私とは何かは哲学永遠不変のテーマだが、日本人の二人の哲学者がこの命題を全く違った形で示している。中島義道氏と永井均氏は共に私がある時期出会った哲学者である。出会うとは僭越だが、出会いは師弟という形式的レヴェルを遥かに超え得る。何故他にも大勢哲学者はいるのに、この二人に私が啓発されたか?それをこのブログで究明しつつ来場者と共に私や私であること、私の感性について考えたい。このブログは二人の哲学者に共鳴する全ての人たちによる創造の場である。

Tuesday, January 12, 2010

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらよいのか⑧

 私は現在までのところ中島の本を、後数冊を除く全冊、永井も共著である本二冊ほどを除く全冊を読んできて、一つの明確な個々の像を見出してきた。それは既に二人の哲学者に対して私が中島を理性論的コミュニケーション信仰(言語の認識論)の態度で臨み、永井を経験論的コミュニケーション懐疑論(言語の存在論)の態度で臨んでいるということを述べたが、その考えを絶えず確信するように至らせるもの以外ではなかった、ということである。
 このことに対する解析から今回は始めよう。
 
 中島は本質的に言語に対してある一定の自己内の意思を他者に伝達する道具として媒介として有効な武器であることを信頼していて、その事実自体に対する懐疑を抱いていない。だからこそ彼は「ウィーン愛憎」において日本人に対する侮蔑的態度で臨むように思われるが、それが内実的には自己主張と極端な自己防衛が重なって顕現されているオーストリア人を中心とするヨーロッパ人の態度(中にはミセス・ケレハーのようなイギリス人も含まれるが)が、日本人全般に下されると、少なくとも中島の筆致自体から前提される客観的文明論的批判となって現れる(つまりそういう日本人に対して下されるオーストリア人の態度全般を日本人同胞に告発することによって日本人同士に共感を呼び起こすことが可能であると少なくとも信じている)こと、つまりその批評空間自体の存在意義について信頼を持って臨んでいる。それはどんなに他者が土足で自己内の感性領域に侵入してくることをしようと望もうと断固としてその偽善的良心を打ち砕こうとして極度にその侵入を否定するような態度で感性のエゴイズムを主張しようとする「愛という試練」のようなテクストでも、あるいは一切の学者的アカデミズムへの幻滅によって学者、大学教授間の人間関係的柵から一歩身を置くことを宣言する「人生を「半分」降りる」においても変わりない。
 つまりそこには痛烈なるマイナスのナルシズムが介在している。だから著述家としての中島を想像する時、例えば教室で一人先生に指されて全て教科書通りに模範的回答を示しながら最後にはそうやって他の一切の生徒が出来なかったことを自分自身は模範を示したことから先生から褒め上げられた末に、でもそういう風に着実に点数を稼ぐ自分自身に痛烈なる嫌悪感と、自責の感情を抱かずにはおれない、という風な生徒を私は中島に見るのである。
 この中島の哲学的態度を自虐的ナルシズムと呼ぼう(このことは彼の「たまたま地上にぼくは生まれた」等において中島が自分のことを理不尽に成功しているという風に述べている(対談等で)ことでも了解される)。もっと敷衍して言えば中島は自己内の正当なる自我さえも自責と後悔で彩ることを忘れないし、そのことまでも伝えようとする言語媒介的意志伝達信仰者である。

 それに対して永井は言語が持つ力を信じているという点では何ら中島とは変わりないが、全ての人間間の理解というものが仮に強力なる武器である言語を通してさえ理解し合えることはないという可能性も常に残される、という風に一切を白紙に戻すという観点を捨てていないのである。だから永井の書く文章は今回から取り上げる「なぜ悪いことをしてはいけないのか」(大庭健、安彦一恵共著、ナカニシヤ書店刊)において基調論文の最後に次のように述べている。

 コメントを下さる方のために一言。私は私の問題感覚を提示し、それについて今のところ考えることを述べてきた。私はその都度の自説にまったく愛着を感じないので、批判に対して自説を擁護して弁ずることが嫌いである。もしできれば、単なる質問や批判ではなく、私の問題に関して、私が考えつかなかった何か積極的な議論を提示してくださるようお願いしたい。(61ページより)

