私とは何かは哲学永遠不変のテーマだが、日本人の二人の哲学者がこの命題を全く違った形で示している。中島義道氏と永井均氏は共に私がある時期出会った哲学者である。出会うとは僭越だが、出会いは師弟という形式的レヴェルを遥かに超え得る。何故他にも大勢哲学者はいるのに、この二人に私が啓発されたか?それをこのブログで究明しつつ来場者と共に私や私であること、私の感性について考えたい。このブログは二人の哲学者に共鳴する全ての人たちによる創造の場である。

Thursday, December 10, 2009

序の前にこの論文を書くことになったきっかけについて・序

序の前のこの論文を書くこととなったきっかけについて

①中島義道とは誰か

 中島義道とは誰か?この問いに関しては確か小浜逸郎氏もまた提出していたと思うが、敢えてそれを再びしてみたいと思わせる存在であるからこそ、私は中島氏のことを取り上げるのだ。
 中島義道氏とは一体哲学者なのだろうか。それとも文学者、エッセイストなのだろうか?つまりそのいずれでもあり、そのいずれでもないということしか言えない気が私にはする。それは勿論本質論としてである。哲学的領域侵犯者として出版界で氏は通っているとも言えるし、哲学の伝道者としての立場にあるとも言えるからだ。
 さて中島氏は小学校の頃から皆で一緒に何かをしたり、皆で仲良くしたりすることだけは耐えられなくて、逆に普通の生徒たちにとっては苦しみ以外のものではない勉強だけが好きであったと告白する、ある意味では多くの人たちがある種嫌味な人間だとそう思うようなタイプの少年時代を送ってきた人である。私自身決して勉強自体は嫌いではなかったが、中島氏のように成績自体はあまりよくなかったし、友達もその都度大勢ではないもののいたから、中島氏の体験に対して自分とは違うと思うし、その違いが時には不快に思えることも多々ある。しかしそれでも尚そのようにそういう風に書くことによって多くの人々から反感を持たれることを承知で敢えてそれを書くということにおける潔さと勇気と、率直さという観点から言えば、中島義道氏とは特異な作家と言うよりは、あまりにも真摯で誠実な作家である、と言える。そしてそれは哲学者としての真摯さから来る態度であるとも言える。
 そしてそのことと哲学者としての専門的見識とか思想ということとは判断レヴェルでは全く別のこととして扱わねばならないとは知りつつ、しかしその二つは微妙に相互に絡まり合っていると言うことが出来る。このことは近著である「人生に生きる価値はない」においてニーチェという哲学者に対して長い間理解出来なかった自分が最近やっと理解することが出来るようになってきたことについて書いているある章において、ニーチェをテクスト読解的な解釈以外の、要するにニーチェの特異な人生を度外視して解釈することの不毛を訴えているのだが、そのことの持つ意味、つまり哲学者の持つパフォマティヴ(これは茂木健一郎氏が「「脳」整理法」において自然科学においてある法則とか定理を発見した人自身の個性とか人格とは無縁にそれらは価値があることをディタッチメントと呼び、それに対して哲学者などの場合、そのテクストに書かれたこととは、それを書いた人のパーソナリティとか人生と不可分であることをジョン・ラングショー・オースティンの謂いを借りてパフォマティヴと呼んでいることに起因する)に着目していることが、同じ章において中島氏が哲学学者よりも自由業の方に職替えした方が本当は自分にとって向いていることであると告白していることとも通じて、中島義道という著述家を語る時大きなエレメントであるように少なくとも私には思われる。
 つまり中島義道氏とは全てのテクストを読んでみないとその本質がなかなか理解出来ないような懐の広さを持った著述家なのである。しかしにもかかわらず氏の主張の本質は極めてある部分では単純である。つまり哲学という学問自体にあたら必要以上の幻想を持たせない、つまりほんの些細なしかし極めて私たちが見過ごしがちな真理に対する注意深い意味づけと定義し直し自体を認識的価値としている、ということである。そのことをある時にはエッセイとかユーモラスな小文において、ある時には本格的な哲学論文において一貫して示してきたと言える。だからそのことをもって敢えて氏を思想家であるとか社会批評家であると位置づけること自体を氏自身がせせら笑うような部分を我々は少なくとも十冊以上読んだ読者は抱くことになる。
 しかしだからと言って氏の書かれる多くの文明批評的、あるいは社会批評的文章はどれも皆一読の価値のあるものばかりである。全てを傑作と呼ぶことは出来ないにしても、尚そこにはそれなりに常に何かを読者に語りかけてくる力を持っていることだけは確かだ。
 しかし私自身にとってそこまで深く氏を理解するようになっていったのは、私自身が氏が主催されている哲学塾カントに在籍していた時期から、その塾を退会していった後、更に氏の本を読み進めてきた後のことである。

