 しかし永井は全くその点異なる。彼にとって世界とはやはり厳然と私や私の感性(とは言え彼は一切「私の感性」という記述をしていない)以前に世界が存在すると信じているからである。だからこそ彼は<私>というものを世界と切り離して考えることが出来たのである。永井にとって「なぜ意識は実在しないのか」における思考実験の全てもそのことを顕著に示している。彼が現象的と呼ぶものこそ私的言語を可能化する「ある特定の身体に帰属した」私である。しかしそういう思惟が可能であるのは、世界というものがまずア・プリオリに存在し(実在しと言ってもよい)その中に個というものが存在すると捉えることなしには成り立たない。もし仮に永井が、世界や身体が私によって作られていると真剣に考えていた(中島にはそういう部分がある。例えばそれは「孤独な少年の部屋」における中島が中学生から高校生までの間にかなり綿密な体育や技術などに関するメカニズムの図を描くことが得意で、現実の作業や運動よりもそれらに対する観念的なメカニズムの図示自体に関心があったことの告白からも読み取れる。)なら、彼は世界や身体と私を切り離して<私>という概念を提出することなど出来なかったに違いない。永井にとって世界とはあくまでア・プリオリに私以前的に存在し、だからこそ<私>をもって対峙すべきものなのである。つまりその部分において永井哲学は寧ろヘーゲルやハイデッガーと隣接しているのである。そのことを知る上で我々は永井の時間論に着目しなくてはならない。それは第六章において詳述する。
 その意味では「対話のない社会」や「うるさい日本の私」あるいは「人生に生きる価値はない」などの著作で対話の重要性を伝導する中島にとって言語とは媒介であり、一つの有効な武器である(言語の認識論)。しかしそれに対して永井にとって<私>意識を発生させるものとしての言語は不可解な考察対象なのである(言語の存在論)。その双方の哲学動機的理由は第三章において詳述することとして取り敢えずそう結論しておくと、中島はその言語観からすれば確かに現代哲学的視座とは異なった哲学者のように一見見えるが、実際彼はその言語観以外の全ての哲学メソッドは多く分析哲学に負っていて、その事実は逆に論理考究的メソッドの部分が分析哲学的言語観を持っているにも関わらず、生命時間論的な視座で現象学的な永井と丁度反転関係にある、と考えることも理に敵っているのではないだろうか?

 そのことを理解する上で興味深いことには寧ろカント、カントとカントに拘っている中島とは逆にあまり多くカントについては語らない永井の方こそ、カントの「純粋理性批判」において幾つか永井哲学とのスタンス上での共通点を見出すことが可能であると私には思われる。
 それは「純・理」の 第二版 序 Ⅹにおける次の箇所である。(世界の大思想10、カント(上)純粋理性批判 高峯一愚訳、河出書房新社刊)

 ところで、これらの学のうちには理性が働いているはずである以上、それらには何らかの先天的認識が行われていなければならない。そしてこの理性の認識は、二つの仕方のいずれかによってその対象に関係せしめられる。すなわち対象とその概念(それが外から与えられねばならない)とを単に限定するだけか、それとも対象をなお現実化するかである。前者は理性の有する理論的認識であり、後者はそれの実践的認識である。これら両認識について、その多少にかかわらず含まれている純粋な部分、すなわちその認識において理性がまったく先天的に自己の客体を限定するような部分が、あらかじめ論ぜられねばならず、他の起源から生ずるようなものをそれと混淆してはならないのである。なぜなら、もしわれわれが盲目的に収入を消費して、後で家計がゆきづまった場合にも、収入のどの部分が支出をきりつめなければならないかを見わけることができないとすれば、それは悪しき家計というほかはないからである。
 数学と物理学とはともに理性の理論的認識であり、両者はその客体を先天的に限定すべきものである。前者はまったく純粋であり、後者は少なくとも部分的には純粋であるが、部分的に純粋であるときには理性の認識起源とは別の認識起源の基準にも、従うのである。