 この論説の中では特に「私はその都度の自説にまったく愛着を感じない」という箇所に永井の哲学的態度の一つの典型的例が示されている。つまり永井はその都度の発言とか記述が、確かにその都度の自分からの意志や考えを示すものであると了解していても尚、「書かれたこと」が書いた本人とは既に別箇の存在として独立してしまうということを直観的に理解しているのである。このことは重要である。
 それは彼の教え子で芥川賞作家である川上未映子がNHKの対談番組である「スタジオパークからこんにちは」に出演した時司会のアナウンサーに対して「自分の唾を口の中で飲み込むことは何ていうこともないのに、一旦吐き出した自分の唾をもう一度口の中に戻して飲む込むことは出来ない。唾であるということは同じことなのに」という疑問を語っていたが、実はこれは既に哲学者であるダニエル・デネットが「解明される意識」において述べていることである。
 つまり我々はどんなに愛着のある自分自身の肉体から放出されたものであってさえ、一旦それが自己の身体の外部に放出された瞬間から、それを他としてしか認識し得ようがないという運命を背負わされている(そのことは自分の息子との確執さえ執筆することを辞さないエッセイストとしての中島の姿勢とも関係してくるのであるが、そのことは又改めて第三章から第四章において書こうと思う)のである。その意味では言葉も同様である。
 従って永井にとって言語を対象として捉える視点が常に介在している、ということが言える。永井にとって既にその都度の自己による判断によって提出された自己による言説も言葉も既にその段になってしまえば自分から見ても他(者)なのである。
 このことを先ほどの中島に対して援用した解釈を適用すれば、永井とは大勢の生徒たちが意見を言い先生から褒められているのを聞き、しかし自分自身は「では永井君はどう思う?」と指されて先生の要求に従って「僕はこういう問い一切に関心がないのです」と返答したが、先生からは「永井君は物事を深く考え過ぎです」と一言で断じられ、でも本当に先生の言うことって正しいのだろうか、あるいはそれまで他の生徒たちが先生にとって返答して欲しいと思うようなことを返答してきた全てに対して「それは本当に正しいことなのか?」と疑問に思い、しかも自分自身の返答にもその懐疑の精神を捨て去らない、そういう生徒を想像する。この態度を絶対的自由論と呼ぼう。
 
 中島は初期著作である「時間と自由」の中で次のように書いている。

 知覚における赤とは別の赤を了解するとはいかなることかという問題は、伝統的には「観念」の存在性格に関する問題である。ここで観念史の詳細に立ち入ることはできないが、近代哲学において観念はおおよそ次の二つの方向に枝分かれして意味づけられてきたと言ってよいであろう。すなわち、一方でロック、バークリー、ヒュームなどのように、観念を何らかの心的対象と解する方向であり、他方ではライプニッツやヴィトゲンシュタインに見られるように、観念を心的な対象物と解することを拒否し、それをあくまで何ごとかを理解する能力と解する方向である。両者とも観念という概念は、なお次の共通項をもっている。それは、例えば赤や痛みの意味を了解しているとういうことを、その観念をもつことに帰す点である。(76ページ、講談社学術文庫)

 この論述で示されている内容から鑑みるに、中島はそれを意図的であるとか意識してであるかどうかには関わらず、少なくともあの「うるさい日本の私」などで公共的文化騒音に対する耐え難さを読者に告発することを通して少なくとも自己の意志が言葉によって伝えられるという言語の可能性を信じて疑わないという意味では明かにライプニッツやヴィトゲンシュタインと共通するタイプの著述家であり、永井は逆に完全にロック、バークリー、ヒュームらの系譜に属するということが言えると思う。

 そのことを念頭に置いて二人の論述を見ていくこととしよう。
 その前に前提となる中島の時間論的考えの骨子を捉えておきたい。その論述の前の 1意図的行為に対する後悔 中最終部において中島は次のように述べている。

 すなわち、本来は過去における自由というモデルに由来しながら、「現在中心主義」という思想に寄りかかった自由の素朴な形態が、「私がAをすることもしないこともできる」という無差別均衡の自由なのです。ですから、当然のことながら、これを自由の原型として、過去における自由から独立に理解しようとするとき、われわれは暗礁に乗り上げてしまう。先に見ましたが、私は「Aを選択することもしないこともできる」ということと、それにもかかわらず、私は事実「Aを選択する」ということのギャップを「内的強制」という言葉で飛び越えたつもりでも、実際には飛び越えたことにならない。(30ページより)

