私とは何かは哲学永遠不変のテーマだが、日本人の二人の哲学者がこの命題を全く違った形で示している。中島義道氏と永井均氏は共に私がある時期出会った哲学者である。出会うとは僭越だが、出会いは師弟という形式的レヴェルを遥かに超え得る。何故他にも大勢哲学者はいるのに、この二人に私が啓発されたか?それをこのブログで究明しつつ来場者と共に私や私であること、私の感性について考えたい。このブログは二人の哲学者に共鳴する全ての人たちによる創造の場である。

Wednesday, December 23, 2009

第一章 道徳とは何か、どのように位置づけたらいいのか⑤

 もし本ブログを西田幾多郎と鈴木大拙、あるいは竹田青嗣と斎藤慶典とか、宮台真司と森岡正博というような内容のものだとしたら、全く私は異なったアプローチを取らざるを得なかっただろうが、たまたま私の個人史において特筆すべき存在として中島と永井といった存在がクローズアップされてきた。
 しかしその二人との出会いの道程を語ることは私自身を語ることに他ならない。それはその二人を巡る時代的状況と私自身との関わりにまで言及せざるを得ない。
 しかし恐らく私から見て一回りと少し年長である中島と私より八歳年長である永井の時代的役割を無視して今後このブログを続行させていくわけにもいかない。しかしにもかかわらず彼等はある部分では純然たる哲学者なのであり、それは両人による批評家たち全般に対する批判にも読み取れる。それは危うい所で画然と社会思想家や批評家、あるいは哲学史家と異なるという意思表示とも受け取れる。
 だが永井による「仏教徒にとってのお経とかキリスト教徒にとっての聖書はね、どこまでもまちがったことは書かれていないものとして読まれるんだよ。哲学徒にとっての哲学書はね、言われていることの意味が自分にとってよくわかるようになるまで、まちがったことは書かれていないものとして読まれるんだ。でも、いったんは聖典のように読まれる必要があるって点では似てるな。それと、どっちの場合も、始めのうちは自分を移入して読むしかないって点でもね」という部分の言述にはかなり本質的な著者からの意思表示が含まれている。端的に「自分にとってよくわかるようになるまで、まちがったことは書かれていないものとして読まれる」という部分は中島による「人生、しょせん気晴らし」中に掲載されている<哲学という気晴らし>の中の「ひきこもりと哲学」の内容と全く符号する。永井は極さらりと言ってかわしているこのことを中島は執拗に啓蒙しようと試みる。例えばひきこもり者自体が哲学の徒としての適性があることを認めながら哲学命題的設問に絡め取られることをまず哲学の徒の適性として善しとしながらも、その後できちんと「だが、ここに留まっていては、あなたは哲学の木を育成し、それに実を成らすことはできないであろう。あなたは、同じように哲学の適性のある他人とコミュニケーションしなければならない」としながら、「本物の哲学書を本物の哲学(研究)者の指導者のもとに読む訓練をしなければならない」としている。それは「<子ども>のための哲学」における永井による述懐中、専門の哲学者以外にも大勢哲学の徒としての適性者がいるとしながらも彼自身は専門の哲学者のアカデミズムを踏襲してきたことを悔いてはいないという記述とも全く符号する。
 しかしかなり重要なこととしては宗教であっても、どこまでも書かれているお経が正しいという信仰心が必要ではあるものの、実はその解釈を巡って宗教修行者にとっては「自分にとってのお経」というものを会得する以外に僧侶への道は開けていないということを示す内容のものとして曹洞宗門下で僧侶として生業を立てつつ文筆業をも二足の草鞋で営む南直哉とやはり臨済宗門下で作家活動をする玄侑宗久との対談における南の発言は注目すべきものとしてここに掲載することは相応しいであろう。(「問いの問答」同時代禅僧対談<副題>佼成出版社閑、第三章 出家 中、日本的「和」を相対化する 154から157ページより)