結論的に言えば、永井の言う<私>とは端的に何故私は他の人間ではなく永井なのかという問いによって成り立っているので、その<私>を言語記述的に、あるいは意思疎通上での言述的には私一般へと収斂させる。つまりその時私はあくまで私自身の現象性とか意識やクオリアといった固有の在り方を一旦棚上げにする必要がある。その場合の棚上げされた後の私という記述は、ここでカントの言う理論的認識による私であるので、「対象を限定する私」である。対象を限定するとは、端的に様々な述語が成立する私を指示する、名指す他の私以外の全ての他者と区別するという指示性にのみ収斂させる私である。学問においてそれを遂行するとカントが考えるものこそ数学であり物理学である、というわけだ。
 それに対して、対象を現実化する認識をカントは実践的認識と呼んでいるのだが、これを私に援用すると、「対象を現実化する私」となるが、まさにこの部分にこそ中島は感性のエゴイズムと呼ぶべきものが該当する。
 しかしこのカントの一節に関する限り、「対象を現実化する私」はあくまで「対象を限定する私」に支えられていると考えてよい。従ってこの一節の主張は永井哲学倫理命題を縮約したものと考えても間違いではないだろう(そのことについては次回以降詳述していくこととしよう)。
 
 ここで中島の自責論に入っていこう。まず基本的に中島の時間論を主軸にした著作から見た経緯について考えておこう。
 中島は次のような流れにおいて時間論を発表している。

 「カント時間論構成の理論」(1987)理想社~岩波現代文庫「カントの時間論」
 「時間と自由 カント解釈の冒険」(1994)晃洋書房~講談社学術文庫
 「「時間」を哲学する 過去はどこへ行ったのか」(1996)講談社現代新書
 「空間と身体 続カント解釈の冒険」晃洋書房(2000)
 「時間論」(2002)筑摩書房~ちくま学芸文庫
 「カントの自我論」(2004)日本評論者~岩波現代文庫
 「悪について」(2005)岩波新書
 「後悔と自責の哲学」(2006)河出書房新書

 この中には必ずしも時間論だけが主軸ではないものも入っている(例えば「悪について」)が、実際中島の論理命題から考える時に、それらの著作が時間論的視座と密接に関わっているので、欠かすことが出来ないので列挙した。
 とりわけ近年の中島の哲学論理命題や、エッセイ、小説と言った多彩且つ多才な活動を顧みる時明らかに「カントの自我論」や「悪について」が「時間論」で一度結論を時間論的に出していた中島自身のその後の時間論とそれ以外の全ての哲学的命題の綜合において展開上の指針となるように作用していったことは否めない。そして最後の「後悔と自責の哲学」こそ、中島の論理命題における時間論そのものを自責において決定付けるという哲学志向性において試みている著作なのである。
 取り敢えず「後悔と自責の哲学」中で要旨を簡潔に叙述している導入部の文章をここに引用してから詳述することとしよう。少し長いが今後このテクストに対して解釈していく上で重要な導入部なのでここに拘って区切ってその都度解釈をしつつ、全文掲載することとする。

「そうしないこともできたはずだ」という根源的思い

「そうしないこともできたはずだ」という私の思いは、そのとき私が「自由であった」という思いとリンクしています。とはいえ、ここで頭の切り替えが必要なのですが、私は自由であるがゆえに、後悔するのではない。あのとき私がAを自由に選んだから、Aを選ばないこともできたはずだ、と後悔するのではない。まったく逆なのです。私はあのとき「Aを選ばないこともできたはずだ」という信念を抱くからこそ、私はAを自由に選んだと了解しているのです。つまり、自由とは、みずから実現したある過去の意図的行為に対して、「そうしないこともできたはずだ」(他行為可能)という信念とともに生じてくる。この信念は根源的であり、ほかの何ものにも由来するのではない。そして、本書では「そうしないこともできたはずだ」という信念を_日常の使い方より広い意味を含んでいることを承知のうえで_「後悔」と呼びたいのです。日常的には、われわれはみずからなしたかなりの意図的行為に対して「そうしないこともできたはずだ」という信念を抱きつつ、ひとりでに忘れていき、あるいは自分で忘れようと努力して、それにこだわることはない。だが、こうした操作をいくらしようとしても、どうしても「そうしないこともできたはずだ」という叫び声がからだから消えないことがある。そのとき、われわれは「後悔にむせぶ」のですが、こういう強度の後悔から、「ああまたやっちゃった」と舌を出して苦笑いする程度の後悔まである。しかも、過去における自分のある意図的行為(H)に対する後悔とは、一度後悔したら固定されるのではなく、われわれが人生の経験を重ねていくにつれて、Hに対する態度もクルクル変わってくる。Hをはじめ激しく後悔したのだが、後に「これでかえってよかったのだ」と思うことにすらあり、逆にはじめはなんともなかったのだが、後の人生の数々の出来事の遭遇によって、Hが次第に大きな意味を担ってきて、激しく後悔するようになることもある。すなわち、Hに対する後悔とは、それが客観的にいかなるものであったかを確定することに留まらない。さらに、Hをどう解釈するか、さらにはこれからどういう人生を渡っていくべきか、という考察にまで及んでおり、その意味で過去に対する態度一般にかかっているのです。したがって、後悔とは過去を解釈することそのことであり、その解釈を通じて未来を形成することでもあるのですから、まさにわれわれの根源的な精神活動というわけです。(11~12ページより、河出書房新社刊)