 ここで中島によって示されている無差別均衡の自由とか、それ以前に提出されている他行為可能性とは端的に、思惟の上での想定可能性であり、固有の現在は一切考慮されていない。このことは中島の「時間論」において科学における時間論全体が既に常に我々にとっては頭痛の種ではあるものの、真理論的にも前提にされるべき当の今、つまりあらゆる歴史を眺望する時にも忘れてはならない現時点、現在時点ということの固有性(だから通常ジャーナリズムでは新聞にしてもテレビのニュースにしてもそれが報道される期日を明記している)を一切剥奪した上で成立する真理論であるという思想をここでも明確に規定している。ベンヤミンの言葉をもう一度思い出しておこう。

 出来事を前史と後史とに分節化するのが現在である。[N7a,8]

この言説はあくまで現在から見た過去のことを言っている。つまり我々は常にある過去の出来事とかその周辺の時間的推移を現在から遡って捉えようとする時、その時点では一切そういう意識がない(何故なら未来はどうなっていくか分からないからであるが)が、ある出来事が起きてしまった後では必ずと言ってよいほどそういう風に過去から見た過去、過去から見た未来という区分けを利用する。つまりそのことを中島は先の文章中特に「私は事実「Aを選択する」ということのギャップを「内的強制」という言葉で飛び越えたつもりでも、実際には飛び越えたことにならない」で示しているのだ。つまり過去を現在から捉える時そこには必ず「現在から見たある過去の出来事」という操作が介入しているのである。しかしにもかかわらず後悔においてはその操作自体を忘却している、ということを中島は主張しているのだ。だからこそ後悔とは一つの過去へ遡りたいという願望であるとも言える。つまりその過去への遡れなさ自体が後悔を魅力ある願望へと仕立て上げているのである。そのことを考慮に入れてまず中島の「後悔と自責の哲学」における A後悔 1非意図的行為に対する後悔 中 「可能」な私の範囲 から見ていこう。
 ここで中島はまずアクラシアについて考えている。つまり気がつかなかったことだけではなく無意識の内にしたこと、しなかったこと(その中には自分だけがよい人格を形成してしまったがゆえに後悔することを、そういう人格を形成出来ずに失敗したことと同様に悔いることも考えている。つまり犯罪すれすれにまで至っても、なぜかうまくそれに陥らずに生きている自分のずるい人格という善良な市民であること自体への自責の念も含まれる<ここら辺がさも中島的である>)も含めて後悔される内容を考えているのだ。そして重要なのは次の箇所である。

 各人は物心ついてから(あるいはその前から)の膨大な積み重ねによって、現在の自分の人格を形成しているのに、その全体を後悔するとは、現実の自分ではない架空の能力(性格、学力、魅力、体力など)をもった人間を「自分」と見たてていることになります。これは、はなはだ不合理に見えますが、いちがいにそうとも言えない。
 なぜなら、もともと「私」という言葉には「私は日本人です」とか「私は虚栄心が強い」というような現実的な属性ばかりではなく、「私はもっと(人間的に)強くなりたい」とか「私はどんなことがあっても今後のコンクールに入賞したい」というような可能的属性も付与されるからです。人間とは、こういう欲求・願望・希望などを抱く生物なのであり、まさにこれと呼応して過去の事実に関しても「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔する生物なのです。こうしてみますと、まずわれわれは欲求・願望・希望を抱き、次にそれらが未来と過去の両方向に伸びているだけだとも考えられる。(47~48ページより)