玄侑 南さんは『現代と仏教』(鈴木不美士編/佼成出版社/2006)に書いてらっしゃいましたね。日本というシステムの中に入ると、生き残るものはすべて「和」といわれるようなもののなかに取り込まれるというか、変質を余儀なくされる、と。だけど、それしかないんですよね。
南 そうえざるをえないのです。ただ、「和」がいけないというのではなく、戦略として「和」というものを相対化するものが何かないと、この国において「和」はこの先無理だと思います。機能しなくなる。ですから、僕がなぜ人から「原理的」とか「原理主義」とか、それこそ「極北」みたいなことを言われるのかというと、少なくとも原理的なことを確実に残しておくことに、大きな意味があると考えているからだと思うんです。
玄侑 そこに意識的であることは、ものすごく必要だと思いますね。
南 そうですよね。だから、それを曹洞宗の内部の人があまり言わないのだったら、内部の人間が言うことに意味があると思うから、僕はやっているだけなんです。ところが、この原理が普遍原理として実現した途端に、それは異常集団となって、仏教ではなくなってしまいます。ですから道元禅師の教団も、道元禅師では絶対に大きくならなかったでしょうね。仮に道元禅師の教団が、みんな万々歳で受け入れて、「これ以外にはない」ということになっていたら、道元禅師の入寂いくばくもなく教団が消えて可能性は高い。ただ、その著作だけは残って、細々と信奉者が思い出したように現れたりすることはあるかもしれませんが・・・・・。
玄侑 いわゆる一つのカルトとして現代に蘇るみたいに?
南 そうです。そうなった可能性は高いと思います。だけど、その記憶というか、そういうものを忘れ果てた態度―要するに、「現実と合わなくなったから、原理的な考え方原理的なやり方は必要がないんだ」というようになってしまったら、これはもう駄目でしょうね。僕がこんなことを言わなくたって、日本の人間関係の結び方や日本人の感性が、そんなに簡単に変わるわけがないんですよ。
玄侑 ええ、そこはほんとうに難しいところで、たとえば「四弘誓願」がありますね。「四弘誓願」の「煩悩無尽誓願断」(煩悩は無尽なれども、誓って断たんことを願う)というのを、「無理だからやめようよ」となったら、もうぜん崩れるわけですよ。
南 話になりませんよね。無理だとわかっていて、「誓願断」と言うところが宗教でしょ
う。大乗仏教では「願生 がんしょう」(この娑婆世界に自ら願って生れてきた)ということを説きますが、この「願い」というのは、「選択の余地」ではないんですね。いくつか選択肢があって「これにしましょう」ということではなく、これは方便とまったく一緒で、そうせざるをえないときに「そうします」と言うことなんですよ。仏教の誓願というのは。

 この最後の「この「願い」というのは、「選択の余地」ではないんですね。いくつか選択肢があって「これにしましょう」ということではなく、これは方便とまったく一緒で、そうせざるをえないときに「そうします」と言うこと」という部分にある種存在自体の必然的性格を言い当てているものを私は感じる。これは哲学で言えば、過去性というものを必然化する、少なくとも記述において必然的なこととしてのみ把握するという現在の態度にも通じる。このことをワルター・ベンヤミンは次のように言っている。(「パサージュ論」第3巻、207ページより、今村仁司・三島憲一ほか[訳]岩波書店刊)

出来事を前史と後史に分極化するのが現在である。〔N7a、8〕

「戦略として「和」というものを相対化するものが何かないと、この国において「和」はこの先無理だと思います」は中島の善良なるマジョリティに対する批判にも通じるし、また「それを曹洞宗の内部の人があまり言わないのだったら、内部の人間が言うことに意味があると思う」はアカデミズムの積極的効用に対する認可姿勢である。つまり期せずして永井の「翔太と猫」における言語習得論(これは第二章においても詳述する)の持つ言語認識上での建前とその効力(永井のライトモティーフであるところの公私の間の一大転換に関係してくる)に関して哲学の徒そのものの資質論的性格と、アカデミズム存在に対する積極的評価(まさに上記の二人の僧侶もまたそのことを述べているのだが)における中島言述との符号性(それこそが前回示したパラメーターセッティングのことなのだが)において二人の哲学者の時間論を通した論究可能性をここに見出すことが出来る。それはここで示したベンヤミンの言葉とも関係してくる。 
 そのことを次回から「翔太と猫」と中島の「後悔と自責の哲学」における中島によるライプニッツ認識を軸に考えていくこととしよう。

 付記 今年はここで休暇を取らせて頂きます。来年2010年の1月4日以降に再びお会い致しましょう。(河口ミカル)

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