私はこのパラグラフにおける主張に何ら異議はないし、かなり適切に未来への意識の志向性の本質を突いているように思われる。とりわけ「過去における自分のある意図的行為(H)に対する後悔とは、一度後悔したら固定されるのではなく、われわれが人生の経験を重ねていくにつれて、Hに対する態度もクルクル変わってくる」ということと、「Hに対する後悔とは、それが客観的にいかなるものであったかを確定することに留まらない」そしてそれ以後の「Hをどう解釈するか、さらにはこれからどういう人生を渡っていくべきか、という考察にまで及んでおり、その意味で過去に対する態度一般にかかっている」こと、これは端的に未来自体が過去の投影であるとする中島の思想を遺憾なく示すものであるとも言える(このことに関しては次回以降「時間論」を中心に粒さに見ていくこととする)。そして更に「後悔とは過去を解釈することそのことであり、その解釈を通じて未来を形成することでもあるのですから、まさにわれわれの根源的な精神活動というわけです」はまさにその通りであると言えよう。つまり我々にとって想起される過去自体への解釈の一つとして後悔が意味づけられるという主張は説得力を持つように思われる。続きへと行こう。

 こうした根源的な精神活動としての後悔に「自由」という観念が呼応しており、われわれは後悔するがゆえに、自由という概念を精巧にこしらえあげるのです。過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており、その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります。この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎないのです。(12から13ページより、以下同)

 問題はここからである。特に最後の「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」である。 
 その前に記述されている「過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており、その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります。この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。」が重要な方向付けとなっている。
 だがよく考えてみよう。「「過去には「いまからさかのぼって変えられない」という意味がもともと含まれており」は全く正しい。だが「その中核には「いまや取り返しがつかない」という思い、取り返したいのだけれど取り返しがつかない、という嘆息があります」とはあくまで現在から過去への思いである。それは端的に過去そのものではない。故に次の件の結論「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」を叙述する「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない」とは論理的に矛盾しないだろうか?つまり過去自体ではない現在から過去への思い自体を糧にここでは結論を導き出しているものの、「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない」を言いたいがために過去自体とそれに対する思いを一緒くたにしていると言われても仕方がない論説をここでは試みているとしか言いようがないからである。
 また最後の結論「単なる「過ぎ去った時」としての過去とは、「そうしないこともできたはずだ」という後悔の感情を捨象した抽象形態にすぎない」には甚だ論理的飛躍が含まれていると言わざるを得ない。何故なら過去自体は既に存在していないものの総称であるとすれば、中島は前文である「この嘆息とは別に、過去が単なる「過ぎ去った時」として存在しているわけではない。」(仮にこのことを過去に対する感情を度外視しては過去性を論じることが出来ないと好意的に解釈していったとしても尚)と共に、ここで完全に過去自体が存在し得る(実在的に)と捉えていることになるからだ。つまり「単なる「過ぎ去った時」としての過去」以外に何か実在する過去を言いたいがために中島はここでこう述べていることとなる。しかし更に次の論述においては飛躍が見られるのである。続きへと行こう。

 もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう。われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません。動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから。しかし、人間にとって幸か不幸か、過去はほとんどすべて思いどおりではなかった。禍の連続でした。だからこそ、われわれはかつて生じた禍の原因をつきとめ、同じ禍を避けるためにその原因を取り除くかたちで未来を操作するのです。
 未来を操作するのも、つまるところわれわれが「そうしないこともできたはずだ」と後悔するからなのです。しかし、どんなに後悔しても、われわれは過去をさかのぼって変えられないことを知っている。だからこそ、せめて未来に同じ禍を呼ばないように操作するのです。(13~14ページより)