 ここでまさに中島はヘーゲルが打ち立てて、再びサルトルによって「存在と無」でクローズアップされた対自の概念を援用している。要するに対自とは「これまでの自分」という過去事実と、その過去事実全体への反省的意識によって固有の人格を自己に対して付与し、更にそれを未来へと適用して、だから逆に「これからの自分」はこれこれこういう風にしていこう、いくべきだという指針を添えて考える。要するに対自自体が一つの時間論となっているのである。今までの自分、これまでの自分という考えはそれ自体記憶と経験とによって得てきたものとそれと引き換えに失ってきたものの総計である。その自己像に対して修正や変更の意図を未来へと向けて抱くということの内に対自の時間論、つまり過去事実とそれら全体への反省的意識による未来への志向性と投企という観念で対自を捉えると、中島流に考えれば確かにそれは後悔による時間論ということになる。
 中島の先の文章の後で示されている限定された可能性という枠、つまりあまりにも大それた自己能力を遥かに超え得ることのない中島の言葉をそのまま借りれば「論理的可能性から実在的可能性へと絞り込んだもの」なのだ。実在的可能性は故にこれまで人生で自分が何をしてきたかによって決まる。そこに中島は未来への実在可能性というものを捉えているし、ここら辺の考えは至極真っ当であると言えるだろう。
 故に次の節 「投げ込まれていること」と「企て」 においてハイデッガーの投企について触れているのも必然的論理展開である。故に私は中島の言うように後悔がなければ過去が成立しないとまでは考えないまでも、中島の述べる「ハイデッガーは「投げ込まれてしまっていること」の自覚から過去が発生すると考えていますが、むしろ「投げ込まれてしまっていることに対して一定の態度をとること」すなわち広い意味で「後悔すること」によって過去は発生します。われわれ人間は自分が投げ込まれてしまっている事実性を何の抵抗もなくすなおに受け入れるわけではないからです。むしろ各人の事実性は彼(女)にとって超えられない枠であって、たえずその枠を超えようとする意図(企て)を認めつつも、そのつどけっして超えられない枠として立ちはだかっている。言いかえれば、われわれ人間は動物とは違って未来へとたえず「企て」を投げかけるからこそ、そしてその「企て」がほとんどかなえられないからこそ、さらにさらに後悔を堆積させるのです。」という2の結語は、ある部分では中島哲学における後悔によって過去が発生させられるという時間論の一つの結論でもあるということになる。
 私自身は過去という時間が認識上付与され、その過去事実内容自体は後悔とは別箇に成立していて、その事実への想起自体が容易であればこそ後悔がその時点で発生する、と考える。だが中島はそう捉えない。ここでも中島哲学の「言語が世界や身体を作る」という発想(言語の認識論)が活かされている。つまり過去があるから後悔が発生するのではなく、後悔という論理的可能性であり且つ実在可能性全体への反省的思惟という言語認識によって過去を通した世界の見え方が決定される、と捉えているのである。
 今私が示した私の考えと中島との相違において何が浮かび上がるかと言うと、それは世界全体への構えの違いである、と言えるだろう。中島にとって恐らく世界とは存在論的に成立する以前にまず自己という存在を成立させる言語的秩序によって認識されるものであるということだ。それは言い換えれば世界そのものが理解されるべき対象として立ちはだかっているのということである。
 それに対して少なくとも私はその面では永井に接近した捉え方だと言えると思うが、私にとって世界は認識したり理解したりする以前に超然と立ちはだかっているわけだ。そう世界に対して構えるということだ。それはある意味では理解出来ないこととか認識出来ないことを沈黙するというヴィトゲンシュタイン的態度(ラッセルが「西洋哲学史」においてヒュームを認識する段で、「さまざまな観念のうちでもとの感覚印象がもつ生々さを少なからぬ程度までは保持している観念は記憶に属していて、他のものは想像に属している」と述べている箇所において中島ならその想像する領域に関しては沈黙を守るという態度で臨むだろうが、私は違うかも知れない)であるよりは決定的にその理解、認識出来なさ自体を体感的に無視することが出来ないという構え方であると言う意味では極めて不器用である、と言えるだろう。そして私は永井もカントもそういったタイプの哲学者である、と捉えている(しかしそれは勿論どちらのタイプが優れているというわけではない)。

 さて永井の方へと移ろう。永井にとって世界が超然と立ちはだかるということはある意味で私ということ、それはその当の実在がたまたま永井均であるという事実を通して理解されることであるが、その事実を自分にとって何故たまたま自分が永井均であるかと言う問いと同一である。それは恐らくデカルトからメルロ・ポンティまで一貫して哲学者が抱いてきた想念であるポンティの「知覚の現象学」中の序文の中にある「デカルトおよび特にカントは、主観ないし意識を〔世界から〕解き放って、もしも私が或る物を捉えるに当たってあらかじめ自分を存在するものとして経験するのでなかったら、私はどんな物をも存在するものとして捉えることはできないであろう、ということをあきらかにした」(1竹内芳郎・小木貞孝訳、みすず書房刊)という行為の系譜に位置づけられる。何故なら中島やヴィトゲンシュタインが言語的認識によって私が作られると考えているような意味で永井は全く違ったアプローチで世界に臨んでいると捉えられるからである(勿論ポンティは世界や私が言語によって作られているとは考えていない)。それは言語によって私を理解する以前に私を永井が認めているということに他ならない。
 永井は「なぜ悪いことをしてはいけないのか」における基調論文である 3 なぜ悪いことをしても<よい>のか において次のように述べている。この文章は道徳論について述べられている全体の中の終盤にさしかかる間にほんの一言添えられているものであるが極めて永井哲学を理解する上で重要である(この論文を冒頭から解析することは次回に重点的にする)ので最初に示しておこう。