②永井均とは誰か、そしてこの二つについて

 私が永井均氏の本に出会ったのは、中島氏の本「時間と自由」を読んでから数年後に「ウィトゲンシュタイン入門」だったと思うが、氏の主張の凄さを実感させられたのは、寧ろ「なぜ人を殺してはいけないのか」における小泉義之氏との対談とその後の記述を呼んだ時からである。その後「<私>という存在の比類なさ」や「これがニーチェだ」などを読んでいった。そのプロセスで氏が<私>ということに拘り、その<私>とは私が自分のことを「私は~だ」と語る時の私ではなく、あくまでそういう風に私と語ることが、この私だけではなく誰しも自分のことを私と言うという一つの約束事に同意しているという事実以前の、つまり一般化された形での私ではない本当の私、つまり一般化しているのではなく、この私自身にとって最大の例外的、超越的な私、つまりあらゆる他者と決定的に違う自分のことである。そして氏の哲学的考えは明らかにこの私という決定的な唯一性に対して、しかし意思疎通する時には必ず、それを一般的な私に置換している、この一大転換自体を命題化している。そして氏は中島氏とは対極的に殆ど私的な事柄をエッセイ的には記さない。つまり私小説的エッセイや自己固有の感性的な主張を一切しない。
 このことが異色の哲学者である中島氏に親しんできた私にとってまず新鮮な驚きであった。つまり永井氏の論には個人的キャラクターを感じさせないところがある。
 にもかかわらず氏の哲学には氏本人が強烈に自分以外の全ての他者に大きな関心を払っていないという主張が真摯に込められている。この背反する二面性こそが私が永井氏に惹かれた最大の理由である。
 しかしにもかかわらず中島氏と永井氏の両人には決定的な共通性もある。それは端的に文章力において極めて論旨が簡潔であり、常に多くを語ろうとしない、焦点化された単純な真理だけをずばっと簡潔に語るという資質である。
 つまりこの二人の哲学を専門とされる著述家のスタンスを見ていると、要するに多くを望まないということで、逆に確実に得ることを選ぶという賢明な姿勢を学ぶことが出来るのである。これは哲学者としての本論であり、最大の必要十分条件ではないだろうか?
 この本で私はこの点を軸にしながら、対極である部分をも解析して論を進めていきたい。