この二つの段落における主張においてまず、「しかし、人間にとって幸か不幸か、過去はほとんどすべて思いどおりではなかった」以降の全文は全く哲学的に的を得ているし、正論であると言えよう。例えば未来への意志自体が挫折によって規定を受けているという考えはジョン・デューイなども示していたし、哲学命題論的にも極めて重要であると思われる。
 問題はそれより前の記述である。「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう。われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません。動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから」における最初の文こそがここで問われるべき筋合いのものである。
 後悔がなければ過去もない、という考え自体は極めて魅力的である。それは同じ中島による「私の嫌いな10の人びと」における<嫌いな人びと>において「「わが人生に悔いなし」と思っている人」をより説得力あるものとするために敢えて規定したとも思われる論理である。
 しかしよく考えてみよう。まず基本的に我々にとって過去とは記憶すること(能力)と、その記憶を想起する能力とによって表象として存在する(実在としてではなく)と言える。
 しかし想起は記憶することの出来る全てに対してなされるのではない。例えば我々は実際に経験したことのほんの一部だけを想起する。
 例えば私が友人と伊豆へ旅行へ行くとしよう。そして三日間の旅行の後で私は友人と訪れた観光地とかホテルとか対話内容を想起することが出来る。しかしそれらのエピソード記憶の場面、場面での想起とか内容における概要の想起は完全ではない。従ってもしその旅行で視覚的に確認したことの内でもかなり大半のものを我々は再びその訪れた観光地に行った時に「そうだ、あそこにはあんなものがあった」とか、何か建物の隣にあった別の建物を間違えて記憶していて、後で訪れた時に「そうか銀行の隣がコンビニではなく、レストランがあったのか」と想起し直すこともある(つまり思い出す)し、また友人との対話を一部録音していたとすれば、後でそれを聴く時、それを聴くことなく想起したとおりではなかったこと、つまりそれを聴くまで想起したとおりの話の順序ではなかったことなども必ずあるのである。
 つまり想起自体は過去の確証的実像を確認することが出来る場合には、それを確認して想起される過去の実像と、それ以前の想像において想起している間にある齟齬を含め、要するに概略的なこと(それは概ね間違いはないことが多い)とそうではないことの双方が含まれる。だから過去自体を実在としようが、表象としようが、端的に後悔される意味内容(行為、言語行為)はその全体からすれば一部に過ぎない。
 つまり中島のここでの論述は明らかに後悔するための素材としての行為事実に過去の全てを収斂させ過ぎているのである。だからそれは文学的に、あるいは叙述論的には魅力的ではあっても論理的には矛盾があるのである。
 この中島による論理的飛躍には「どうせ死んでしまうのに何故今死んではいけないのか」という問いをしばしば提出する哲学者に固有の哲学論理命題自体へと誘引する内的な神秘的誘い(Mysterious Guidance<ミステリアス・ガンダンス>と今後呼ぶこととしよう)自体を論文作成上、含ませてしまっていると言ってよい。
 これはある意味では哲学者の陥る陥穽である。過去自体は後悔を含むことも多いものの、やはりそれは過去事実における部分にしか過ぎない。過去自体は後悔という心理以外のものだけによって現在意識が成立していてさえ存在し得るのである。端的に想起した時に想起されること(内容、事実)自体に、後悔やその他全ての感情(素晴らしかったとか、楽しかったとかの)を含まないことも多く含まれるのだ。
 従ってこのパラグラフの前半の文章における「われわれは未来を操作するために過去を形成すると言われることもありますが、その過去がすべてうまくわれわれの思いどおりに運んでいくとしたら、わざわざ未来を操作する必要はありません」は、私は知らないが、恐らく過去の何らかの哲学上での論理命題から引用した考えであるということは推察出来るし、その記述内容自体も全く論理的にも哲学論理命題的にも的を得ているし、続く「動物のように、そのまま身体に組み込まれた本能どおりに動いていれば、すべてうまくいくはずなのですから」も動物に一切感情を認めないタイプの形而上学者(それは脳科学者にしてもその他の生物学者においても一つの捉え方<例えば意識の定義の仕方として>としては認められるものである)としては当然の論理(そのこと自体への疑念をここでは棚上げにしておくとすれば)としても尚、「もし人間がまったく後悔しない生物であったとしたら、過去を形成することはないでしょう」という部分は論理命題的にも、真理的査定においても直ちに真である、とは決して言い得ない論理であると言えよう。
 次回はこの「後悔と自責の哲学」と「時間論」を中島における解析テクストしつつ、永井に関しては彼固有の<私>論を中心に諸テクストから抜粋などをして彼独自の独在論的見解を、社会契約的視点から考えてみたい(そのことが第二章の命題へと誘引することとなる)。この二人の際立った活躍をする哲学者にとっての道徳の在り方に対するスタンス上での相違点を次回は示していこうと思う。尚本論においては際立った二人の哲学者のスタンス上での相違点をしばしば取り上げるが、こうして二人を並べて論述しているのだから、当然二人には際立った共通点も多くあるのである。そのことに関しては第九章 反抗的資質を巡る二人の哲学者の姿 において詳述する予定である。(つづく)

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