 私はまた永井均という一個人の利益のために行為し続けるのでもない。私がなぜかたまたまその個人であった以上、それもまた避けがたいことではあるが、少なくともそれだけではない。そうした結合の偶然を超えた存在の偶然を、私は自分の生の根底におきたい。なぜかこの、私の世界が存在し、それが最初にして最後、そして唯一の世界なのである。そこにはいかなる取り決めもなく、してはいけないことも、すべきこともない。私は何をしてもよく、修辞的に表現すれば、何をしてもよいという義務がある。永井均のいわゆる利益のために、私が奴隷にならなければならない理由は最終的にはない。(57~58ページより)

 この部分に示された永井哲学の考え方の基本は、ある意味でカントの完全義務、不完全義務にさえ酷似している。それは特に「そこにはいかなる取り決めもなく、してはいけないことも、すべきこともない。私は何をしてもよく、修辞的に表現すれば、何をしてもよいという義務がある」によって示され、要するにそれを意志的に善意志によって行うということ、つまり傾向性によってなすのではないことこそカントが「人倫の形而上学の基礎づけ<あるいは「道徳形而上学原論」>」においてカントが最大級に主張したかったことだからである。そして極めて永井哲学を理解する上で重要なこととは、端的に彼による近作である「なぜ意識は実在しないのか」やそれよりもっと以前の「<私>の存在の比類なさ」による<私>ということの意味がまさにこの文章における「そうした結合の偶然を超えた存在の偶然を、私は自分の生の根底におきたい」という部分のまさに「存在の偶然」という箇所にあるということである。
 これは通り一遍の表現をすれば現象的であるということであり、意識とかクオリアということであるが、永井が言いたいのはそういう形式的なことではない。まさにヴィトゲンシュタインであるなら沈黙しなければならない、と語った当の問い、つまりラッセルのヒューム解析によって示されていた想像の領域のことだからである。それは端的に何故永井均という個がこの超越的自分であるかということ自体を事実認識として捉えるのではなく、存在として受け入れることである。つまりそれは「生れて来たという事実自体の受け入れ」ではなく「生れて来たという事実の持つ奇蹟の受け入れ」という意味で捉えられるべきものなのである。
 その証拠に彼は同じ論文の中で次のように述べている。

(前略)この世界の中でそういうことを語る理由を問うているのなら、私は特別な意味で道徳的な理由があるのだ、と答えたい。そう答えるとき私は、2で述べた系譜学の水準を超えて、哲学をすることの意義について考えている。私は、哲学的な語りを含めて、語るという行為が本質的には道徳的行為なのではないかと疑っている。言葉を語ること、少なくともまじめに言葉を語ることは、語られた内容が何であれ、道徳的行為なのではあるまいか(これはきわめて原初的な、言葉によらない取り決めのようなものだろう)。悪の根底には言葉の拒否があり、それは言葉では決して表現することができない端的な事実と呼応している、と私は感じる。どのような語りによっても、それを表現することはできないように思われる。(59ページより)

 ここでも永井は自身の哲学骨子の概要とも受け取れる幾つかの重要な考えを述べている。一つは言葉を語ることが道徳行為であるという倫理的認識である(それは きわめて原初的な、言葉によらない取り決め という表現によって先験的に言葉以前に世界があり、世界と共に私があるという考えの表明ともなっている)し、且つ悪自体を悪という心の存在をも奇蹟として受け入れるということを悪をなす者の立場から考えているということだ。
 つまりだからこそ永井にとって悪をなす者、つまり実際に新聞やテレビでも報道されるような殺人犯などに対して中島のように「哲学の教科書」において殺人犯を差別的態度で接する同僚に対して怒りを表明するような態度を取ることを控えさせているのである。永井にとって恐らくそのような行為へと赴く運命の星の下に生れてきた人間に対して中島のように「ひょっとしたらその殺人犯が自分だったかも知れない」などと想像すること自体が自分はこの世に生れ来た事実自体の奇蹟の前ではとんでもない大それた想像であるに違いないからである。
 つまりこの悪に対する冷厳なる、あらゆる同情心や憐憫をさえ跳ね除ける運命論的な言葉以前に世界が画然と存在者にとって存在しているという事実に対する容認ということからも永井を言葉の存在論者であり、且つ経験論的コミュニケーション懐疑論者である、ということを裏付けている。つまりこの懐疑論は一つの存在論なのである。そして私はヒュームも、そのヒューム的主張を取り入れたカントにもその意味での懐疑論的存在論を感じるのである。(つづく)

 
 

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