 哲学者は通常全てに対して懐疑的であり、とりわけそれは科学者に対して向けられる批判に顕著なスタンスとなる。その分で彼らは自分たちの知性に誇りを持っていることは確かである。しかし彼らは自分の日常的な実像を他者に悟られまいとする心理的傾向があるから、必然的に一見すると、どこが特別ひねくれた人種であるのか、どこが特別頭脳明晰な人種であるかとも他者からは容易には受け取られないが、いざ彼らと付き合おうとすると、途端に友好を求めるようなタイプの社交家に対して敵視するスタンスを示しだす。
 これは彼らが、哲学上を巡るさまざまな命題、とりわけ死という観念にとり憑かれていることが日常茶飯なそういうタイプの少年期を過ごした人々によって自然に形作られた他者との協調という社会ルールそのものに対しても等しく懐疑の眼を向ける固有の一匹狼の、アウトローのコロニーに属しているからに他ならない。
 私は長い芸術家としての生活から彼らに対して一定の敬意を抱いてきた。そのことは科学者たちに対しても同様であるが、科学者はある意味ではもっと単純である。それは人類の未来に対してどこかオプシミスティックであるという意味でそうである。しかし哲学者はそうはいかない。彼らはあるいは明日地球が、明日宇宙が消滅するかも知れないという可能性に対する視点を決して捨てようとはしないし、事実そうなるかも知れないという恐怖や、可能性に対する配慮を捨てることが実際合理的な思考であるのかとか、そういうことで本当にまともに生きているという実感を掴めるのかとか、いやそういうものが実感であるということを本気であなたは問うたことがあるのか、と全ての人に向けてそう言いたいのだ。しかし勿論彼らは全人類に対してそのことを啓蒙する気はない。そういうことを直観的に理解出来るタイプの成員が彼らにとって見出されれば、その一群の人々に対してだけ静かに語りかけようとするだけである。
 だから最初から彼らはその命題を理解することが出来るのが一部の人々であることを直観的に知っていて、通常敢えてそれを声高に叫ぶことを差し控える。だからそれを静かに彼らの哲学文章や哲学テクストに込めて、いつとはなしにその哲学的主張(それは永井氏の言うように、通常の意味で主張するものではなく問い続けるという意味で)を受け手が哲学者のエールでありメッセージであると受け取られることを期待する。
 私が関心を抱き、心酔し、熟読した二人の哲学者がいる。一人は中島義道氏であり、もう一人は永井均氏である。
 中島氏はかつて無用塾という名の哲学塾を開設していたくらいの啓蒙家であると同時に、痛烈な社会批判者であり、全ての人々が須らく不幸であると捉える啓発家であり、人類の未来よりも自分の死という近い将来の出来事の方が圧倒的にリアルな問題であると考えておられる。永井氏は初期から今日まで一貫して私、あるいは私というものを通り越した自分そのものの神秘を哲学的命題の最たるものとして捉え続けてこられている。
 この二人は勿論面識はあるものの、一定以上の個人的な接点が際立って濃密であるとまでは言えないが、哲学者であるにもかかわらず比較的文芸雑誌等に露出度の多い、要するに論壇、文壇に聞こえがある、ということで共通している。要するに二人とも哲学ブームという2009年現在から十年くらい前にあった時期に著述家として船出した聞こえのある著述家であるということである。
 中島氏は既に十年くらい前から文化騒音公害であると彼自身が捉えるメッセージを共有する人たちと社会啓発運動をしているし、それと哲学者としての本分とが絡まりあう内的な問題意識を通じて多くの著作で偏食、孤独、不幸を推奨し、それでいて文学者的な資質を十二分に発揮し、読者を時としてその痛烈なるアイロニーによって笑いに誘うことも多いのに対し、永井氏はその哲学命題そのものを戯画化したような子供向け、中学生向けというようなタイプの優しい文章によって難解な哲学命題を語りかけ、多くの文学者、脳科学者といった人々に対して多大な影響を与え、昨今では川上未映子氏が「父と卵」で芥川賞を受賞したが、彼女の師が永井であることは多くの人の知るところとなった。
 私は以前から現代の哲学者では例えばソール・クリプキのような天才アメリカ人哲学者のような存在にだけ哲学論というと焦点が当てられ、現存の日本人哲学者のことをまともに取り上げたテクストが実に少ないということに疑問を抱いていた。そのことが本論を書くこととなった大いなる動機でもある。
 しかし私は先に「私が関心を抱き、心酔し、熟読した二人の哲学者がいる。」と述べたが、関心を抱き、熟読するということは、言い換えれば、そのテクストに対して大いなる疑問も生じてきて、冷静な判断から批判するべきであるという論点が見出されていく課程に自分の身を置くということをも意味する。従って本ブログでは必ずしも二人の哲学者を礼賛しているわけでもない。つまりある徹底した信念の持ち主であるという部分では尊敬する中島氏にさえ幾分偏った部分を私は常に感じ続けてきたし、偏向を避ける永井氏に対しても常に一定以上踏み込まない不満を持ち続けてきた。そのことはその都度示してある。
 本ブログで私はこの二人の意外な共通性(それは出版企業界そのものの哲学ブームということにおいてのみではなく、もっと本質的なスタンスの問題として)を探り、二人の日本人哲学者を巡って過去の哲学の巨人たちがどのような形で蘇っているのかということと、私的な資質論的な部分とを相補的に捉え、今日の哲学の地平そのものを私なりに捉えてみようと思った。だから専門家にだけ向けて書いたものではないので、私自身の哲学との出会いを論の中に交えて、あまり肩の凝らない哲学論を書くことをモットーとして私事を随所に盛り込みエッセイ風に仕上げた積りなのだが、真剣に哲学的命題を考えている方にも十分読むに値する内容を心掛けもした。
 私的なことだが、中島義道氏は私はかつて約八ヶ月通った哲学塾の恩師でもあり、永井氏との出会いもその後講義等で数回に及んだ。だからこの二人を論じるということはある意味では私にとって切実なものなのである。全く私にとって存在理由の異なる二人の著名な哲学者としての著述家を分析対象として扱うという大それたアイデアはしかし実はかなり以前から暖めてきていもしたのである。この二人の哲学者に焦点を当てた論文を通して哲学的な意味での私の主意に賛同して下さる方が一人でも多くこのブログに来場して下されば幸いである。

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